第16話_オフィスの、隠された甘さ
月曜日のオフィスは、いつも通り賑やかだった。
私はデスクに座り、パソコンの画面を見つめていた。
けれど、頭の中は昨夜と今朝の記憶でいっぱいだ。
誠二の熱いキス。
彼の腕に抱きしめられた感触。
朝の光の中で交わした、甘くて少し切ないキス。
(……集中しないと)
私は何度目かの深呼吸をして、資料に目を落とした。
「佐藤さん、おはようございます」
その声がした瞬間、背筋がピンと伸びた。
振り返ると、誠二がいつもの爽やかな笑顔で立っていた。
完璧なスーツに、整えられた前髪。
誰もが見る「完璧王子」の姿だ。
「おはようございます、長谷川さん」
私はできるだけ事務的に返した。
彼は書類の束を私のデスクに置くと、いつもの口調で言った。
「今日のミーティングの資料です。確認しておいてください」
「ありがとうございます」
指先が、ほんのわずかに触れた。
周囲の誰が見ても、ただの書類の受け渡しにしか見えないはずだ。
でも、私にはわかった。
彼の指が、私の指の腹を、そっと、けれど確実に撫でていった。
(……っ)
顔が熱くなるのを必死に抑えて、私は資料を受け取った。
誠二はそれ以上何も言わず、自分のデスクに戻っていく。
背中はいつものように堂々としていて、誰が見ても普通の同僚だ。
私はモニターを見つめたまま、そっと自分の胸に手を当てた。
心臓が、少しうるさい。
午前中は、ミーティングやデスクワークで比較的忙しかった。
でも、誠二と目が合うたびに、胸の奥がざわつく。
彼は表向きはいつも通り。
女性社員に笑顔を振りまき、上司と軽く話している。
でも、私と目が合った瞬間だけ、瞳の奥が少しだけ甘く細められる。
(……ずるい)
私は自分のモニターに視線を戻しながら、静かに息を吐いた。
午後の休憩時間。
私はお茶を淹れに給湯室へ向かった。
誰もいないことを確認して、そっと深呼吸をした。
「香織」
突然、後ろから低い声がして、私はびくっと肩を震わせた。
振り返ると、誠二が静かにドアを閉めていた。
「誠二さん……! ここでそんなこと言ったら……」
「誰もいない」
彼は近づいてきて、私の腰に片手を置いた。
給湯室の隅、死角になる位置。
「昨夜のこと、ずっと考えてた」
「仕事中でしょう……」
私は慌てて周囲を見回した。
誠二は小さく笑って、私の耳元に顔を寄せた。
「仕事中でも、お前が欲しいって思うのは仕方ないだろ」
熱い息が耳にかかって、背中が震えた。
私は彼のシャツを軽く掴みながら、小声で抗議した。
「ば……バレたらどうするの」
「バレないようにするさ」
誠二は私の腰を引き寄せ、軽く抱きしめた。
ほんの数秒。
でも、その温もりが昨夜の記憶を呼び起こす。
「金曜の夜も、俺の家に来る?」
私は彼の胸に顔を埋めながら、そっと頷いた。
「……ええ」
誠二は満足そうに私の髪にキスをした。
「いい子だ」
その言葉に、顔が一気に熱くなった。
給湯室のドアが開く音がして、二人は慌てて離れた。
入ってきたのは後輩の女性社員だった。
「あ、佐藤さん、長谷川さん。お疲れ様です」
「ええ、お疲れ様」
私は笑顔で返した。
誠二もいつもの王子様スマイルで軽く会釈して、部屋を出ていった。
私はお茶を淹れながら、そっと自分の唇に触れた。
(これが……私たちの新しい日常)
まだ誰にも言えない秘密。
でも、確実に、二人の距離は縮まっている。
(第17話へ続く)
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