表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【一話完結】天眼の手は、コーヒーが冷める前に帰る  作者: 七宵 凪
カナエ技研の開発室には一つの速さしか流れていない
PR
68/76

カナエ技研の開発室には一つの速さしか流れていない⑤

 俺は、フロアの拍子の一番下にある音へ、声を合わせた。


 詠唱は力む剪定じゃない。力場の方へ、こちらの方向を渡す行為だ。波立たない水へ、別の流れの向きを、そっと差し込む。逆らうんじゃない。流れを書き換える。




「ここに在る力に告ぐ


 方向を持つ全ての流れに告ぐ


 高さを削り、低きへ揃える均しよ


 抜きん出た分を奪う束よ


 削り取った縁を、元の持ち主へ返せ


 ここに在る『抜きん出てはならない』という言葉を


 俺が、ばらける方向に、解す」




 最後の一行を発音した瞬間、フロアの空気がぐらりと傾いた。


 張っていた水面が緩んだ。揃っていた手の拍子の残響が、ばらばらの速さに戻り始める。机の一つ一つが、それぞれの速さを取り戻していく。楢原の頭の上に集まっていた力がほどけていく。削り取られていた線の質が、楢原の手の中へ戻っていくのが見えた。引きかけていた平らな線が、迷いのない一息の線へ書き換わっていく。手前で止めていた筆圧が、すっと先まで伸びた。


 いける、と思った、その直後だった。


 ほどけかけた力が、行き場を失った。


 四十人分の羨みは、まだ床に残っている。均しの方向だけがほどかれた。だが、均そうとする力そのものは、すぐには消えない。一番高い杭を削るのが、その力の本能だ。楢原の頭の上から外された力は、すぐに次の杭を探した。下げる相手がいなくなった手が、別の下げる相手を探すように。


 フロアの隅の机で、一人、残業していた若い社員がいた。楢原の次に、仕事の速い人間だったらしい。


 均しの力が、その社員の頭の上へ束になって滑った。


 ……次を削る気か。


 社員がふと手を止めた。打とうとして、打てない。さっきまでの楢原と同じ顔になりかけた。指が宙で迷い始める。


 考える前に、手が動いた。


 俺は指先で、空気を斜めに弾いた。社員の頭へ向かう力の束を、その手前で九十度ねじる。向かっていた方向を、横へ逸らす。束は向かう先を失った。誰の頭にも届かない方向へ、力が逃げる。社員の指がふっと軽くなった。本人は何が起きたかも分からないまま、また鍵盤を叩き始めた。速さが戻っている。本人の速さが。


 息をつく間もなかった。


 逸らした力は消えたわけじゃない。行き場を探して、フロアの中を漂っている。一番出ている杭へ戻ろうとする。引力みたいに、高いところへ吸い寄せられる。


 そして、フロアで一番出ている杭は、今も、楢原だった。


 力が、楢原の頭の上へ戻ろうとした。


 返したはずの線が、また削られかけた。楢原の手が、再び平らな拍子へ引き戻されていく。せっかく戻った一息の線が、また真ん中へ落ちていく。


 なんで戻る。


 俺は楢原を見た。


 楢原は戻された手を、抗っていなかった。


 むしろ、自分から頭を下げていた。


 削られた線が戻ってきた瞬間、楢原は、その戻ってきた速さを、自分で抑え込もうとしていた。速く動けることに、怯えるみたいに。出しゃばらないように。合わせるように。半年かけて身につけた癖が、外から返された分を、内側から押し返している。手が、せっかく取り戻した速さを、自分で平らにしにいく。


 外の力をほどいても、楢原が自分で自分を均し続ける限り、均しの力は、楢原の頭の上を「一番出ている杭」だと認め続ける。本人が手を挙げてしまっている。ここを削ってくれ、と。


 いくら外から返しても、本人が受け取りを拒んでいたら、戻らない。返した端から、本人が突き返してくる。賽の河原だ。


 ……そういうことか。


 俺は舌打ちを一つした。


 めんどくせえ。本当に、めんどくせえ。


 外から掛かった分は、もう、ほとんど剥がした。残っているのは、楢原が自分で自分の頭を押さえている手だけだ。


 その手は、俺には剥がせない。


 剥がせないが──伝えることはできる。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