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月魂の命根〜カラス将軍、敵神官への一途な恋が招く世界の終焉〜  作者: 更科 佳世晴


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第14話 雲路に日月は墜ちず ー出雲Sideー




 黒曜の軍勢が、圧倒的な暴力で大陸の地図を黒くぬりつぶしていく。


 北の空を分厚くおおう暗雲の下で、烏丸が血生臭い帝国軍の頂へとかけあがっている事実を、出雲はいっさい知らない。


 白磁の回廊には、つねに清浄な白檀(びゃくだん)と青葉の香りが満ちている。外界の戦火や肉の焼ける臭いは、精霊殿をおおう分厚い結界にはじかれ、一抹たりとも届かない。


 皇帝の黒い影として生きる烏丸が、己の血を吐きだしているその同じ刻、出雲は完璧に隔離された静謐(せいひつ)な白の世界に囚われていた。


「出雲。術の展開速度が格段にあがったね」


 先輩神官の声に、出雲は指先へ集中させていた意識を解く。


 出雲のはなった銀色の光糸が、空中で複雑な幾何学模様をあみあげている。


 光の網は修行場に点在する極太の丸太を瞬時に捕縛し、一箇所へ引きずりよせて激しくしめあげていた。


「はい。でも、あの丸太を粉砕できるくらい、結界の強度をあげたい」


「粉砕って……貴女の霊術は、いったいなにに使うつもりなの?」


 出雲の血気盛んな返答に、先輩神官が怪訝(けげん)に眉をひそめる。


 丸太ごと敵を粉砕できれば、遠距離から血の臭いをかぐことなく、帝国軍をしりぞけられる。

 己の力が高まれば、この安全な檻をぬけだし、烏丸と既望(きぼう)を探しに行ける。


 出雲は本気でそう信じていた。




*




 昼下がり、白砂のしきつめられた庭園を、純白の法衣をまとった神官たちと歩く。


 彼女たちの衣には一分のよごれもない。出雲の細い両手も、野山をかけていた頃の泥は完全に落ちていた。


 だが、出雲の視線は神官たちのおだやかな談笑をすりぬけ、はるか彼方の空へ向かう。

 視線の先はつねに、黒曜領のある西の空だ。


「出雲。また手紙が届いているよ」


 手渡されたのは、宛名のない、しわだらけの封筒。


 封を切ると、かすかに沈丁花(じんちょうげ)の香りが鼻腔をくすぐった。


 定期的に届くその手紙には、出雲の息災を願う言葉と、ゆくえ知れずとなった烏丸の捜索状況が簡潔に記されている。


 文末の数行を読み、出雲の網膜が熱をもった。


『出雲。希望の花は咲いたか。私はあきらめない。必ず烏丸を連れて帰る』


 出雲は既望の筆跡を、胸に強く押しあてた。


「帝国軍が、とうとう北方領を制圧したそうよ。残るは西部の紫耀(しよう)領と灰霄(かいしょう)領のみ。……この精霊殿に危険はおよばないのかしら」


 回廊を行きかう神官たちの不穏なささやきが、出雲の鼓膜をうつ。


 降伏しなければ街ごと灰にされ、降伏しても故郷の誇りと文化を徹底的に破壊される。出雲の両親もそうして理不尽に命を散らした。


 帝国領土の中央に位置するこの精霊殿は、軍人たちの月守(つきもり)信仰という薄氷の上でかろうじて存続しているにすぎない。


