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【毎日更新】天眼の手は、コーヒーが冷めるまでに帰る  作者: 七宵 凪
冷凍倉庫の温度には、十二年分の重さがある
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冷凍倉庫の温度には、十二年分の重さがある⑥

 救急車と警察が到着するまで、俺と氷見は倉庫の中で待った。


 到着までの十分弱、藤代は床についたまま、ほとんど動かなかった。早川は意識を取り戻しつつあったが、自力で立ち上がるには時間が必要な状態だった。氷見は早川の容態を時々確認し、必要な処置を施した。俺は通用口の脇に立って、外の空気を時々肺に通した。


 到着の合図が、外から聞こえた。サイレンと、車のドアが開く音。


 氷見が、通用口から出て、警察と救急隊員の対応をした。話の中身までは聞こえなかったが、彼女の口調は、俺と話す時より一段、業務的に冷たかった。瞳の組織が警察と連携する際の、専用の手順があるらしかった。


 救急隊員が、ストレッチャーで早川を運び出した。藤代は、警察に連れられて、両脇を支えられて立ち上がった。藤代は俺の方を一度だけ見て、それから視線を地面に戻した。彼の目は、もう怒りの形をしていなかった。


 全員が倉庫の外に出ると、所轄の警察官が一人、氷見の方を見て、俺の方をちらりと見た。


「こちらの方は」


「協力者です。詳細は、私の方で報告書を提出します」


「了解しました」


 警察官は、それ以上俺について訊かなかった。氷見の口添えがあれば、それで通る程度の関係性が、彼女と所轄の間にあるらしかった。詳しい仕組みは、訊かなかった。


 救急車と警察車両が去った後、倉庫の前には、俺と氷見だけが残った。


 潮の匂いを含んだ風が、倉庫の壁を撫でて通っていった。秋の昼前の陽射しが、コンクリートの地面に淡く落ちていた。倉庫の中の冷気はもう完全に外気と入れ替わっていて、肌に触れる空気の温度はようやく十五度に戻っていた。


「氷見」


「はい」


「事後処理、お前の仕事はどこまでだ」


「藤代の身柄が司法に引き渡された後、医療顧問に早川の経過観察を依頼します。その後、三日以内に報告書を組織に提出します。それで終了です」


「藤代の異能、本当に戻した。法的に、異能を理由に処罰されるってことはあるのか」


「異能の行使に関する法的位置づけは、現状、各事案ごとの判断です。本件は、監禁致死未遂として、通常の刑事手続きで処理されます。藤代の異能については、起訴材料にはなりません」


「異能を持ってることは、犯罪の動機にはなっても、犯罪そのものにはならない、と」


「現状の運用では、そうです」


 氷見は、無線機をコートの内ポケットにしまった。手帳を取り出し、何かを書き付けた。たぶん、今日の現場での記録だった。


 俺は、シャッターの前で、空を見上げた。


 雲が、薄く流れていた。秋の空の薄い青の中に、北の空には、月よりやや小さい白い円が、いつも通りそこにあった。動かない。消えない。形も変わらない。今日、藤代が異能を失ったことも、早川が一命を取り留めたことも、あの円の下で起きたことだった。


「氷見」


「はい」


「お前、現場に同行するの、久しぶりか」


「そうですね」


「どうだった」


 氷見は、手帳を閉じる手を、一度止めた。


 ほんの一拍の間があった。


「現場の空気は、想定より冷たかったです」


「気温の話か」


「気温の話です」


 短く答えてから、氷見は手帳をコートのポケットに戻した。彼女の目線は、倉庫の壁の方を向いていた。少し長めの間、彼女はそこを見ていた。それから、俺の方に視線を戻した。


「緒方さん」


「ん」


「先ほど、藤代に対して『あんたの十二年は、あんたが背負え』と仰いましたね」


「言った」


「あれは、業務外の発言です」


「悪かったか」


「いえ」


 氷見は、短く答えた。


「ただ、効率的とは言えない発言でした。藤代の異能は、すでに無力化されていました。あの一言は、彼の処理に必要な手順ではありません」


「だな」


「私は、業務として、必要な手順だけを行うべきだと考えています」


「分かってる」


「ですが」


 氷見は、わずかに、間を置いた。


「あの一言が、彼の中で、何かを終わらせたのは、確かでした」


 彼女の口調は、報告書を読み上げる速度とは、わずかに違っていた。読み上げる、というより、観察した結果を、自分の中で確認するために言葉に変えた、という響きだった。


 俺は、空を見たまま、短く答えた。


「氷見」


「はい」


「業務外の発言を、業務として記録に残しても、お前の評価が下がるか」


「いえ。私の判断で、必要と認めた事項は、記録に残します」


「なら、あれを、どう書いてもいい。お前の判断で」


「分かりました」


 氷見は、短く頷いた。


 潮の匂いが、また一段、強く流れてきた。倉庫群の向こう側に、海が見えるはずだった。歩いて十分の距離に、漁港がある。だが、俺たちはもう、ここから動く必要がなかった。バス停の方に戻って、駅で電車に乗って、琴生に帰る、それだけだった。


「氷見、帰るぞ」


「はい」


 俺と氷見は、倉庫の前から離れて、バス停の方向に歩き始めた。


 歩きながら、俺は、隣の氷見にもう一つ訊いた。


「お前、こういう案件、何件目だ」


「私の担当領域に来てから、二十一件目です」


「全部、解決したのか」


「すべて、解決しました」


「俺と組んでからは、何件目だ」


 氷見は、歩く速度を少しだけ落として、答えた。


「緒方さんと組んでからは、まだ、数えるほどです」


 彼女は、具体的な数字を言わなかった。それが、業務的な簡略化なのか、別の意図なのかは、判別がつかなかった。


 俺は、それ以上は訊かなかった。


 バス停に着くと、十二分後の発車だった。氷見は、ベンチに腰を下ろし、両手の前で手帳をまた開いた。


 俺は、ベンチには座らず、屋根の脇に立って、北の空を見ていた。

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