第13話_金曜の夜、甘い境界
金曜の夜、21時を少し過ぎた頃。
私は指定されたバー「Amber」のカウンターに座っていた。
先週もここに来た場所だ。照明は相変わらず落とされていて、グラスが触れ合う音だけが静かに響いている。
誠二はすでに端の席に座っていた。
スーツのジャケットを脱ぎ、シャツの第一ボタンを外して。
いつもの完璧な王子様の姿とは少し違う、くつろいだ、でもどこか緊張した佇まい。
「遅かったな」
私が隣に座ると、彼はグラスを傾けながら、こちらをじっと見つめた。
「仕事が長引いて……」
「まあいい。来てくれただけで十分だ」
バーテンダーが無言で私の分のカクテルを置いていく。
甘めの、でもしっかりしたアルコール。
先週と同じ味が、妙に懐かしく感じた。
少しの沈黙のあと、誠二が静かに言った。
「……ゲームが終わってから、まだ一週間も経ってないのに、
俺はもう、お前と二人きりでいる時間が欲しくて仕方ない」
私はグラスを手に取ったまま、視線を落とした。
「急にそんなこと言われても……困る」
「困る?」
彼の声が少し低くなる。
「香織、俺は本気だって言ったよな」
その言葉に、胸の奥が熱くなった。
私はゆっくりと彼の方を向いた。
「……ええ、聞いたわ」
誠二はグラスを置くと、ゆっくりとこちらに体を傾けてきた。
カウンター越しに、ほんの少しの距離。
「お前も、本気だよな?」
私は答えられなかった。
代わりに、そっと彼のシャツの袖を指で掴んだ。
「本気……です」
その瞬間、誠二の瞳が熱を帯びた。
彼は私の手を優しく引き寄せ、カウンターの下で指を絡めてきた。
熱い。
先週までのゲームのときとは、明らかに違う熱だった。
「香織」
名前を呼ばれただけで、背中が震える。
「俺はもう、我慢するのが限界だ。お前を、ちゃんと俺のものにしたい」
低い声で囁かれ、私は思わず目を伏せた。
「……ここでは、ダメ」
「わかってる」
誠二は小さく笑って、私の指を唇に近づけた。
軽く、触れるだけのキス。
でもその仕草だけで、身体の奥が熱くなった。
「今夜は、俺の家に来ないか?」
私は一瞬息を呑んだ。
「……まだ、早いんじゃない?」
「早い?」
彼は私の耳元に顔を寄せて、甘く囁いた。
「俺はもう、お前を抱きしめたい。
キスだけじゃ足りないくらいに」
心臓が、激しく鳴った。
私は彼のシャツを少し強く握りながら、小さく頷いた。
「……わかった。でも、優しくして」
誠二の目が、満足そうに細められた。
「約束する。
でも、俺の我慢がどこまで持つか……それは保証できない」
私たちは会計を済ませ、店を出た。
夜の風が冷たいのに、誠二の手は熱かった。
(これが……本気の始まり)
私は彼の横顔を見ながら、静かに胸の内で呟いた。
まだ始まったばかりの、甘くて危うい関係。
でも、もう後には戻れない。
(第14話へ続く)
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