第29話 月亡き夜に釜ぬかれ
八光丘の頂にそびえる精霊殿を目指した黎は、神への面会を強行する。
武器の所持をいっさい禁じた白磁の聖域。八光丘の境界をふさぐ石門の前、三名の神兵が立ちふさがる。黎がまとう黒曜帝国の軍服を認めた瞬間、後方の神兵二名が柄へ手を伸ばした。
シャリ、と澄んだ硬質な音がひびく。引き抜かれた刀身は銀藍の不気味な光を帯び、バチバチと青白い静電気を弾けさせていた
鼻の奥を刺すような金属的な生臭いツンとした刺激臭。前方に立つ神兵は手首の刻印を蒼く発光させ、即座に術を放てるよう指組みを重ねている。
(前の神兵は霊術使い。後ろのふたりは風と雷電を操る灰霄の錬丹術使いか)
数々の死線をくぐりぬけてきた黎の双眸は、一瞥で敵の布陣を見破る。
未知の術式ではあるが、恐怖はない。胸を占めるのは、ただひとつ──時間がないという焦渇だった。
「黒曜帝国大将軍、黎と申す。至急、精霊殿へ凶事を伝えに参った。俺に戦う意思はない」
低く言い放つが、神兵たちの険悪な表情はくずれない。
黎は左胸へ手を伸ばすと、着物に縫いとめられていた大将軍の勲章を乱暴にむしりとった。純金製の重厚な飾りが、夜の闇ににぶく光る。それを無造作に足元へ放り投げた。
「皇帝陛下が精霊殿への侵攻をくわだてている。月守へ直接お伝えしたい」
将軍の象徴を捨て去る行為に、神兵たちの目の色が変わる。
「帝国軍が我らに対し敵意をいだいているのは明白だ。貴殿を精霊殿に入れて安全だという証拠がどこにある!」
「……俺の幼名は烏丸という。ここに身をあずけている出雲という娘とともに育った。彼女を死なせたくない……せめて、出雲だけでも逃がしたくてここへ来た。望みはそれだけだ」
敵意がない証明として、黎は愛用の大剣を鞘ごと門前へつき立てた。
出雲の名を口にした瞬間、神兵のひとりが驚愕に目を見ひらく。
「……ここで待て。神官長に確認する」
霊術使いの神兵が言い残し、八光丘へ続く果てしない白磁の階段を駆けあがっていった。
*
刻一刻とけずられていく時間。
やがて立ち入り許可が降りると、黎の手の甲へ冷たい呪具が押し当てられた。皮膚が焦げるような冷気が走り、霊術の霊能と錬丹術を発動させる魄命力を縛る黒い呪印が刻みこまれる。
黒曜の髪瞳をまとうがゆえに、神兵たちは知らない。黎の最大の武器が、己の身体を変異させる鴉の力であることを。
広大な神殿の入り口をふみしめると、青髪の老女がたたずんでいた。
「──ようこそ、黎大将軍。神官長の稲佐と申す。主上が貴方に会うと仰せだ。だが、この霊廟で不敬を働けば、即座にその身を氷塊に変えて砕くぞ」
双眸を青く光らせる稲佐の足元から、極寒の冷気がはいあがってくる。重厚な白装束にはめこまれた青石が燐光を放つ。それは装飾ではなく、青淵の錬丹術を起動させるための触媒だ。
「分かっている。……出雲はどこだ」
「あの子にはまだ伝えておらぬ。今は傷ついた者の治療で手が離せぬのだ。雑念は人命救助の妨げになる」
治療──その言葉に、兵士たちのウワサが重なる。
敵味方のへだてなく救護をほどこす神官とは、やはり出雲のことだった。
神殿内を神官長に連れられ、静寂に包まれた回廊を歩く。白磁の柱が黄色い蝋燭の火を映し、濃密な影をけずり出していく。
一刻の猶予もない出雲の危機。黎の頭の中は、これまで目を背けてきたはずの彼女の姿一色に染まっていく。
同時に、口が渇くほどの切迫感が、いつもは冷徹な思考回路をめぐらせる黎の冷静さと五感の鋭敏さを狂わせていた。
*
広大な敷地に建てられた精霊殿の月守がいる場所までたどり着くのに、永遠と錯覚するほどの時間を歩かされた。走り出したい衝動をおさえ、闇に沈む本殿の最奥に案内される。
光源をもたぬまま、存在そのものがほのかな光彩を放つ一角へたどり着いた。
白妙の装束の裾を飾る銀糸の刺繍が、わずかな星明かりを吸いこみ、足元に月の満ち欠けを浮かびあがらせている。
気配は人そのもの。だが、流れる髪も双眸も、虹色の光彩を散らす月魄の色。
精霊神、月守の巫女──望。
心の奥底まで見透かすように黎を凝視した後、彫刻のごとき無表情で口を開く。
「───稲佐。その者には、敵意も偽りもない。出雲を呼べ」
