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月魂の命根〜カラス将軍、敵神官への一途な恋が招く世界の終焉〜  作者: 更科 佳世晴


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第34話 この世をば我が世とぞ思ふ捉月の王




「この呪縛を解け!! 帝国軍を血祭りにあげてやる!!!」


 変異を抑えこまれながらも、瞳孔を限界まで見ひらいて黎(れい)は咆哮する。


 逆上して狂気に髪をふり乱す大将軍の殺気に、周囲の兵士たちが気圧されて後退った。

 首筋からこめかみへ血管を浮き出させ、牙をむく獣。その気迫だけで空気が凍りつく。


「……玄海!! 心底慕い、父だと信じていたのに……! よくも出雲を!!」


「俺もお前を息子として愛していた。だがお前は恩を仇で返した。当然の報いだ!」


 精鋭兵を戦慄させる狂気にも、玄海はみじんも動じず冷淡に応じる。死も神殺しも恐れぬ男に、威嚇など通用しない。


「お前の選択が、その未熟さが、あの女を殺したのだ」


 玄海の言葉が胸を刺し貫く。黎は奥歯を慣らしてわなわなと震える。


「それが……血の通った人間のやることかよ……ッ!!」


「お前もその一端を担ったはずだ。領土を広げるために里を焼き、街を焼き、大勢の命を奪ってきた。帝国を阻む神官となんの違いがある」


「違う……! 俺は……!!」


 否定の言葉とは裏腹に、網膜へ凄惨な戦火がよみがえる。玄海から与えられた居場所を失う恐怖から、みずからの手で異色の民を屠(ほふ)ってきた。


 将軍の地位も、その手についた血の対価だ。玄海を責める資格など最初からありはしない。だが──目の前の男は、化け物と呼ばれた自分以上にゆがみきっていた。


「俺は血に飢えた化け物だ……! だがな……あんたは人の面をかぶった悪鬼だ!!」


「青臭い戯言を吐くな! 谷底へ突き落とす親心も解らぬ未熟者め。どこまでも俺についてくると誓った口でなにを言う!」


 血の混じった唾を吐く黎を、玄海が一喝した。


「これが覇道の頂に立つということだ! 俺の最愛の親友も、長年連れ添った妃も、天塩にかけ育てた幼い長子ですら、眼前で犠牲となった。その逆境こそが俺を強くしたのだ!」


