第33話 雲散鴉没、風雲急の月殺し
「月守とその配下三名。一人が抗えば、残る三人の首と腕が夜風に舞うぞ」
精霊神すら見世物の生贄にすえた玄海が、酷薄な顎で兵たちを指図する。
強引に引きずり出された既望が出雲が、冷え冷えとした御影石の上へ膝をつかされた。冴え返る抜身の白刃が、黎、出雲、既望、月守の四人の首筋へ、同時に容赦なく押し当てられる。
父と仰いできた男の底なしの嗜虐に、黎のこめかみからいびつな脂汗がしたたり落ちた。
「……既望、出雲を選べ! 俺の命など最初から捨てている!」
「やめて! 勝手なこと言わないでよ……! 師匠がどんな思いで烏丸を探しまわっていたか知ってるの? あなたが死んだら、なにもかもが無意味になる!」
既望の隣で、出雲が黎に向かって悲痛な声を張りあげる。
「……解っている! だが俺は、お前たちを棄てて皇帝を選んだ裏切り者だ。生き残る資格など……はなから無い!」
血のにじむ唇を噛みしめ、黎は既望へ命を乞うた。
「既望、頼む……出雲を生かしてくれ!!」
「いや! 烏丸が助かるなら、私の命なんていくらでもあげる! 主上を失えば世界が大災になるのよ……! 師匠、二人を助けて……お願い!!」
「ならぬ。私はもう、永すぎる刻を生きた。お前たちは生きて春を迎えよ。───陛下、この血肉とひき換えに、若い二人をお逃がしください! いかなる罰も甘んじてお受けいたします!」
首筋に喰いこむ刃の冷たさも忘れ、三人が己の命を賭けて生かそうと必死になる。
黎は汗をにじませ歯を食いしばり、出雲は涙に濡れた瞳で訴え、既望は蒼白な額を地面へこすりつけ苛烈に懇願し続けた。
その醜くも美しい命の乞い合いを前に、切迫した空気を破り、玄海が腹の底から嘲笑う。
「涙ぐましい血の絆だな。余興としては上出来だ。赫夜、黎。神の愛し子たる月守との縁は、その小娘がつないでおるのだな」
「父上、俺に神との縁などありません……! 出雲は……出雲だけは、俺が生きる理由のすべてだった! 彼女を逃がし、この腹をかき切るつもりでした……! どうか、俺の命で贖わせてください!」
喉から血を吐く思いで黎が叫ぶ。
「将軍たる男の破滅を呼ぶ弱点か。全土統一を阻む敵への情けなど、見せしめとして断ち切るに限る」
玄海の一言で命の灯火が消える絶望に、口内が干上がっていく。
出雲と視線が交錯した。
怯えに身を震わせる黎に対し、刃を突きつけられた出雲の瞳には、ゆるぎない覚悟の静寂が宿っていた。
「月守の神官でなくば、我が息子の妃として迎えてやったものを。運がなかったな、小娘」
「ち、父上……ッ! お願いです、出雲を……俺からあいつを奪わないでくれ……!!」
情けなく声を震わせる黎の頭上を、夜気を割る豪笑がおおう。
「───玄海、もうやめよ……! これ以上、私に人を呪わせるな……!」
沈黙を貫いていた月守が、ついに吠えた。神の威厳を脱ぎ捨てた、生々しく泥臭い人間の叫び。
「その子は、愛する者を救いたい一心で治療術を修めただけの無垢な娘だ! お前の歩む覇道を邪魔立てなどせぬ!」
「俺の世になにが不要かを決めるのは、貴様ではない」
玄海の分厚い指が、ゆっくりと出雲を指し示した。
「決めた。その女の首を刎ねよ」
月守へ当てつける、あまりに無慈悲な死の宣告。
創世の精霊神すら衝撃に喉を鳴らし、絶句した。
黒衣をまとう兵士たちが、出雲の華奢な身体を容赦なく引きずり出す。冷たい石の上へ、力まかせにその頭を押さえつけた。
「やめろ! 父上、やめてくれッ!!」
「おやめ下さい、陛下!!」
身を乗り出そうとした既望の目前で、黎の首筋に刃が食いこんだ。黒く濁った血が、一筋、皮表を伝い落ちる。
「赫夜、抗えばどうなるか解るな。───黎。恩師の逃げる足が永遠に奪われるぞ。おとなしく処罰を受け入れよ」
冷徹な警告とともに、凍りつく既望の膝上にも切先が突き立てられ、純銀の血がにじみ出た。
石に額を押しつけられたまま、出雲がとぎれとぎれの声で口を開く。
「師匠、私は平気……! 二人がいなければ、とっくに飢え死にしていた命だもの。ずっと、守られてばかりだった……けれど、最後まで、二人を守り返せなかったな……」
身を苛む恐怖と全身の震えを必死に押し殺し、出雲は最期の言葉をつむいでいく。
訪れようとする決定的な破滅を拒み、黎は息を荒らげてただただ激しく頭を横にふり続けた。
同時に、既望の唇がわなないた。師としての矜持など跡形もなく消え失せている。
ただ実の娘のごとく愛惜をそそいできた者として、血の涙を流さんばかりに冷や汗をしたたらせ、虚しく首をふる。
「……違う!お前たちを守ることで、私が救われたのだ!!出雲、そんなに急いで私を置いていくな......!お前が旅立つには、まだ早すぎる……ッ!!」
