第31話 鴉月と花に嵐
視線の先で、迷いなくこちらへ直進してくる出雲。
叫びが、確かに彼女の胸へと届いた。
「──私、烏丸と一緒にいく……!」
決意の込められた出雲の声音がひびき、黎の鼓膜と鼓動を大きくゆらした。
勝手に背を向けた己を、出雲は再び信じ、求めてくれている。ただそれだけで全身の血が熱く脈動し、底知れぬ力があふれ出した。
(出雲は、俺が絶対に守る……!)
霊能を封じる黒泥の呪具。ならば、純粋な肉体の質量と圧力でねじ伏せるまでだ。
両腕の中で異形の筋繊維が限界を超えて膨張する。肉を食い破るほどの力が鋼の環を極限までゆがませ、甲高い破砕音とともに、呪いを帯びた鉄鎖が四散した。
背中に巻きついた金網状の呪具を力まかせにむしり取り、白磁の床へたたきつける。
銀灰の髪をふり乱し、出雲が間近まで迫る。
六年の年月を経て、心の奥底で焦がれ続けた白き花が目の前にある。黎の胸の奥が、壊れるほどの熱量で跳ねあがった。
無事をこの手で確かめたい。その一心で、互いに腕を伸ばす。
「出雲! 俺はずっとお前を──」
人を殺めて黒い血の染みついた無骨な掌。人を癒す白く透き通った手指。
二人の指先が交差する、まさにその瞬間。
無情な鉄小手が、背後から出雲の細い腕を強引につかみあげた。
「うっ……!?」
直後、黎の背中と後頭部に容赦ない重打がたたきこまれる。脳震盪の衝撃で視界が白濁し、冷え切った白磁の床へたたきつけられた。
「……ッお前ら……! その神官を、放せ……!」
「反逆者の貴様に指揮権など無い! おとなしくしろ!」
精鋭兵の中には、長年戦場をともにした見知った顔もある。
しかし、私情をいっさいそぎ落とした冷淡な眼光は、自分自身が部下にたたきこんできた軍人の姿そのものだった。
頼みこんだところで一歩も引かない現実を、痛いほど理解させられる。
割れた頭皮から顔面へ、温かい血が伝い落ちる。意識の混濁を激しい首ふりでふき飛ばし、出雲の姿を追い求めて顔をあげた。
「烏丸に乱暴しないで! 貴方たちの仲間ではないの!」
身を挺して自分をかばおうとする、出雲の悲痛な叫びが遠ざかっていく。
どれほど歳月が流れようと変わらない。己の身を省みず、自分を案じ続ける出雲。その彼女を目の前で強奪される理不尽に、視界が朱く染まった。
「出雲を連れて行くな......! どけッ!!」
黒曜の鎧が悲鳴をあげ、右腕から首筋にかけて漆黒の羽毛がふき出す。右半身を強制的に変異させ、異形と化した腕で鎖の残骸を激しくふりまわした。
抑えこんでいた屈強な兵士三人ごと、一撃で壁際へたたき飛ばす。
床に転がっていた長剣の柄を左手で握りしめ、出雲を拘束する兵へ向けて地を蹴ろうとした、その瞬間。
「動けば、この女の首を跳ねるぞ!」
冷酷な怒号と共に、出雲の白皙の首筋へ鋭利な刃が押し当てられた。
薄皮が切れ、一筋の血が伝い落ちる。灰白色の神官装束の襟へ、灰色の濃い染みが広がった。
沸騰していた血潮が瞬時に氷結し、全身の機能が完全に停止する。
「お前が鴉へと化けた瞬間、こいつを殺す。おとなしく縄につけ。出軍の総指揮官として、陛下が赫夜を連れ、八光丘へお越しだ」
脳裏を、冷たい石壁で鎖に繋がれていた既望の姿が過ぎる。恩師もまた、自分という人質を取られ、今の自分とまったく同じ絶対的な無力感と苦渋を味わったのだ。
「こいつが黎将軍の弱点か。側室も取らず、このような小娘に執着していたとはな」
緇条の口角がいびつにつりあがり、せせら笑う。
「神官の血は霊薬となる。この女の血は、さぞ高濃度で極上の貢物となろう。月守とすべての神官らまとめて、最後の一滴までしぼり取ってやる」
残酷な宣告に全身が戦慄する。両腕を背後で縛られた出雲が、細い肩をつかまれたまま強引に引きずられていく。
「それだけはやめろ……! 待て、出雲──!!」
「烏丸ッ……烏丸ッ!!」
涙をあふれさせ、連行されながらふり返る出雲。
その前方を進まされていた神官長・稲佐が、深く重い声をひびかせた。
「 お前たち、主上の血を霊薬にするつもりか......!最初から人質を解放する気などなかったのだな」
神官長たる威厳と気迫に圧され、兵士の拘束具を握る手がわずかにゆるむ。その隙を見逃さず、背中で拘束されていた稲佐が渾身の体当たりを見せた。
「その者は兵士を殺傷した危険な術師だ! 殺せ!」
緇条の顔が怒りにゆがむ。兵士たちが一斉に長剣を構えて肉薄する。
