冷凍倉庫の温度には、十二年分の重さがある④
両手から、二筋の冷気が同時に放たれた。
左右からの挟撃。一筋ずつなら横にずらせる。だが、左右から同時に来た場合、片方を切れば、もう片方が俺の側面を抜く。
俺は、足を踏み込まなかった。
代わりに、その場で姿勢を低くした。
膝を曲げ、上半身を前傾させ、両肩の高さを冷気の到達点より下に下げた。冷気は俺の頭上で交差し、互いに干渉して、空中で渦を巻いた。渦は天井に向かい、コンクリートの梁の表面を一瞬で霜で覆った。
俺は姿勢を低くしたまま、藤代との距離を縮めた。
倉庫の中央、作業台の脇まで来て、俺は止まった。藤代との距離は、五メートル。
「お前、軽い動きだな」
「あんたの異能、伸ばし方が雑だ」
「雑、だと?」
「指向性は持たせた。範囲も広げた。だが、冷気の維持時間が短い。一発放ったら、次の発射まで、二、三秒の間がある」
藤代の表情が、また一瞬止まった。
俺の指摘が当たっていることを、藤代自身が一番よく知っていた。十二年で運用は高度化したが、冷気の射出は連射ができない。蓄えるための間が必要だった。
その間が、俺にとっての勝機だった。
「あと、もう一つ」
俺は、短く言った。
「あんたの怒りは、温度に変わる前に、ちゃんと言葉になっているか」
「は?」
「あんたは早川を殺さない。殺さないってことは、まだ言いたいことがあるはずだ。なのに、ここに早川を縛りつけて、無言で寒さを浴びせてる。早川は何も言われずに凍えてる。それは、あんたの怒りの表現として、半端じゃないか」
藤代の眉が、一筋、寄った。
「俺は、こいつに、言いたいことを全部言った」
「いつ、どこで」
「倒産直後の、株主総会の場で。社員代表として、全員の前で、こいつに、責任を取れと、何度も」
「それ、十二年前の話だろう」
俺は短く息を吐いた。白い息が、俺の口元から出て、空中で結晶になった。
「十二年前の言葉を、十二年経って、もう一回、言うつもりはあるか」
藤代の右手が、わずかに、揺れた。
冷気の蓄えが、まだ完了していない。次の射出までに、まだ間がある。その間、藤代は、俺の問いに答える必要があった。答えなければ、俺の問いに飲まれて、自分の異能の制御を一瞬、失う。
藤代は、答えなかった。
代わりに、両手をまた俺の方に向けて、ありったけの冷気を、まとめて放出してきた。
今度は、二筋の細い指向性ではなく、扇状の広範囲だった。蓄えの不完全な状態で無理に射出した結果、藤代の異能は、指向性と範囲のバランスを崩した。広い扇形に拡散した冷気は、密度が薄く、その分、俺一人をピンポイントで攻撃する精度を失っていた。
俺は、左手を前に突き出した。
突き出した手のひらに、扇形の冷気が当たる。当たる前に、俺は手のひらの空気の運動量に「外向き」のベクトルを乗せた。冷気が、俺の手のひらを中心に、放射状に外側へ押し戻された。倉庫の天井、壁、床に、扇形の霜が放射状に張り付いた。早川の縛り付けられた縦パイプの周りには、霜が届かないように、俺は手のひらの中央付近のベクトルを、わずかに上方向に逸らした。
冷気が散った後、俺は、藤代の方に走った。
五メートルの距離は、二歩で詰めた。
藤代は、次の冷気を蓄える時間がない。手を上げる前に、俺の右手が、彼の右肩を掴んだ。
「面倒くせえな」
俺は短く言った。
藤代の右肩を掴んだまま、彼の右腕の運動量を、肩の関節で「外側」に逸らした。腕を折るのではない。腕の動かし方を、本人の意志と関係なく、外向きに操作しただけだ。藤代の右腕は、彼自身の意志で「俺に向ける」ことができなくなった。
次に、俺は左手で、藤代の左手首を掴んだ。
左手首の腱の動きを、有機物操作で、軽く止めた。腱の収縮を抑える程度の介入だった。藤代の左手は、開いたまま、握る動作を取れなくなった。
両手を封じた。
冷気の射出には、手の動きが要る。藤代の異能は、手のひらを介して指向性を持たせる仕組みだった。手が動かなければ、空間温度を維持することはできても、指向性を持って射出することはできない。
「藤代秀夫」
俺は、彼の名を呼んだ。
藤代の目が、俺の目を見た。
怒り、混乱、それから、一瞬の、別のものが目の中を通り過ぎた。理解、と呼ぶには早すぎる、何かの感情の予兆だった。
「あんた、十二年間、誰かにこう言われたことあるか」
「何を、だ」
「『お前は、悪いことをしている』って、面と向かって言われたことが、あるか」
藤代の表情が、止まった。
倉庫の中の冷気が、わずかに、緩んだ。藤代の異能が、彼自身の動揺で、出力を一段下げた。
「俺は、別に、あんたに正義を説きに来たわけじゃない。あんたの怒りに、正当性があるかないかも、判定しに来たわけじゃない。ただ、あんたの今やってることは、悪いことだ。早川さんを殺さないつもりでも、結果として、早川さんは死にかけてる。それは、悪いことだ」
「俺の十二年を、お前に何が分かる」
「分からない」
俺は、短く答えた。
「分かるなんて、言うつもりもない。けど、悪いことは、悪い。あんたの十二年が重いから、悪いことが軽くなるわけじゃない」
藤代の手が、震え始めた。
俺が止めた腱とは別の場所で、彼自身の感情が、震えとなって出てきていた。
倉庫の温度が、もう一段、緩んだ。
俺は短く息を吸った。次の段階に、入れる、と判断した。