 己の無力さに対する焦燥感が、出雲の背中をつき動かす。


 この世界の理を、創造主へ問いたださねばならない。




*




 出雲はひとり、精霊殿の表御殿最奥に位置する月魄(げっぱく)の間へ足をふみ入れた。


 天窓から降りそそぐ冷光の中、この世の創造主たる『月守』が静かに座している。


 実体をともないながらも、光の屈折によって輪郭がわずかにゆらぐほどの、玲瓏(れいろう)たる神気が空間を満たしていた。


 月守は月白色の卓上に純白の擦弦(さつげん)楽器を寝かせ、弓毛の張りかえを行っている。

 宵の儀式の準備だ。


 手なれた所作で松脂(まつやに)を弓毛にぬりこみ、軽く弦をこする。

 鼓膜を震わせる低く美しい共鳴音が、天井の高い大理石の空間に波紋となって広がった。


 霊魂にささげる楽器の手入れは、他の神官にはいっさい触れさせず月守みずからが行う。


 白銀の鋭い光沢をはなつその弓毛には、霊獣である麒麟(きりん)の尾が使われていると先輩神官から聞いたことがある。


「──そなたの全身の波が乱れている。今日はどのような悩みだ」


 弦から手をはなさず、視線の端で一瞥(いちべつ)しただけで、月守は出雲の心境を正確にみすかした。


 新参の神官である出雲は、こうして頻繁に月守から声をかけられる。先輩たちは、神の御前で心のゆらぎをみせることを未熟で恥ずべき行いだといましめる。


 だが、いくら冷水で禊(みそぎ)を行っても、胸の奥底でうずまく泥のような焦燥感をふり払うことはいまだにできていない。


「……なぜ主上は、神でありながら人間をお救いにならないのですか」


 冷えきった大理石に両膝をつき、出雲は声をしぼりだして問うた。

 弓の手入れを終えた月守は、いっさいの感情を排した静寂の双眸(そうぼう)を出雲へ向ける。


「長命ゆえに、人は私を誤解する。私は全知全能ではない。ゆえに、ただ生者を見守るのみだ」


 神の絶対的な宣告。出雲は強く首をふった。


「詭弁(きべん)です。天地を創造した神ならば、この悲惨な戦争を強制的に終わらせ、世界を変える力があるはずです」


「私に救済できるのは、自然霊と死霊(しれい)だけだ。この身は、そなたら神官があつかう程度の霊術すら行使できぬ」


「まさか……天地を鎮めるほどの力がおありなのにですか?」


「精霊の力は、ひ弱な人界そのものをたやすく消し飛ばす禁忌だ」


 直後、月魄の間の空気が極度に圧縮された。


 出雲の肺から酸素が奪われ、呼吸がつまる。天窓からさしこむ冷光が、目に見えぬ強大な質量によって屈折し、大理石の床が悲鳴をあげて鳴動した。


「人間へ直接力を行使する行為は、はるか天から地上の針穴へ向けて、巨大な鋼の柱をたたき落とすに等しい」


 出雲は息をのんだ。


 突きつけられた月守の力はあまりに甚大で、個人の命の救済どころか、大陸そのものを粉砕しかねない暴力だ。


「……ならば、人間である私が戦いに行きます。ここで世界が変わるのをただ待っているだけなんて、もう耐えられない。鍛えあげたこの霊術を使えば、流血をみずとも帝国軍をしりぞけられるはずです!」