 惨絶な事実。黎は玄海が歩んできた茨の道の片鱗を突きつけられる。知った気になっていた父の過去すら、自分はなにも知らなかった。


 玄海は腰の宝剣を引き抜き、月守(つきもり)の喉元へ冷たい刃を突きつける。


「月守。不老長寿の術について吐け。吐かねば殺す」


「術などない。ただの理だ。私はまだ死ねぬ。この身は災禍と死者の魂を鎮める要」


「俺はその災害をこうむった。貴様の存在が人から自立を奪う。全土を統一する帝国に、神の慈悲など不要だ!」


 狂信によってタガが外れ、権力をむさぼりつくした人間の極致。その玄海に殺される間際になっても、月守は神色自若とした態度をくずさない。


 狂宴に酔う玄海と、静まり返り対峙する月守。黎の目には、双方が人の皮をかぶった底知れぬ怪物として映っていた。




*




 壊れた。なにもかも。


 出雲を守るために泥をなめ、生きぬいてきた日々の執着。

 黎のすべてをつなぎ止めていた細い糸が、不可逆の音を立てて断ち切れてゆく。


 どの選択を誤った。


 あの日、玄海のさし伸べた手にすがらねば違っていたのか。

 既望(きぼう)の手を取り、城をぬけ出していれば良かったのか。


 それとも───出雲と出会わなければ、あいつは死なずにすんだのか。


『二人がいなければ、とっくに飢え死にしていた命だもの』


 散りぎわに残されたかすれ声が、鼓膜の奥で熱くゆれ、視界をゆがませる。


 違う。忘れたのか。


 山柿の木から落ちてきた出雲を己の背中で受け止めた、あの秋の匂いを。渋柿でも目を潤ませて、嬉しそうにかじりついていた可憐な横顔を。


 命が潰えた暗黒の中で、その記憶だけが鮮烈な色彩を放ち、脳裏に焼きついて離れない。


『本心から目を逸らせば、あとに残るのは取り返しのつかない悔恨だけだ。失ってから泣き叫んでも、二度と命は戻らんぞ』


 雨夜、危険を冒して会いに来た既望の静謐な声が脳裏をうつ。

 既望も知っていたのだ。この身を刺し穿つ絶望を。だからこそ、愚かな己へ手をさし伸べ続けた。


 冷たい御影石の地面へ目を向ける。そこには涙すら流さず、ただ項垂れる銀髪の男が、茫然(ぼうぜん)と座していた。


 あいつに出会ったことを悔いるなど、どこまで己は卑怯なのか。


 悔いるべきはただひとつ。土壇場になるまで本心から目を逸らし続けてきた己の過ち───いつか嫌われ、拒絶されることを恐れ、目の前の愛情を拒み続けた己の弱さだ。


 これほど深く愛されていたというのに、すべてを失うその時まで気づけなかった、己の底知れぬ愚かさ。


 黎の胸底で、将軍としての驕(おご)りを支えていた熱がすっと冷えて消えた。

 喉の奥から押し寄せる血の味と後悔が、胸の空洞を重く満たしていく。


 それと同調するように、広場の夜気が目に見えてひずみ始めた。




 *




 狂気に双眸を濁らせた玄海を前に、月守は静かに視線を落とした。

 視線の先にあるのは、白磁の石畳へ無惨に伏した既望の姿。


「また、お前か……」


 月守の薄い唇から、果てしない歳月をはらんだ重い吐息がもれる。


「人界に災いを撒き散らし、幾度、肉の器をかえて生まれ変われば学ぶのだ」


「……なんのことだ」


 出雲が遺した銀灰色の血だまりのかたわらで、絶望をなめる既望の銀瞳がゆれた。

 月守は目の前に立つ玄海を視界から完全に排除し、淡々と言葉をつむぐ。


「霊獣の身でありながら不覚にも死を重ね、記憶を失い、人災の火種を燃え広がらせる。そのたびにお前へ説法を垂れねばならぬとは」


 黎の首筋に食いこむ太い麻縄が、みしみしときしんだ。

 恩師への不審な叱責。霊獣。それは半獣を指す異称か。


 存在を無視された玄海が、不快そうにむき出しの牙を鳴らす。


「戯れ言を! 形ばかりの神木にすぎぬ身で、俺の所有物に口を利くな!!」


 金糸の雲竜文様が躍る黒の重甲衣をひるがし、玄海が詰め寄る。


 柄頭に黒曜石がはめこまれた宝剣の白刃が月守のうなじへ食いこみ、真一文字の傷を刻む。白銀の血が筋となってあふれ、黒く染まった装束へしたたり落ちた。


「そやつは、人間に支配できる代物ではない」


「俺への負け惜しみか。現にこうして、俺の足元にひざまずいているではないか」


 剣で切りつけられても、黎の眼前に立つ神はひるみもしない。


 ただ、怒りに首を小刻みに震わせ、手の甲にねじこまれた螺旋釘(らせんてい)の激痛に、薄い胸をわずかに波打たせるのみ。


 頭上からあびせられた神官の血が、月守の白い皮膚と白妙の神職装束を赤黒く汚していた。

 しかし、その混濁の中で、白銀の双眸だけが底知れぬ憤怒を宿し、赫々(かくかく)と光を放ち始める。


 清浄なる精霊神の面影は消えた。奈落からはい出た異形そのものの威圧が、処刑場の夜気を漆黒にぬり替えていく。


「月守よ。言い残すことはあるか」


「……黒曜のみが救えなんだか。歴代の月守がいくら言葉を尽くそうと、お前たちはついぞ愚行を省みなかった……。この数千年間、黒曜の地に戦火の途絶えた刻など百年とてない」


