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月魂の命根〜カラス将軍、敵神官への一途な恋が招く世界の終焉〜  作者: 更科 佳世晴


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第18話 月下、屋烏の愛に狂う狐 ー既望Sideー




 白い外套(がいとう)の頭巾を深くかぶった男が、周囲にくまなく目配せしながら路地を歩いている。


 既望(きぼう)が広大な黒曜帝国内で烏丸を探し始め、すでに数年の月日が流れていた。


 奴隷商の店はしらみ潰しに探したが、目当ての鴉の半獣は見つからない。


 戦禍の爪痕が残る街道をぬけ、新たな街へ着くたび、既望が真っ先に足を運ぶのは歓楽街だ。


 欲望がうずまく吹きだまりには、地位も名誉も関係なく有象無象(うぞうむぞう)が集う。玉石混交の軍事情報がもっとも早く飛び交う場所であることを、既望は己の暗い過去から熟知していた。


 宵の歓楽街は、競い合うように毒々しい朱色の提灯(ちょうちん)と行燈(あんどん)がともされている。


 二階の欄干から、高位の遊女が作り笑いで優雅に手をふる。

 階下では、白粉を分厚くぬった年増の女が既望の顔を見るなり、甲高い声を上げた。


「あら、すっごいいい男! お兄さん、うちの店によって行かない?」


「すまぬが先を急いでいる。……ああ、せっかくだ、少し尋ねてもいいか」


 外套の奥から甘い声で頼み事をすれば、女は頬を染めてすりよってくる。きつい麝香(じゃこう)の香りと、他人の汗と脂の混じった不快な臭い。


 既望は眉間がわずかにゆがむのをこらえ、愛想よく口端を引きあげた。


「私は飛翔する半獣の奴隷を探している。賢い雄の鴉なんかは、この辺りにいないか」


「鴉? 半獣の見世物小屋ならこの街の西側にもあるけど、鳥は見たことないねぇ」


「臭いに聡くて、力仕事にも向いていると聞くのだが」


「鳥だと飛んで逃げちまうだろ。日中は足に枷(かせ)をはめられて、郊外で重労働させられてるやつらなら見たことあるよ」


 女はそう言うと、赤い爪の生えた手で既望の腕へ強引にからみついた。


「でも、人の姿をしてるから鴉かどうかは分からないね。それより、今度はあたしの頼みを聞いてちょうだいよ」


「今日は金の持ち合わせがない。また今度遊びにこよう」


 金がないと告げた瞬間、女は露骨に口をとがらせて腕を離した。

 分かりやすい欲望の変転。


 街を歩けば、武装した兵たちとすれ違う。彼らの視線がからんでも、既望が追われることはない。

 霊術で黒髪黒目の黒曜民に擬態しているからだ。


 教えられた街の西側へ向かい、奴隷商の檻がならぶ見世物小屋へ足をふみいれる。


 鉄格子の中。首や手足に重い鉄の枷をはめられた半獣たちが、光を失った死んだような目で外の既望を見つめ返してきた。


 商人へ探りをいれるが、やはり鴉はいないの一点張りだ。


 烏丸を探し求めているのに、この薄汚れた檻の中に彼がいない事実に、既望の口から深い安堵の息がもれた。


(あの子が鉄の首輪をつけられ、絶望にまみれている姿など……見たいものか)




*




 脳裏をよぎるのは、野山で生き生きと駆けまわっていた少年の姿。


 思春期の烏丸は、出雲がより添うたび、不器用に目をそらして頬を染めていた。

 出会った当初から、烏丸は命がけで出雲を守り、出雲もまた烏丸の傷を必死でかばっていた。


 血縁ではない二人が、男女として互いを強烈に想い合っているのは明白だった。既望は気付かぬふりをして、その初々しさをほほえましく見守ってきた。


 だが、帝国軍の戦火が広がるにつれ、烏丸の表情に暗い影が落ちるようになった。灰霄(かいしょう)領へ逃げることを提案したのは、二人の笑顔が消えぬことを願ってのことだった。


(あれが逆効果だったというのか。永く生きていることが仇になった。あの子の抱える底なしの不安に気付けぬとは……)