「霊能を流血の戦に使ってはならぬ」


 月守の厳格な声が、空間そのものを震わせた。


「なぜですか」


「霊能とは元来、精霊の力だ。神代の昔、天界から一匹の霊獣が逃げだした」


 月守の目がまばたいた直後。出雲の脳内に、強烈な幻視がながれこむ。


 視界を真っ白に染めあげる閃光のただ中。九つの尾を持つ巨大な獣が、天を仰いで咆哮(ほうこう)している。


 銀色の霊光をおびた、純白にちかい完璧な銀灰色の毛並み。その神々しいまでの美しさが、逆に底知れぬ恐怖をあおり立てる。


 獣は人間の姿へなり代わり、人と交わり、霊妙にして破壊的な力を地上の血脈へまき散らしていく。


 おぞましい光景に、出雲は全身に鳥肌を立てた。


「灰霄の民は、その末裔(まつえい)。血はすでに他色へと拡散した。人世において、悪しき因果と終わりなき戦火を生む力だ」


 自身の血に流れる力の正体。それが世界に戦禍を呼ぶ劇毒であると突きつけられ、出雲は絶句した。


「では、無力な私は……どうすれば……」


「ついてきなさい」


 行き場のない想いに応えるように、月守が楽器を手に立ちあがる。

 部屋から庭への回廊を静かにすすむ背中を、出雲は心もとない足どりで追った。




*




 やがて、出雲が花を植えた花壇の前にでると、月守は歩みを止めた。


「出雲。無力な己を赦し、愛する者を信じて祈れ。力におぼれぬことで、そなたが生みだしうる大厄を確実に減らせる」


 月守は空をみあげる。その視線は精霊殿の屋根をこえ、はるか彼方の血なまぐさい戦場をみとおしている。


「戦の渦中にある者たちは、無力な己を赦せず、力に救いをもとめて他者の血をながす。足元に咲く小さな幸福にも気づけぬまま」


 神の言葉は、残酷なほどの慈悲に満ちていた。


 力におぼれるという危険の正体が、今の出雲には痛いほど理解できた。


 霊術のあつかいが上達するにつれ、これを実践で使いたいという黒い衝動がうずいていたのだ。

 野山の敵などとるに足りない、万能な存在になったと錯覚していた。


 だが、月守のはなつ霊力を前にして、自分の力など無に等しいと、あらためて痛感させられる。


「出雲は、なぜ若くして霊術を欲した」


 問われた出雲はハッとして両手をみつめる。


「……元々、霊術を習得したいと願ったのは、不器用な少年を守るためです」


 戦争を終わらせるためでも、世界を変えるためでもない。

 烏丸に守られてばかりの自分がはがゆくて、既望という師をもとめた。


 だが今、力を得たことで、ここにいる意味を見失いかけていた。


 自分まで烏丸を探しに精霊殿を飛びだせば、この広い世界で三人ともすれ違い、一生会えぬまま戦禍で命を落とす。


 押しだまる出雲をみすかすように、月守は言葉をつむぐ。


「私にも、開闢(かいびゃく)から待ち人がいる。人が待つ歳月など、まばたき程度の忍耐もいらぬ」


「それは、もしかして……」


 月魂記(げっこんき)に記されていた「双子の兄」の文字が頭をよぎった。


「主上は、連れ戻しに行かれないのですか?」


「待ち人にも意思がある。強引に連れもどせば、それは愛ではなくただの所有だ。執着は身を滅ぼす。それを手ばなすことの難しさを、人世をみて痛感する」


「精霊神でも、人間から学ぶことがあるのですか」


 月守がうかべた苦笑は、達観した神のそれではなかった。葛藤をかかえた、あどけない少女の笑みそのものだ。


「言っただろう。私は全知全能ではないと。私とて、人間と同じように葛藤する。悠久にな」


 月守の視線の先に、出雲の植えた白い花がある。


「待ち望む」という途方もない胆力。それを、己の育てた待雪草(まつゆきそう)に初めて重ねた。


 冷たい雪の下で希望をたくわえて咲き誇れば、烏丸がまた隣で一緒に花をながめる日が来ると信じたい。


 月守は、神官たちがはき清め終えた庭園の祭壇の階段に静かに腰をおろし、純白の楽器をかまえた。

 麒麟の尾が弦をこするたび、薄闇の宵空に鎮魂の調べがさざ波となって広がっていく。


 大地をたやすく砕くほどの強大な力を秘めながら、月守が日々行使するのは、時空間を微細に震わせ、傷ついた霊魂をなでるような繊細な力だ。


「……戦いに使わず、人を癒す。……私の霊術も、あのふたりを癒すために使えるかな」


 身をていして自分を守り、いつも無数の生傷を作っていた烏丸と既望。

 圧倒的な武力と生き残る術をもつ彼らだが、出雲からみればあきれるほど致命的な欠落があった。


 自身の身体を気遣い、命を慈しむという機能がすっぽりとぬけ落ちているのだ。


『山の傷を甘くみるな』


 ふたり暮らしを始めた頃、着物をぬった拍子に針で指を刺した出雲の手を引き、冷たい清流で丁寧に洗いながしてくれた烏丸。


 あのぶっきらぼうな手つきの裏にあった、不器用なやさしさと意外なほどの慎重さを思い出す。


 一方の師である既望にいたっては、己の流血にさえまったくの無頓着だった。すり傷を作った彼の頬を、出雲が布でぬぐってやった記憶がよみがえる。


(再びともに生きる日々を取り戻せたなら。今度は私が、傷ついた彼らの帰る場所となり、その傷口をふさいであげられないだろうか。)


 それはきっと、強すぎるあのふたりには決してできないことだ。




*




 その日から、出雲は憑(つ)かれたように治療術の文献を読みあさり始めた。


 もとめるのは、敵をうち砕く攻撃の術ではない。死のふちに立つ烏丸や既望を、確実に現世へとつなぎ止めるための術だ。


 薬草の調合、応急処置、人体の構造。精霊殿の膨大な書庫には、先人たちの残した実用的な叡智(えいち)が眠っている。


 血の臭いが極端に苦手な自分に、大量の出血をともなう凄惨な治療の現場に耐えられるのかは分からない。


 それでも、理不尽な世界そのものを変えることはできなくとも、自分自身の運命の舵(かじ)は、この手でしっかりとにぎり直せるはずだ。


 出雲は己の原点を二度と見失わぬよう、毎夜、自室の冷たい窓辺で手を組み、星空へ向かって祈りはじめた。

 