 冷気と怒気をはらんだため息が、広場の静寂を凍りつかせる。


「俺たちを救うだと? 鎖につながれ、石柱の一部に成り果てた泥人形が……どの口で宣うか!」


「精霊らに命ずれば、お前の国など一瞬で潰える」


 玄海は鼻で笑い捨てた。


「ハッタリだ! すでに全土をほぼ制した。俺の築く世が破れるはずもない!」


「この世が、お前一人の掌中にあると?」


「そうだ。武力で統御せねば領土は再び割拠し、民の流血は止まらぬ。ゆえに俺が束ねる!」


 どこまでも己の覇道を疑わぬ皇帝を前に、月守の首の震えがふっとおさまった。ただ、底冷えする視線と声音を静かにたたきつける。


「お前という楔(くさび)が折れれば、再び千年先まで地獄が続こう。今度は全土を巻きこむ、終わりのない殺戮(さつりく)の泥試合だ」


「それこそが、神の庇護を捨てた理想の世だ! 誰もが奪い合い、俺の遺志を喰らい合って強くなる。武威を誇る者こそが天を戴くのだ!」


「......数多が蹂躙(じゅうりん)され死ぬぞ。業深き世に作り替えた、お前の罪は重い」


「俺の罪を裁けるのは皇帝たる俺だけだ! 死ねば月に還るのだろう? だがな、奪われた者は必ず奪い返すのが人間の業だ。神の慈悲ごときで乱世は終わらん!!」


 玄海の喝破に、月守の喉の奥から乾いた笑いがもれた。


『 ── 禊(みそ) ぐ か 否 か 、 憐 憫(れんびん) は 尽 き た ── 』


 神の面貌から一切の温度が消え去り、ただ禍々しい弧が口元に刻まれる。

 黎の背筋の毛羽がいっせいに跳ねあがる。


( なんだ、今の声は…… 空間そのものがひずんだ。)


 月守の発した声音には、人間の鼓膜ではとらえきれぬ異様な周波が混ざり合っていた。


 篝火(かがりび)の赤黒い炎が縮こまり、黒煙が地をはう。天上と地脈の底から、獣のうなり声に似たにぶい風音と地鳴りがひびき始めた。


 胸の奥が圧し潰されるような異様な圧迫感が、逆上していた神経を瞬時に冷却する。得体の知れぬ破滅の予感に、野性の本能が悲鳴をあげた。


 石畳の隅を、山ネズミやトカゲといった小動物たちが狂乱して走りぬけ、暗がりへ消えていく。


 玄海は剣を引き、月守の顎を分厚い手でわしづかみにした。


「笑いおったな。四肢をそぎ落とし、檻(おり)に入れて帝都の市街にさらしてやる。神とてただの肉の塊にすぎぬと、民草の目に焼きつけてくれる」


「やめろ! 出雲と既望をふみにじり、月守の尊厳まで汚す気か!!」


 狂王の凶行に、黎は喉を破らんばかりに咆哮した。


 神など信じないと出雲に言い放った日があった。だが今は、まだ息のある既望と、出雲が最期に遺した祈りだけが、黎の魂が現世につなぎ止められる唯一のよすがだった。


「貴様が神だと騙(かた)るなら見せてみろ! その証拠を!!」


 玄海が月守の黒く濡れた髪を力まかせに引き寄せる。掌に穿たれた釘が傷口を押し広げ、血があふれ出た。

 だが、月守はまばたき一つせず玄海を真っ向から見すえ、静かに唇を動かした。


『 ──── 黎(れい) 黒(こく) 玄 海 。爾(なんじ) は 百 の 訓 戒 を 足 蹴 に し 、百 の 罪 な き 神 官 を 殺 戮 し た 。我 が 逆 鱗(げきりん) を 叩 い た 数 じ ゃ 』


 地底から響くような、幾千年もの時をはらんだ重低音。

 心臓を直接つかまれたような重圧。肺が酸素を拒絶し、息が浅く乱れる。


( ……来る!)


 周囲の山々から、猛獣たちの咆哮(ほうこう)がいっせいにとどろいた。大樹をゆらし、無数の渡り鳥が暗夜の空へと飛び立つ羽音が空鳴りとなって耳腔を刺す。


( なにかが、起きる! 玄海たちには、この異様さが分からんのか ───!?)




ありがとうございます。絵文字や★などあれば今後の執筆に役立てます。


<タイトル/慣用句>

この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも 無しと思へば:

平安時代の権力者・藤原道長が詠んだとされる非常に有名な和歌。通称「望月の歌」。


猿猴捉月(えんこうそくげつ):

猿たちが水面に映った月を捕まえようとして、枝が折れて水に落ちて溺れ死んでしまったという愚かさを戒める寓話。身の程知らずの行動や、自分の能力を考えずに不相応な大望を抱き、無謀なことをして失敗し、すべてを失うことの例え。


小説挿絵を公開中|note

https://note.com/k_s_shina/m/ma5add2652847


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