「……承知しました」
神官長は深く一礼して退出した。
黎は無駄な礼をそぎ落とし、対等な一人の男として声をひそめた。
「望殿。直言する。今宵、俺は帝国の宣戦布告の使者として送られた。だが、俺は貴女たちと戦いたくない。至急、ここから逃げられよ」
月守は悠然とした所作で、庭にそびえる銀杏の大木を示した。
「逃げよ、か……あの銀杏が苗木の頃も、人間は同じことを口にしていた」
人間とかけ離れた時間感覚。黎は焦燥をむき出しにして一歩ふみ出す。
「皇帝の狙いは神殺しだ! 次の望月に大軍が押し寄せる。神官らを連れて今すぐ身を伏せよ! 俺が出雲を南西まで逃がす!」
月守の月魄の瞳が、静かな哀しみで黎を見すえた。
「一足遅かったな。昨夜、すでに数名の神官がさらわれ、人質にとられた。私が逃げても反撃しても、あの子たちは殺される」
「何だと……! 人質など初耳だ! だが神官ならば霊術で対抗できるはず──」
「八光丘の四方には、大地から霊脈を切り離す絶界の楔が打ちこまれた。この丘の上では霊術が使えぬ……霊能を封じる術式に長けた灰霄の捕虜兵が、結界の維持を担わされている」
全身の血が引き積もっていく。
軍事最高指揮権をもつ己にいっさいを知らせず、皇帝はこの惨劇の準備を着々と進めていたのだ。
「かろうじて錬丹術は使えるが、錬丹術師は神官長と数少ない神兵だけ。人質があるために帝国軍に術を向けられぬ……出雲も霊術が発動できずに治療に支障が出ている」
「治療している場合ではない。あと半月もすれば、この八光丘全体が戦火にのまれるんだぞ!」
「だから、そなたをここに通した。皇帝を説得せよ。大将軍の権限をもって、この丘を封じる捕虜兵に術を解かせよ」
禁戦区域の安寧に甘んじてきた月守は、玄海という男の底知れぬ狂気を知らない。
灰霄の捕虜兵に術を解かせようにも、家族を人質にされた彼らが従うと思えない。ましてや軍事において、玄海を説得など不可能だ。
黎が唇を開きかけた、その瞬間。
ドドンッ!!
激しい爆音とともに、重厚な本殿の扉が内側へ吹き飛んだ。
「黒曜の錬丹術......!」
衝撃音からして、磁場の斬撃による建物破壊。
緑青色の不気味な錬丹炎が白磁の柱をなめあげ、異臭が満ちる。静寂の聖域が、またたく間に怒号と鋼のこすれる戦場へと反転した。
立ちこめる煙の奥から姿を現したのは、完全武装した帝国軍の精鋭部隊と、酷薄な笑みを浮かべる緇条だった。
「───話が違うぞ!!」
黎が身体を半転させ、鴉への変異を試みた瞬間。
背後から放たれた重石つきの金網が、黎の半獣化しかけた肢体を苛烈にからめとった。
「くっ……獣化できん……!?」
なだれこんできた兵士たちに押さえつけられ、首筋に冷ややかな白刃が押し当てられる。黎を捕縛するのを想定していたような手際の良さ。
「半獣の化身を封じる霊術具だ。鴉になれぬお前など、なんの価値もない!」
緇条の嘲笑がひびき、黒い塗料のぬられた重厚な鎖が黎の手首を締めあげた。霊能も半獣の変異も強制的にそぎ落とす呪具の冷たさ。
「皇帝陛下の勅命だ。様子のおかしかったお前の屋敷を探らせた。馬が無かったゆえ、進攻の時刻を早めたのだ」
「なに……!?」
「近頃の黎大将軍には迷いが見えると、陛下は案じておられた。試されたのだよ、お前は。開戦は次の望月ではない。今宵、この月亡き夜だ」
「馬鹿な!」
「お前の私室近辺と、八光丘周辺には斥候を複数ひそませていた。お前の動きはすべて陛下に筒抜けだ!」
全身の機能が凍りつく。
月守へ情報を流そうとした己のあがきすら、すべてあの男の盤上の遊戯にすぎなかった。
黒い兜をかぶった武装兵たちが濁流となって押し寄せる。精霊殿は、一匹の羽虫すら逃さぬ軍勢によって完全に包囲されていた。
<タイトル/慣用句>
月夜に釜を抜かれる:
明るい月夜であっても(見つかりやすいのに)大きな釜を盗まれてしまうことから、すっかり油断して大失敗をすることのたとえ。ここでは反対にした表現で、油断も隙もない暗い夜に大きな釜を盗まれるという意味、あるいは油断できない状況を表す言葉。
小説挿絵はこちら
https://note.com/k_s_shina/n/ndd911d898637




