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RE:WIND  作者: SM
第1章「疾風」
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第二話 止める男

神谷蓮は、納得していなかった。

 放課後。

 グラウンドの端に座り込み、スパイクの紐をほどきながら、昼間の紅白戦を思い返していた。

 俺は、抜いた。

 いや。

 最後は抜いた。

 桐生のパスが良かっただけだ。

 あいつがボールをくれたからゴールできた。それは分かっている。

 でも――

「……速さだけ、ねえ」

 昼間の監督の言葉が、妙に頭に残っている。

 速さだけ。

 まるで、それが大したことじゃないみたいに。

「神谷」

 声がした。

 顔を上げると、桐生が立っていた。

「まだいたのか」

「お前もな」

「俺は自主練」

「俺も自主練」

「……今まで何してた?」

「何もしてない」

「それ自主練じゃねえじゃん」

 桐生が呆れたように笑った。

 蓮は立ち上がる。

「おい」

「何?」

「一対一、やろうぜ」

「俺と?」

「そう」

「何で?」

「昼間の借り」

「別に勝負してないけど」

「俺はしてる」

 蓮はボールを一つ置いた。

 桐生は少しだけ考えたあと、ため息をついた。

「……いいよ」

 グラウンドには二人しかいない。

 日が傾いて、校舎の影がピッチに長く伸びていた。

「ルールは?」

「抜いたら勝ち」

「ゴールは?」

「あそこ」

 蓮が指差した先には、小さなコーンが二つ並べてあった。

 距離は十五メートルほど。

 桐生が笑う。

「簡単じゃん」

「じゃあ止めてみろよ」

「お前、本当にそれ好きだな」

「何が?」

「抜くこと」

「当たり前だろ」

 蓮が笑った。

 その笑顔には、自信があった。

 いつも通りだった。

「じゃあ、来いよ」

 桐生が腰を落とした。

*

 一回目。

 蓮は何も考えず、縦へ出た。

 右足でボールを前へ。

 一気に加速。

 ――抜ける。

 そう思った。

 だが、桐生は動かなかった。

 半歩。

 ほんの半歩だけ下がった。

 蓮のコースから外れない。

「っ……!」

 なら、さらに加速。

 身体を入れる。

 しかし、桐生の肩が蓮の進路を塞いだ。

 ボールが足元から逃げる。

「……」

 蓮は止まった。

「はい」

 桐生がボールを拾う。

「もう一回」

 二回目。

 フェイントを一つ入れる。

 横へ。

 すぐに縦。

 今度はいける。

 ――と思った瞬間、桐生が先に動いた。

 まただ。

 抜けない。

 三回目。

 カットイン。

 四回目。

 縦。

 五回目。

 完全にフェイントを入れて逆を取った。

 それでも止められた。

「なんで……」

 蓮の声が低くなる。

「何が?」

「なんで分かるんだよ」

 桐生はボールを抱えたまま、少し考える。

「分かってないよ」

「嘘つけ」

「ほんと」

「じゃあなんで止められる?」

「お前が同じだから」

「何が?」

「全部」

 桐生は淡々と言った。

「ボールを受ける位置も、身体の向きも、仕掛けるタイミングも、ほとんど一緒」

「……」

「だから分かる」

 蓮は黙った。

「お前さ」

 桐生が続ける。

「速いから、相手が反応できないと思ってるだろ」

「違うのか?」

「半分だけ正解」

 桐生はボールを足元に置いた。

「速い選手ほど、相手は早く止めようとする」

「……」

「だから、お前がどこに行くかを先に考える」

 蓮は、桐生を見る。

「お前が縦に来るなら、俺は走って追う必要がない」

「……先にいるから?」

「そう」

 嫌な答えだった。

 でも――

 納得できてしまった。

「じゃあ、どうすりゃいい」

 その言葉が口から出た瞬間、蓮自身が驚いた。

 今まで誰かにそんなことを聞いたことはなかった。

 桐生も少し驚いた顔をした。

「何?」

「どうすれば、お前を抜ける」

「練習すれば?」

「それ答えになってねえよ」

「じゃあ……」

 桐生は蓮を見た。

「俺に見えないところで勝負すればいい」

「見えないところ?」

「ボールを持ってない時」

「……」

「お前がボールを持った瞬間だけ速くなるから、簡単に読まれるんだよ」

 蓮は考えた。

 確かに。

 今まで、自分はずっとそうだった。

 ボールをもらう。

