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天眼の手は、コーヒーが冷めるまでに帰る  作者: 七宵 凪
羽鳥神社の本殿には固まった祈りが立っている
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羽鳥神社の本殿には固まった祈りが立っている②

 琴生の旧市街は、坂が多い。


 駅前のロータリーから北へ五分歩くと、平成のうちに建て替えられた商業ビルが途切れて、戦後すぐの建物が混ざる住宅街になる。さらに北へ進むと、明治の終わりからそのまま残っているらしい古い塀が、坂道の両側に立ち並ぶ。塀の上から伸びた庭木の枝が、道に影を落としている。


 七海は俺の半歩斜め後ろを歩いていた。


 大判のトートバッグを胸の前で抱えて、視線は前方の坂の上に向いている。擬装の砕けた口調は、人通りのある道では普通の女子大生の声音に戻している。


「タクマ君、神社の宮司さんって、どんな仕事してるか知ってる?」


「祈祷、儀式、年中行事、氏子の対応、神社の維持管理」


「うん、それと、毎朝のお勤め」


「お勤め」


「うん。本殿で、一日の始まりに、決まった祝詞を上げるんだって。氏子の人が、その朝の祝詞の声を、子供の頃から聞いて育ってる」


 七海が、トートバッグの口を少しだけ開いた。中から、薄い紙束が顔を出す。氏子の口コミを組織の観測網が拾ったメモらしい。


「複数の氏子さんが、半年くらい前から、朝の祝詞の声が、おかしいって言ってる。出てない、じゃないんだよ。聞こえてる時もあるし、聞こえない時もある。聞こえる時も、なんていうのかな、伸びてる途中で固まってる、みたいな」


「固まってる、ね」


 俺はいまの言葉を、頭の中で繰り返す。


 固まる。


 声が、空中で固まる。


 厄介な方の話だ、と直感する。場所の固着でも、儀式の形骸化でもない。所作そのものが空間に固定されている。


 坂をひとつ越えると、低い塀に囲まれた一画が見えてくる。


 石の鳥居。柱の根元に、白っぽい苔。鳥居の奥に、玉砂利の参道。参道の左右に古い灯籠。突き当たりに、瓦屋根の本殿。


 羽鳥神社、と、鳥居の脇の石碑に彫られている。


 俺と七海は鳥居の手前で足を止めた。


「ここから先、ちょっと、空気が変なんだ」


 七海が、トートバッグの口を閉じる。


「タクマ君、感じる?」


 俺は鳥居の中に視線を入れる。


 空気が、というより、空気の運動が、止まっている。


 風はあるはずだ。坂の上から海寄りに向けて、午後の風が吹いている。塀の外側では、庭木の枝が揺れている。けれど鳥居の内側に入ると、その枝の揺れが、止まる。葉の揺れも、止まる。参道の玉砂利を踏む音が、たぶん、空中の途中で固まる。


「正しい方向、正しい強さ、正しい順番」


 俺は半分独り言として言った。


「祈りの所作って、たぶん、そういう細かい型の積み重ねだ。それが空間に固まると、空間の方も、決まった方向にしか動かなくなる」


「うん」


 七海が頷く。


「だからボク、タクマ君を呼んだんだ。型を解くのは、タクマ君の方が得意でしょ」


「面倒くせえ仕事だな」


 言いながら、鳥居の中に足を踏み入れる。


 その瞬間、足の裏に、抵抗があった。


 玉砂利の上を踏んだはずなのに、玉砂利の方が踏まれ方を選ぶ感触。歩幅。足の運び。重心の置き方。それらに「正しい型」があって、その型から外れた踏み方を、空間が押し返してくる。


 俺は半歩、立ち止まる。


「タクマ君?」


「いや、いま、空間に挨拶された」


「挨拶?」


「『お前の歩き方は、正しくない』って、足の裏から言われた」


 七海の表情が、擬装から一段降りた。観察者の素の方の七海が、短く呟く。


「ボクの方は、たぶん、踏まれ方を選ばれないと思う。性別と、体重と、足の運びと、たぶん装束に関係する型なんだよ、これ」


「装束」


「うん。神職の朝のお勤めは、装束の動き方も含めて『正しさ』の体系の中にある。タクマ君は外から来た男性で、装束を着てない。だから、足の運びの型に引っかかった」


 俺はもう一歩、踏み込む。


 今度は、玉砂利が、もう少し強く押し返してくる。


 ここは厄介な方の話だ、と、もう一度、心の中で確認する。


 所作の体系が、空間の物理の方を支配し始めている。


 ということは、宮司本人の身体は、たぶん、もうかなり奥まで固められている。

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