第16話 鴉巣生鳳、月を騙る
2026/09/14 改稿(最新)
紫耀領に吹く風は、肺を焼くほどに乾ききっていた。
日中は容赦のない熱波が砂をあぶり、夜になれば一転して、骨の髄まで凍てつく冷気が大地をおおいつくす。
この苛酷な環境下で、紫耀の民はかぎられた湧水泉の周囲に点在し、かろうじて命をつないでいる。
年中熱気を帯びる南部・紅灼領の猛々しい民とは異なる。
この地の紫血の人々の寿命は、わずか三十年。
その短命の呪いが男たちから死への恐怖を奪いさり、自暴自棄の闘争本能をたぎらせていた。
彼らは己の血脈を遺すため、そしてわずかな資源を得るために、同族同士で他里の人間を奪いあう。
内紛にあけ暮れる彼らに、軍としての連携などみじんもない。
*
軍議の間で、円卓を囲む将軍たちの顔には、一様に疲労と苛立ちがにじむ。
「頭を潰せば統率がくずれる青淵とはわけが違う。紫耀は、頭のない無数の毒蛇だ」
五十代で現役をはる大将軍の緇条が、重々しい声で戦況の膠着を吐き捨てた。
中央の玉座に座すのは、若々しい容貌をたもつ皇帝・玄海。
そしてそのかたわらには、次回の出陣統括をまかされた五千人将の黎がひかえている。
黎は持ち前の野性の嗅覚で、すでにこの領土の生態系をあばき出していた。
「まともに大軍を動かせば、地の利と死を恐れぬ特攻の前に、自軍の血を流し続けるだけです」
「ほお? 既存の戦術を否定するなら、相応の策があるのだろうな」
緇条が眉間に深いシワを刻み、不快感をあらわにする。
円卓に居ならぶ歴戦の武官たちも、最年少の武将を侮蔑する冷ややかな視線を黎につき刺した。
黎はその敵意の雨を無表情に受け流す。
「全面制圧は下策。俺ならば『同族喰い』をさせる。帝国軍は空から死肉をねらう鴉だ。敵同士で狩りあいをさせ、疲弊しきった隙に領土を奪う」
空気が凍りついた。一拍遅れて、円卓のあちこちから嘲笑がもれ出る。
「横取りの理屈は分かったが、具体的に我ら鴉はどう動く?」
ひとりの若い将軍が、皮肉の笑みをうかべて問うた。
「この地に根づく神、月守の威光を騙る」
黎の静かな告白に、軍議の場が騒然とどよめいた。
玄海は口をへの字に曲げ、不快そうに鼻を鳴らす。
「神などにすがる輩の気が知れん」
「ええ。ですが、ここではその盲信を利用します」
黎は円卓に広げられた地図の南西、いまは無人の耕作地帯を指さした。
「月守の保護区といつわり、紫耀領内の女子供を無血で南西の土地へ逃がす。自給自足が可能な土地だ」
「女子供だけを保護してなんの利点がある?」
緇条が身をのり出した。
「敵は三十年で死ぬ。戦士として剣を振るえるのはせいぜい十年。次代を産み育てる女と子供を帝国の民として囲いこんでしまえば、十年先には紫耀の敵は自動的に消滅する」
淡々と告げられたその冷酷な真理に、若い将軍たちの口から「なるほど」と感嘆がもれる。
黎はさらに言葉を継いだ。
「紫耀の弱者は、常に略奪の恐怖にさらされている。月守の慈悲と騙れば、勝手に我が領へすがりついてくる。
命と生活を保障したのち、それが皇帝の威光であると種明かしをし、絶対の忠誠をすりこむ」
「……確かに、庇護を求める弱者ほど神にすがる。だが、いま現在、剣を抜いている戦士どもはどうする」
緇条の問いに、黎は地図上の湧水泉をしめす数多の点を見つめた。
「やつらは同族同士の殺しあいに飢えた孤狼だ。俺たち鴉は餌で手なづけた群れを使い、従わない孤狼をかみ殺させる。点在する群れの首領ごとに交渉をもちかける。条件は女子供の絶対保護、帝国からの食料と資源の流通、そして帝国の特別傭兵の地位」
「やつらを捕虜ではなく、我が国の傭兵として、個別に雇うというのか」
黎はうなずき、武官たちを見渡した。
「俺も養成所に入る前は、やつらと同じ野良犬だった。実力を買われ、衣食住が満たされれば、刃を向ける理由はなくなる」