 ──烏丸と既望の無事を。ふたりが生きている世界の存続を。


 夜がるたび、出雲は尖塔(せんとう)の窓を開けはなち、冷涼な星々をみつめる。青白い星光は、夜の森であびた霊術の残光であり、烏丸の鋭い双眸そのものだ。


「出雲は、いつも誰かを待っているのね」


 背後からのおだやかな声。ふり返ると、神官長・稲佐(いなさ)が静かにたたずんでいた。


 北部の青淵(せいえん)衆特有の、深い紺青の髪と瞳。まとう純白の法衣が月光をすいこみ、やわらかな輪郭をきわだたせている。その手には白樺の簡素な錫杖(しゃくじょう)がにぎられていた。


 稲佐は音もなく出雲の隣へならび、夜空へ視線を向ける。


「精霊殿の外に、大切な魂を置きざりにしてきた顔をしているわ」


「……そんな顔をしていましたか」


 出雲は窓枠の冷たい石に置いた自分の手をみつめた。過酷な野山を生きぬいた手は、霊術の鍛錬により白くなめらかに変容している。


 だが、胸の奥でうずまく熱情は、どれほど清らかな霊能を練りあげても消し去ることはできない。


「行き場をなくした孤児ばかりが集うこの院で、貴女の魂だけは、まだあの丘の下に縛られたままだわ」


 稲佐の鋭い指摘に、出雲は静かにまつ毛をふせた。


「私には、家族がいます。恩人の少年と、恩師です」


 出雲の脳裏に、不器用だがいつも盾となってくれた黒い髪の少年と、すべてを大きな掌で包みこんでくれた師の顔がよみがる。


「ある日、少年がゆくえ知れずになり……師匠はいま、彼を探して世界をめぐっています」


「どんな少年だったの。話せば寂しさがまぎれるわ」


「……烏丸は」


 その名を口にした瞬間、胸の奥から神の教えすら焼きつくす烈火の感情がはねあがった。


「いつも私の側にいて、命がけで守ってくれました。だから私は、彼が傷ついた羽を休めに帰る場所になりたい」


 出雲は法衣の裾(すそ)を強くにぎりしめた。

 星光を受け、出雲の瞳が銀灰色に鋭くかがやく。


 ただ祈るだけで運命は変わらない。神が傍観者をつらぬくというのなら、自分がこの手で、ふたりの戻るべき確固たる居場所をつくりあげる。


「いつか、本当の家族になりたかった。師匠を父と呼び、烏丸と生涯をともにしたい。だから、必ずまた会います。どんなに絶望的な時間がかかっても」


 底知れぬ夜闇をみすえるその瞳には、たしかな熱が宿っていた。


  戦火の濁流にのみこまれず、望む岸へ必ずたどり着くために。今はまだこの清浄な籠の中で、きたるべき運命の交差点に備え、癒やしの術を限界までとぎすませていく。


 花壇の植物が枯れぬよう、出雲が毎日世話をしているのを知る稲佐が、ふっとほほえんだ。


「あの花に願をかけたのね。待雪草の花言葉なら、私も知っているわ」


「はい……烏丸も、師匠も、あの花の意味を知っていますから」


『希望』の待雪草を植えた土が、精霊殿の片隅で静かに力をたくわえている。


 出雲の折れることのない強靭(きょうじん)な祈りが、下界の血なまぐさい戦火への静かな抗いとして、熱く燃え続けていた。




<タイトル/慣用句>

日月地に墜ちず (じつげつちにおちず):

太陽や月が空から地に落ちないように、人が守るべき正義や道義、世の正しい道理などがまだ完全に滅びてはいないこと、あるいは世の中がまだ正しく保たれていることを意味。


雲路(くもじ/うんじ):

鳥や月などが通るとされる雲の中の空の道、またははるか遠い道のりを意味する言葉。


小説挿絵はこちら

https://note.com/k_s_shina/n/n791613bf89f6


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