ふたりの悲鳴を受け止めながら、出雲はどこまでも慈しみをこめた、気丈な微笑みを浮かべた。
「いつか、師匠をお父さんと呼んで……烏丸の羽を休める場所になりたかった。三人で本当の家族になって、カラスの子を育てて、ずっと一緒に生きたかった……」
暗澹たる絶望のなかで、黎のすべてを包みこむ、あまりに温かな遺言。
黎の胸が引き裂かれ、目頭が焼けるように熱くうずいた。
「俺は、お前が無事ならなにもいらねえ……! 俺より先に逝くなッ……逝かないでくれ……!!」
出雲へ想いを届かせたい己の喉が、みじめにかすれて破綻した。
気の利いた愛の言葉すらつむげない。
出雲の背後に静立する緇条が、無言で重厚な処刑剣をなめらかに抜き放つ。
湿った夜風が出雲の細いうなじをなでた。
漆黒の死影が、彼女の小さな背中をぬり潰していく。
まさに命が潰えようとするその淵で、出雲がかろうじて横目を向け、絶望にゆれる黎の瞳孔へ、そっと視線を重ね合わせた。
「……烏丸。あの、白い待雪草の花言葉……覚えてる?」
不意の問いかけ。
黎の胸奥で、雪を割って咲く一朶の花が鮮烈に芽吹く。
泥土にまみれ、互いの息の温もりだけを頼りに生きのびていた、あの原点へ心が引き戻される。
『死』と『希望』。
相反するふたつの意味のうち、出雲が抱きしめ続けたのは『希望』だ。
黎の唇が痙攣し、熱い雫が頬をつたい落ちた。
「ああ……忘れるわけねえ。お前によく似た……世界で一番、綺麗な花だ」
言葉を受け取った出雲の頬に、ふっと可憐な笑みが咲く。
「……私、また烏丸に会えるの、いつまででも待ってる。……大丈夫、春は必ず来るから」
世界の残酷さを優しく溶かす、澄み切った声。
それを断ち切るように、玄海の無情な号令が夜気を引き裂いた。
血の気を失った既望がとっさに顔を伏せる。
「いずもッ!!!!─────」
黎の悲鳴。
一閃する刃とともに、か細く響いた無常の音。
黎の目の前で、出雲は己の誇りをみじんも汚すことなく、一瞬で両断された。
「─────ゔっあ”あ”あ”あ”あ”ああああ!!!!」
咽喉の奥から、みずからのものと思えぬ大絶叫が噴きあがる。鼓膜を破る不快な濁音が夜空へひびき渡った。
石畳へ転がった出雲の首から、銀の粒子をまとう灰霄の血があふれ出す。その特別な血は、美しくも残酷に、なめらかな御影石の上に大輪の花弁を描いた。
「その灰霄の血を一滴も逃さず桶へ回収しろ。同胞の霊術師を討伐する触媒に使う」
黎が狂乱して泣き叫ぶ間にも、玄海の淡々とした命令が飛ぶ。
玄海は、赤黒い血をあびた月守を見下ろした。
「…………なぜ、ここまで非道なまねを!」
月守の端正な顔が激痛と絶望にゆがむ。声音と頭部が小刻みに震えていた。
月魄色の瞳が、濡れた黒髪の隙間から玄海を鋭くにらみつける。創世以来、初めて人間に殺意を向けられた神の、純粋な驚愕がそこにあった。
「神は人を弱くする。飢えも戦も奪い合いも、人を強くするための試練だ。生き残る者だけが次の世界を築く」
黎へ冷徹な視線を向け、玄海は首をふった。
「だが我が息子は、試練を乗り越えられなかった。俺が神殺しの手本を見せてやる。眼に焼きつけよ」
「くそ……ッ! ちくしょう!! 俺を試すためだけに、出雲を殺したのか……ッ! 外道が!!」
血の唾を飛ばして吐き捨てる。
花を愛し、傷ついた者を癒やしてきた無害な出雲を切り捨て、亡骸まで蹂躙する凶行。
己の居場所だった帝国軍は、出雲の命を奪った敵どもの巣窟へと成り果てた。腹の底からどす黒い憎悪が湧きあがり、猛毒となって全身の血をめぐる。
「殺す……! ひとり残らず噛み殺して、八つ裂きにしてやる……ッ!!」
紅蓮の怒りで全身の血が沸騰した。視界が赤く染まり、ツウと鼻腔から生温かい血が垂れる。思考が焼き切れ、黎は鎖を引きちぎらんと狂乱して身をよじった。
黒曜の鎧が猛然と騒音を立て、拘束された手首から血しぶきが舞う。
「この地ごとたたき潰す……!!貴様ら全員皆殺しだ!!!」
限界まで憎悪に満ちあふれたこの世界の均衡は、黎の精神の崩壊とともに、終わりの時を告げようとしていた。
<タイトル/慣用句>
雲散鳥没:
雲が散り、鳥が姿を消すように、跡形もなく姿を消してしまうことを意味する四字熟語。
風雲急を告げる:
今にも大きな変動や事件が起きそうな、緊迫した情勢が差し迫っている様子。
小説挿絵を公開中|note
https://note.com/k_s_shina/m/ma5add2652847
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