 敵領へ足をふみいれる不安。


 半獣蔑視がもっとも色濃い帝国で生まれ育った彼には、世界すべてが敵に見えていたはずだ。弱音を吐いて他人を頼ることを知らないあの子を、結果的に孤立させてしまった。


 既望は唇を噛みしめる。


 出雲をまっさきに気遣いながら、既望の無事も頻繁に気にしていた烏丸。その不器用な優しさと、懸命に霊術を学ぶ出雲の純真さ。


 三人で暮らしたあの温かな日々だけが、人間不信で荒れ果てた既望の心を洗い流してくれた。


 他人の欲望に己を切り売りし、血と欲にまみれて生き延びてきた不浄な自分が、少しだけまともな「人間」になれたような気がしたのだ。


「……あの子たちは、私の家族だ。絶対に取り戻す」


 外套の下で拳をにぎりしめる。

 二人と暮らしていた頃は温もりを感じていた己の肌が、いまはひどく冷たい。


『お前の肌が冷たすぎなんだ。飯、ちゃんと食ってんのか?』


 烏丸のぶっきらぼうな声が鮮明によみがる。ハッとして、焦燥感から己の肉体をないがしろにしていたことに気づいた。


 不老長寿で怪我もすぐ治り、容易に死なないだけのこの体は、食わずとも機能はする。だが、胃袋はひどく飢えを訴えていた。


「ああ……そうだな。ちゃんと食わねばな」




*




 既望はふらつく足取りで、大衆向けの酒場へ入った。


 あえて客の多い中央の席へ腰を下ろし、外套を脱ぐ。

 安い酒と、好物である油揚げ巾着の甘酢飯を注文した。


 耳のいい既望は、飯を咀嚼(そしゃく)しながら、店内にひびくすべての客の会話へ意識の糸を張りめぐらせる。


 愛想の良さと、擬態してなお隠しきれない陶器のような白肌。

 優美な顔立ちと細身で手足のすらりと長い美丈夫。


 給仕の男女が用事もなく話しかけてくる。既望は何気なく半獣の話題をふるが、誰ひとりとして鴉を知らなかった。

 

 周囲の客たちも、既望の容貌をねっとりとした好奇の目でなめまわしてくる。

 突き刺さる欲の視線に吐き気を覚えながらも、ゆっくりと杯をかたむけ、有用な情報を探り続ける。




*




 一刻ほどそうしていた時だ。

 壁際で声をひそめる男二人の会話に、「半獣」という単語が引っかかった。


「……冗談だろ。青淵(せいえん)の軍師を討ち取ったのは、半獣だって?」


「本当さ。数年前の当時、俺はその軍にいたんだ。翌日まで膠着(こうちゃく)して死を覚悟したが、空を飛んだ黒い鳥が敵の頭脳を潰した」


「まさか。帝国軍が半獣の兵隊を飼ってるなんて」


 既望はうつむいたまま、焦燥をおさえるために杯を持つ指の力を抜いた。


「だが、手柄をあげたその半獣は、将軍に昇格したらしいぜ。まだ十代のうちに皇帝の寵愛を受けたってうわさだ。人間様だって一生お目にかかれないってのに」


「職につくのも許されない身分だろ。半獣の将軍なんて初めて聞いたぜ。そいつは、何者なんだ?」


「さあな。ただ、馬鹿でかい鴉みたいな半獣ってことしか知らねえ。ほぼ壊滅した前衛兵の中で、そいつの指揮のおかげで俺は生きのびられたんだ。まさか、家畜に救われるとはな」


 鴉。その単語を聞いた瞬間、既望の瞳孔が限界まで拡張した。

 視線だけで追いかけた男たちは、ほろ酔い顔で嘲笑を浮かべている。


(まさか……烏丸が、帝国軍の将軍だと……?)


