第2話 籠の鴉、雲を恋う(1)
舌根を焼く野草の渋みと共に、烏丸は胃袋の痙攣を無理やり飲み込んだ。
傍らへ視線を流す。出雲はぬかるみにまみれた粗末な麻衣の袖を握り締め、湿った腐葉土の上で丸くなっていた。
「家族、探しに行かなくていいのかよ」
ぶっきらぼうな問いに、出雲の灰色の双眸が小さく揺れる。
「もう会えない。半年前、帝国軍に村が焼かれた時……私だけが森へ逃がされたの。生き残った人は誰もいないって、後から」
淡々と紡がれる声の末尾が、唐突にひび割れた。
「だから、一人で生きていかなきゃ......」
虚勢を追い越して、灰色の瞳から堪えきれない雫がこぼれ落ちる。泥と煤にまみれた細い頬に、幾本もの白い筋が引かれた。出雲は汚れた袖口で顔を乱暴にこする。
目の前で肩を震わせる少女。
烏丸は伸ばしかけた手を空中で止め、行き場を失った指先で自分の首の後ろを強く掻いた。他人の慰め方など、知る由もない。
ひとしきり涙を拭い、出雲が腫れた目で顔を上げる。
「烏丸には、家族はいないの?」
烏丸は短く舌打ちをした。己の素性など口にしたくもない。
だが、真っ直ぐな視線を浴びせられ、無下にもできなかった。
「……親に捨てられた。残飯をくれる家を転々としたが、もう他人にすがるのはやめた」
「今は、どうやって生きているの?」
「野山で魚や山菜を取って食いしのぐ。木も獣も、俺を蔑みはしない」
戦火の絶えないこの黒曜領で、孤児を憐れむ者などいない。ましてや烏丸は忌み嫌われる半獣だ。
烏丸を見るなり、村の大人たちは汚れた獣を払う手つきで石を投げつけた。同年代の子供が近づけば、親たちは血相を変えて引き離す。獣の血が混ざることを何よりも恐れているのだ。
逃亡した半獣が広場で死ぬまで鞭打たれた凄惨な死臭が、今も烏丸の記憶にこびりついている。だからこそ、人里を徹底して避けてきた。
だが、出雲は逃げなかった。
「私、一人でどう生きればいいか分からない。烏丸の側にいたら、生きる術を覚えられるかもしれない」
「俺と一緒に暮らす気か。俺は半獣だぞ。お前の親が、あの世で顔をしかめる」
自嘲気味に吐き捨てた言葉に、出雲は不思議そうに小首を傾げる。
「なんで。私が暮らしていた西部じゃ、半獣は腕が立つし頑丈だから、すごく頼りにされているよ」
「……そうなのか」
黒曜領の残酷な掟しか知らぬ烏丸は、灰霄における文化の違いに虚を突かれた。
「お父さんもお母さんも、烏丸のことを好きになる。私を助けてくれた、すごく優しい人だもん」
一切の揺らぎもなく放たれた断言。
正体を知りながら、恐怖も嫌悪も向けず、ただ真っ直ぐに存在を肯定されたのは、烏丸にとって生まれて初めての出来事だった。
「どうしてもついて来たいなら、好きにしろ」
烏丸は視線を逸らし、立ち上がる。背後で、出雲が小さく安堵の息を漏らした。
深い森に入ると、烏丸は生存の術を徹底的に叩き込んだ。
澄んだ水脈の辿り方、獣道の痕跡、毒草の見分け方。
出雲はその一つ一つを食い入るように見つめ、泥だらけの手で手触りを確かめていく。
ふと、出雲が鮮やかな赤い実をつけた低木を指差した。
「この実、食べられる? 葉っぱを虫が食べているから、平気かなって」
「やめとけ。胃を焼かれるぞ。虫の腹には効かなくても、人間の腸を腐らせる果実なんて山ほどある」
即答した烏丸に、出雲はふふっと笑いを漏らした。
「食べたことある言い方」
「……食って三日三晩、反吐を吐いた」
憮然として歩き出し、烏丸は朽ちた倒木の前で足を止めた。
美しい赤褐色。肉厚で白い傘を持った菌類が群生している。烏丸は息を吹きかけ、表面の土粒を払った。
「ヤマドリタケだ。毒はないし身が詰まってる。よくあぶって食うぞ」
烏丸は黒い着物の裾をたくし上げ、籠代わりに山菜やキノコを放り込んでいく。植物の青臭い樹液と黒土がこすれ、衣類は汚れていく。
沢の近くに腰を下ろした。
烏丸は乾いた落ち葉と細かく裂いた樹皮を集めると、手慣れた仕草で火打石を打ち合わせた。カチ、カチッと硬い音が森に響く。
散った火花が枯れ葉の繊維に落ちて細い煙を上げると、烏丸は顔を近づけ、そっと息を吹き込んで火種を育てた。
パチリと小さく爆ぜる音と共に、ボッと赤い炎が立ち上がる。
即席の竈に平たい熱石を乗せ、ヤマドリタケを並べる。ジュッと水分が弾け、芳醇で香ばしい匂いが周囲の空気を満たした。
岩塩を削って振りかけ、縁の欠けた木椀と、無骨な木の箸を出雲に渡す。
「食え」
「……ありがとう」
熱々の身を割いて口に運ぶ烏丸を確かめてから、出雲もかじりついた。
途端、灰色の瞳が大きく見開かれる。
「美味しい……。私もこの山で生きる術、絶対に覚える」
満足そうに噛みしめる出雲の声には、確かな熱が宿っていた。
食後、明日の獲物を探して歩く烏丸の傍らで、出雲は黙々と手を動かしていた。しなやかな蔓草と、細長い熊笹の葉を器用に交差させていく。
「できた」
差し出されたのは、底の浅い即席の編み籠だった。所々隙間はあるが、木の実やキノコを乗せるには十分だ。
「木登りは下手なくせに、手先は器用だな」
「お母さんに教わったの。これがあれば、烏丸の服がこれ以上汚れないし、私も荷物を持てるでしょ」
笑う出雲の小さな手は、細かい擦り傷だらけだ。植物の強いアクが染み込み、爪の先まで青黒く汚れている。
自分の薄汚れた一張羅のために、彼女は痛みを堪えて蔓を編んだのだ。
烏丸の胸の奥深くに、ひどく熱い塊が落ちた。
「ねえ烏丸。もっと食べられるキノコを教えて」
「……いいぜ、ついて来い」
気丈な出雲に頼られ、烏丸は無意識に白い歯をこぼしていた。
歩き出す二人の足取りは、昨日よりもわずかに軽い。
残酷な世界から切り離された森の片隅で、互いの欠落を埋め合わせる小さな日々が始まろうとしていた。