 相手を見る。

 そして抜く。

 それで十分だと思っていた。

「俺、ボール持ってない時って……」

「遅い」

「お前さあ」

「事実」

 蓮は思わず笑った。

「ムカつくな、お前」

「よく言われる」

「誰に?」

「友達いないから分からない」

「それ自分で言うことじゃねえだろ」

 二人の間に、初めて笑い声が起きた。

 ほんの少しだけ。

 昼間までなら、想像もしなかった。

*

 その日から、二人は一緒に練習するようになった。

 とはいっても、仲良くなったわけではない。

 少なくとも蓮はそう思っていた。

 朝。

 グラウンドに行くと桐生がいる。

 放課後。

 帰ろうとすると桐生がいる。

 そして必ず言う。

「今日、オフ・ザ・ボールやる?」

「やる」

 なぜか、それが当たり前になった。

 走る。

 止まる。

 また走る。

 桐生がボールを出す。

 蓮が裏へ走る。

 最初は何度もタイミングが合わなかった。

「早い」

「遅い」

「今のは?」

「早すぎ」

「どっちだよ」

「だから今ので覚えろ」

 それでも少しずつ合ってくる。

 一本。

 二本。

 十本。

 蓮は気づき始めていた。

 自分は、ボールを持っていない時も速い。

 当たり前だ。

 でも、それを今まで使ったことがなかった。

「神谷」

 桐生が呼ぶ。

「何?」

「次、逆」

「逆?」

「俺が走るから、お前が出して」

「俺が?」

「そう」

「パスなんか苦手だぞ」

「知ってる」

「お前、本当に一言多いな」

 蓮はボールを置いた。

 桐生が走り出す。

 ――出せ。

 そう思った。

 だが、

 どこへ?

 一瞬、迷う。

 その瞬間、桐生が振り返った。

「遅い!」

「分かってる!」

 蓮は右足を振った。

 ボールは桐生のずっと前へ転がった。

「……」

 二人でボールを見る。

 桐生がため息をついた。

「ひどいな」

「うるせえ」

「でも、今の判断は悪くない」

 蓮は少しだけ顔を上げた。

「本当か?」

「うん」

 たったそれだけの言葉なのに、妙に嬉しかった。

*

 数日後。

 紅白戦。

 蓮はベンチスタートだった。

 それが気に入らない。

 先輩たちは当然のように先発している。

 自分より遅い選手もいる。

 納得できない。

 試合を見ながら、蓮は唇を噛んでいた。

「焦ってる?」

 隣に桐生が座った。

「別に」

「顔に出てる」

「出てない」

「出てる」

 蓮は無視した。

 前半終了。

 0-0。

 黒田監督が振り返る。

「神谷」

「はい」

「アップ」

 蓮が立ち上がる。

 胸が高鳴った。

 ようやく来た。

「後半、右に入れ」

「右?」

「今日は高瀬を休ませる」

「……はい」

 後半開始。

 蓮は右サイドに入った。

 ボールが来る。

 仕掛ける。

 一人抜く。

 二人目。

 ――止められた。

 だが、今日はいつもと違った。

 ボールを失ったあと、蓮はすぐに走った。

 裏へ。

 桐生が顔を上げる。

 一瞬だけ。

 パス。

 蓮は走り込む。

 昨日までなら、ここで止まっていた。

 今日は違う。

 触る。

 折り返す。

 中央。

 シュート。

 ゴール。

「ナイス!」

 声が飛ぶ。

 蓮は振り返った。

 桐生と目が合う。

 二人とも笑った。

 たった一つのゴール。

 でも蓮にとっては、今までとは少し違った。

 自分一人で作ったゴールじゃない。

 速さだけでもない。

 ――誰かと一緒に作ったゴールだった。

 その日の練習後。

 黒田監督が蓮を呼び止めた。

「神谷」

「はい」

「今日、少しだけサッカー選手に見えた」

「……少しだけですか?」

「まだ全然だ」

「厳しすぎません?」

 監督は笑った。

「だが、一つ覚えたな」

「何を?」

「速さは、自分のためだけに使うものじゃない」

 蓮は黙った。

 その言葉を、頭の中でもう一度繰り返す。

 速さは、自分のためだけに使うものじゃない。

 まだ意味はよく分からない。

 でも――

 いつか分かる気がした。

 そしてその日が来ることを、

 蓮はまだ知らない。

 自分の「速さ」が、

 人生で最も大切な武器になる日と、

 人生で最も恐ろしい敵になる日が、

 同じだけ近づいていることを。


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