乱闘の混乱に乗じ、右手の全指関節をみずから外していた稲佐は、鋼の拘束具から無理やり腕を引き抜いた。
「──我が骨肉を凍て散らせ、絶界結」
自由になった片手で、残る拘束具がはまった己の手首ごと冷気で凍らせ、一瞬で砕き落とした。青い氷晶が飛散する。
錬丹術の封印から完全に解き放たれた稲佐。装束にはめこまれた触媒石と深青の双眸が、極寒の霊気を帯びて鋭く輝いた。
「 蒼冥一閃──氷嵐散華!」
詠唱の完了を待たず、戦慣れした緇条が後方へ転がるように退く。
稲佐の足元から白磁の床を極寒の冷気が疾走し、剣を掲げた兵士たちが一瞬にして青い氷塊へと変わった。
後衛から押し寄せる兵士たちの進行をさえぎる壁となり、凍りついた死体に行手を阻まれる。
足止めを食らった兵士たちへ寒威の猛追が襲いかかった。大気中の水分を一瞬で吸い上げた氷核が、汗と血に濡れた兵士たちの表皮へへばりつく。
ピシシと不気味な音を立てて透明な氷の被膜が全身を侵食し、関節ごと鎧へ縫い止めた。
「ぎゃあッ───」
絶叫すら喉の奥まで氷漬けにされ、メリメリと肉体がきしむ生々しい異音が神聖な空間にひびき渡る。
青淵領の戦闘で目にした、絶対零度の錬丹術。
脂汗を流し、片腕を失った決死の稲佐が出雲へと視線を走らせる。
「泣くな出雲! 貴女の植えた花を思い出しなさい……!私は主上の手足となりに行く!」
出雲を鼓舞し、稲佐がさらなる術を展開しようと口を開いた刹那。
前方へ気を取られた神官長の背後へ迫る影をとらえ、黎は反射的に叫んだ。
「神官長! 後ろだ!!」
だが、戦場の駆け引きを知らぬ神官を葬ることなど、帝国の練達たる緇条にはあまりに容易かった。
気配を消して背後へ忍び寄った一刃が、迷いのない殺意をこめてふり下ろされる。
にぶい骨の破壊音がひびいた。黎と出雲の目の前で、稲佐の首が静かに胴体からすべり落ちる。
跳ねた頭部が白磁の床を転がり、瑠璃色の血が凄惨な弧を描いて飛び散った。頭部を失った肉体がゆらぎ、真っ白な神官装束を青く染めてくずれ落ちる。
「青淵の錬丹術師など、我が軍の敵ではない」
緇条は青く濡れた剣身をひと振りし、血を払い落とした。
眼前にいた出雲の顔が驚愕に引きつる。
「神官長……! いやあああッ!」
悲痛な叫びが夜闇をつんざく。生温かい青い血飛沫が、清廉な空間を色濃く汚染していく。
「陛下の命だ。霊能を持つ神官の血をもらさず集めよ! 灰霄の里攻めの兵器とする!」
巨大な鉄箍のはまった木桶が、兵士たちの手で粗暴に運びこまれる。
首を失った肉体が傾けられ、断ち切られた頸脈からあふれ出る瑠璃色の血が、重い音を立ててなみなみと注がれていく。木肌を青く染め上げながら、生温かい金属質の臭気が周囲を満たしていく。
兵士たちは互いに言葉すら交わさず、ただの軍需品を採集する淡々とした作業を重ねていた。
出雲の庇護者であった神官長の命が、無機質な道具として搾取されていく。白磁の床へ広がる青い血痕と、頭部を失って横たわる白い装束。
出雲の瞳から光が潰え、血の気を失った唇が絶望に震えた。
(見るな、出雲……!)
流血を誰よりも厭う彼女に、これ以上の不浄を突きつけさせまいと、黎は喉を切り裂く勢いで吠えた。
「やめろぉおお!!」
しかし、無数の重い鉄鎖が再び全身にからみつき、冷えた床へ固く縫いつけられる。指先ひとつ動かすことすら叶わない。
神など信じたことはなかった。父たる皇帝も神に頼るなと教えてきた。
それでも、出雲だけは。
( 神よ、俺の命などどうなってもいい。出雲だけでも救ってくれるなら……一生、地獄をはいまわっても構わない……!)
生まれて初めて捧げた、見えぬ神への切実な祈り。
黒甲の軍勢が押し寄せ、厚い叢雲が月をおおい隠す。出雲の白い姿が完全に闇へのみこまれていった。
月光を失った鴉の夜闇。血を吐くような黎の絶叫だけが、燃え盛る精霊殿の空へと虚しく吸いこまれていく。
<タイトル/慣用句>
花に嵐:
美しく咲き誇った花に激しい嵐が吹きつけて散らしてしまうように、良い時に限って災難が起こること。
井伏鱒二による唐の詩人・于武陵の漢詩を独自の感性で名訳した『勧酒』で有名な一節「花発多風雨 人生足別離(花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ)」。
小説挿絵を公開中|note
https://note.com/k_s_shina/m/ma5add2652847