大軍の激突しか知らない将軍たちの思考が、黎の奇策に追いつかず、重苦しい沈黙が落ちた。
やがて、玄海の低い笑い声が軍議の間にひびきわたる。
「よかろう。その交渉、お前の好きにやってみろ」
「御意」
ここから、紫耀領を内側から崩壊させる前代未聞の侵攻が始まった。
*
国境沿いに布陣が敷かれ、月守の保護区設立を告げる触れが撒かれる。
信仰の伝播は、戦火の広がりよりも早かった。
「月守様のご加護をいただけると、触れを目にいたしました……」
紫の髪を砂埃で汚した女たちが、幼児の手を強く引き、次々と国境の陣へ姿を現す。
その場を指揮していた黎は、自身の理解を超えた人々の信仰の深さを目の当たりにしていた。
親を知らず、神にすがる隙すらなく泥土をはいずってきた黎にとって、目に見えぬ月守の存在など不可解な幻影に過ぎない。
だが、女たちの表情に張りついた不安と恐れは本物だった。危険を侵してまで故郷を捨てるだけの切迫した理由が、そこにはある。
慌ただしく行き交う兵士たちをかき分け、黎が一歩前に出た。
「俺がこの場を監督している。……貴女が一人目だ。よく勇気を出してくれた」
女はまだ若く、憂いを帯びた紫の瞳をゆらしていた。はかなげで線の細い側顔が、一瞬、胸の奥に刻まれた出雲の面影と重なる。
「……我らの領では、男たちが女子どもを物のように扱います。絶え間ない争いに巻きこまれ、生きている心地がいたしません。どうか、この子がおびえずに眠れる庇護を……」
「心得ている。この帝国内におわす神威が、貴女たちを守護するだろう」
真実は伏せ、この国における神威とは皇帝のことだと心の中で冷たく言い聞かせる。
黎の言葉に深く頭を下げた女の、乱れた横髪の隙間と首筋から痛々しいアザがのぞいた。母親の手を必死で握り返す息子の手首も、皮下出血で青紫に変色している。二人とも、日常的な暴力にさらされていたことは黎の目にも明白だった。
玄海の命ならば、投降せぬ村を見せしめに焼き払い、敵を屠ることすらためらいはしない。
だが、それは軍略としての理だ。戦にすら臨まぬこんな弱者にただの憂さ晴らしで拳をふるうなど、相手を選ばぬ野蛮な男の浅ましさには反吐が出る。
物心ついた頃から、身を寄せていた家の男たちに、うっぷん晴らしの打擲を受けて育った黎にとって、己の体にアザが増えることなど息をするのと変わらない。それでも、眼前のもっとも弱い幼子とその母親に理不尽な拳を振りあげる者の気が知れなかった。
もうすぐ出雲も、こうして子の手を引く母親になる。彼女が生きる世界に、そして灰霄領の隣に、そのような野蛮な暴力が存在すること自体が許しがたかった。
「黒曜民と同様の暮らしを保証する。耕作に適した肥沃な大地に『紫耀の村』を用意した。案ずるな」
安心させるように静かに告げると、女は目に大きな涙をためて深く頭を下げ、我が子をいとおしそうに抱きあげた。背負ったささやかな荷物が、重い音を立てる。
「──この女の荷物を持ってやれ。急いで荷馬車を用意し、村へ送れ!」
黎が手近な部下へ指示を飛ばすと、兵士たちがいっせいに動いた。
帝国軍は月守の加護を騙った以上、掲げた条件は厳格に遵守させた。
『紫耀侵攻において、女子供への危害を禁ず。破った兵は傍観者もろとも斬首』
この苛烈極まる絶対の軍律は、絶望の底にあった紫耀の女たちに強烈な安心感を植えつけた。
次世代の命という最大の弱みを完全に掌握した上で、黎は各湧水泉の首領たちへ次々と書状を放つ。
個別の『帝国傭兵』としての降伏と契約を、冷徹に突きつけるために。
<タイトル/慣用句>
鴉巣生鳳:
カラスの巣から鳳凰が生まれるように、平凡や不遇な環境から非凡な才能や優れた人物が現れること。
月を騙る:
光り輝く月(真実や高み)に見せかける、あるいは月すらもあざむくような巧みさや虚構。
小説挿絵はこちら
https://note.com/k_s_shina/n/nc07e93d9d9bc