 胸の奥で、心臓が警鐘を鳴らすように激しく打ち始めた。


 重要な手がかりを得た既望は、残りの酒を置き去りにし、無言で銀貨を卓に置いて店を出た。




*




「そこのお兄さん! 遊んでいきなよ」


 通りへ出ると、再び客引きの女たちが群がってくる。既望は頭巾を深く引き下げ、猥雑(わいざつ)な喧騒を強引に切り裂いて歩く。


 お兄さんなどと呼ばれる齢ではない。望んでもいないのに、この呪われた肉体は忌々しいほど人を惹きつける。


 初めはこの容貌で好意を向けられる。だが、時が経ち老いない不気味さに気づかれた途端、その好意は醜い嫉妬と悪意へ反転する。


 悪意が自分に向かう間はまだいい。やがて人間たちは、既望の最も愛する存在を標的にし始めるのだ。


 過去の記憶が、胃液とともにせり上がってくる。


 身勝手な悋気(りんき)に狂った人間たちに、命より大切にしていた者を無惨に蹂躙(じゅうりん)され、その腹の子もろとも命を奪われた夜。


 仇討ちを糧とし、激情に任せて関係者すべてを屠(ほふ)り、返り血で視界が赫(あか)く染まったあの感触。


 絶望してみずから首を刃でかき切っても、肉体はすぐに傷をふさぎ、死ぬことすら許されなかった。


『貴様は何者だ!……化け物。なんでお前ばかりが得をする』


 数十年ぶりに帰郷した故郷で、親友だった男から吐き捨てられた冷淡な声が、耳の奥でこだまする。


 初めて精霊殿で遭遇した月守(つきもり)の、あのすべてを見透かすような冷たい声音に、魂をうがたれる感覚が脳裏をよぎる。


(私は、化け物などではない。人を愛することができる、れっきとした人間だ……!)


 不快な記憶をかき消すため、既望は頭巾の下で己の頬に深々と爪を立てた。


 肉が裂け、傷口から銀色の血が冷たくしたたり落ちる。


 だが次の瞬間には、断ち切られた肉の繊維がうごめき合い、何事もなかったかのように傷跡がふさがっていく。その不気味な感触と痛みが、強制的に悪い反芻(はんすう)を断ち切った。


「烏丸……皇帝に囚われ、使役されているのか。事実ならば、どうりで見つからぬわけだ」


 漆黒の擬態の奥にひそむ銀の眼光に、どす黒い狂気が宿る。


「黒曜皇帝……よくも我らの平和を引き裂いたな。もっとも惨めな方法で蹂躙し、喉笛を噛み千切って殺してやろうか……!」


 永く沈めてきた凄まじい憎悪が、腹の底から鎌首をもたげる。


(いや、慌てるな。烏丸がなにを対価に使役されているのか、すべてを暴き出してからだ。)


 長く生きて培ってきた理性が、かろうじて情念の暴走を押しとどめる。


 あの子たちが、自分がこんな血塗られた過去を持つ異形だと知る必要はない。知らずに済むのなら、一生隠し通す。


 喪失による絶望と罪悪感に、親になどなる気になれなかった己が、あの二人を想うと愛おしさで胸があふれそうになる。


 孤独な烏丸の側にいてやりたい。出雲とともに、彼らの行く末を見届けたい。

 ただ、それだけなのだ。


 この国境の端から黒曜帝国の城まで向かい、城内に乗り込むには、おそらく数ヶ月はかかる。


 烏丸が将軍として逃げ出せないのは、術でつながれているのか、あるいは、弱みを握られているのか。

 だとしたら、皇帝に謁見し交渉の策をこうじねばならない。


 はやる気持ちが呼吸を浅くする。

 足早に街道を抜け、人けのない暗闇の路地裏へまぎれこんだ。


 外套の下で、既望の全身が銀色に光り、溶けて収縮した。

 直後、その場に現れたのは、月光を弾くような優美な一尾の銀狐。


 銀狐は獣の姿で、しなやかに地面を蹴って跳躍する。


「……待っていろ、烏丸。私が必ず、地獄から連れ出してやる」


 闇夜の屋根を蹴り、皇帝の座す黎黒城(れいこくじょう)へ向けて、銀の尾がまっしぐらに駆け抜けていった。




<タイトル/慣用句>

屋烏の愛 (おくうのあい):

一人の人を深く愛するあまり、その人の住む家の屋根にとまっているカラスにまで愛情や好意が及ぶという意味。転じて、極めて愛情が深いことや、関係するものすべてを愛おしく思う気持ちを例えた言葉。


小説挿絵はこちら

https://note.com/k_s_shina/n/n3a4cde42a7e0


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