表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【毎日更新】天眼の手は、コーヒーが冷めるまでに帰る  作者: 七宵 凪
冷凍倉庫の温度には、十二年分の重さがある
5/25

冷凍倉庫の温度には、十二年分の重さがある⑤

 藤代の動揺で出力が落ちている、この瞬間が、剪定の機会だった。


 彼の異能を恒久的に止める。十二年かけて拡張された行使範囲を、根の方から削る。元の「冷蔵作業を補助する程度」のレベルにまで巻き戻す。それが、氷見経由の依頼内容に含まれていた処理だった。


 異能を「奪う」のではない。本人の中の異能の核は、人間そのものの一部だ。それを根こそぎ抜くことは、本人の人格にまで干渉することになる。そこまではしない。


 彼が「拡張するために削った制限」を、もう一度、はめ直す。十二年で削った分の制限を、復元する。それが、俺の今からやることだった。


 通常の発動では届かない。藤代の中の、十二年分の積み重ねを、外から再構成するためには、詠唱が要る。


 俺は藤代の右肩を掴んだ手と、左手首を掴んだ手を、そのまま離さずに、声を低くした。


「ここに在る力に告ぐ」


 藤代の目が、俺の口元を見た。


「方向を持つ全ての流れに告ぐ」


 藤代の手の中で、冷気の蓄えが、止まった。


「拡張された輪郭よ


 削られた制限の縁よ


 お前の本来の境界に、戻れ」


 俺の手のひらから、藤代の体内へ、薄い「向き」が差し込まれた。視覚的に見える光ではない。肌から肌へと伝わる方向だった。藤代の中の異能の輪郭が、十二年で広げられた領域から、ゆっくりと縮み始めた。


「ここに在る『十二年分の怒り』を


 俺が、お前自身の中の元の枠に、収め直す」


 最後の一行を発した瞬間、藤代の体が、ぐらりと、傾いた。


 藤代は両膝を、コンクリートの床について、両手を床に着いた。両手は俺が解放した。彼の手には、もう冷気を射出する力は残っていなかった。空間温度を下げる力も、残っていなかった。倉庫の中の冷気が、外気の温度に向けて、ゆっくり戻り始めた。


 藤代は、両手で床を掴んだまま、俺の方を見上げた。


「俺の、十二年は」


「あんたの中に、まだある」


 俺は、短く答えた。


「異能が縮んだだけだ。あんた自身の人生は、あんたの中にそのまま残ってる。あんたが何を考えて、何を恨んで、何を選んだか、それは、誰にも消せない」


 藤代は、何も答えなかった。


 代わりに、両手を床についたまま、肩を震わせ始めた。怒りの震えではなかった。十二年で初めて、自分の異能を行使できなくなった人間の、ある種の喪失の震えだった。


 俺は彼から目を離して、早川の方に走った。


 早川は、まだ縦パイプに縛り付けられたまま、半分意識を失っていた。瞼が完全に閉じ、白い息は、もうほとんど出ていない。低体温症の第三段階に入りかけていた。あと十分でも遅ければ、危なかった。


 俺は早川の手首を縛っているナイロン結束バンドに、指先を当てた。有機物操作の応用で、ナイロンの分子結合に「ほどける方向」の運動量を加える。バンドが、ぱつんと音を立てて、弾けた。早川の腕が、自重で前に落ちた。


「早川さん。聞こえるか」


「……」


「目を開けろ。意識、保て」


 早川の瞼が、わずかに動いた。完全に開きはしないが、薄く開いた目の中に、瞳孔の動きがあった。


 俺は早川の上着を脱がして、自分のジャケットの下に着ていたダウンベストを、彼の上半身に被せた。寒くない方が嘘だが、当面の体温維持には少しでも役立つ。それから、早川の手のひらと指先に、有機物操作で、わずかに血流を促した。彼の血管に、本来の流れる方向に、運動量を乗せた。指先の毛細血管まで血が通うように、丁寧に。


 早川の口から、白い息が、また出始めた。


 意識が戻り始めている兆候だった。


 俺は早川を縦パイプから完全に外して、床の比較的乾いた場所に、座らせた。藤代がまだ床についているのは、視界に入っていた。藤代は俺たちの方を見ていなかった。床を見つめたまま、何かを考え込んでいた。


 通用口の方で、足音がした。


 氷見だった。


 氷見は、ドアを静かに引いて、倉庫の中に入ってきた。手には、すでに無線機のようなものを持っていた。所轄に通報する手段を、彼女なりに持っていたらしい。氷見は俺と早川と藤代の位置関係を一瞥して、状況を把握した。


「終わりましたか」


「終わった。藤代の異能、元のレベルに戻した。早川さんは意識が戻り始めてる」


「了解」


 氷見は早川の脈を測り、瞳孔の反応を確認した。一連の動作が、医療従事者のように手慣れていた。瞳の組織にいる協力医から、応急処置の訓練を受けているらしかった。


「低体温症、第二段階の後半。第三段階には進行していません。救急搬送で、後遺症なしに回復可能と判断します」


「藤代は」


「異能の行使ができない以上、ただの五十四歳の男性です。あとは法的処理を、私の方で進めます」


 氷見は、藤代の方をちらりと見た。


 藤代は、まだ床についていた。氷見は、藤代に向けて、特に声をかけなかった。彼女の業務上、藤代を哀れむ義務も、断罪する義務もなかった。彼女は、ただ、淡々と次の手続きに移った。


 無線機を口元に当てて、氷見は短く何かを話した。所轄の警察に、状況を要約した連絡だった。十分以内に救急車と警察が到着する手配が完了したらしい。


「緒方さん」


「ん」


「現場での仕事は、ここまでです」


「了解」


 俺は、早川の脇に座っていた姿勢から、立ち上がった。倉庫の冷気は、もうかなり戻っていて、白い息も出なくなり始めていた。


 藤代が、ようやく、こちらを見た。


 目の中の怒りは、削れていた。代わりに、別の何かがあった。後悔とも諦めとも違う、何か、長い時間の終わりに似た表情だった。


 俺は、藤代に向けて、一言だけ、言った。


「あんたの十二年は、あんたが背負え」


 藤代は、何も答えなかった。


 ただ、ゆっくり、頷いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