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第二号適合者  作者: kabirun


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4/6

第四号 親友の声

「……ユウ、マ」

暗闇の中で、悠真は息を止めた。

聞き間違えるはずがなかった。

何度も一緒に遊び、何度も喧嘩して、何度もくだらない話をしてきた。小さい頃からずっと隣にいた親友の声だ。

黒瀬蓮。

間違いない。

「……蓮?」

声に出しかけて、悠真は慌てて口を押さえた。

返事をしてはいけない。

そう思った理由は、自分でもわからなかった。ただ、さっきまでの出来事が頭をよぎった。顔のない怪物。こちらの反応をうかがうような動き。そして、扉の向こうから聞こえる、あまりにも都合のよすぎる声。

本当に蓮なのか。

もし違ったら。

悠真はベッドから降り、音を立てないように部屋の扉を開けた。

廊下は暗い。階下からも、母の寝室からも物音はしなかった。

玄関へ向かう途中、悠真はスマートフォンを確認した。

時刻は午前二時十三分。

蓮からの最後のメッセージは、数時間前の『ありがとう』だった。

新しい通知はない。

悠真は玄関から少し離れた壁際に身を寄せた。

「……悠真」

また聞こえた。

今度は、はっきりと。

「頼む……開けてくれ」

声が震えている。

まるで、本当に助けを求めているようだった。

悠真は唇をかんだ。

もし本当に蓮なら、ここで見捨てることになる。

あいつは、ひとりで何かと戦っているのかもしれない。怪我をしているのかもしれない。誰にも助けてもらえず、ようやく自分の家までたどり着いたのかもしれない。

なのに、自分は扉一枚を隔てて、ただ疑っている。

「……蓮。お前なのか?」

声を抑えて尋ねた。

扉の向こうは、しばらく静かだった。

そして。

「そうだよ」

返事があった。

「俺だ。蓮だ」

悠真は目を閉じた。

それだけでは、確かめられない。

「……俺たちが小学生のとき、初めて一緒に行った場所、覚えてるか?」

自分でも、なぜそんな質問をしたのかわからなかった。

ただ、何かを確かめたかった。

扉の向こうで、かすかな息遣いが聞こえる。

「……公園だろ」

悠真の胸が跳ねた。

「お前が転んで、膝をすりむいた。泣くのを我慢してたくせに、家に帰ってから大騒ぎしてさ」

思わず、笑いそうになった。

確かにそうだ。

あの日、蓮は自分の傷を見て、なぜか自分よりも慌てていた。

「……そうだよ」

悠真はつぶやいた。

「俺だよ、蓮」

扉の向こうの声が、少しだけ明るくなった。

「お願いだ。開けてくれ」

悠真は鍵へ手を伸ばした。

あと少しで届く。

鍵を開けて、扉を開けるだけだ。

けれど、その瞬間。

昼間の光景が脳裏によみがえった。

顔のない怪物が、玄関の前に立っていた。

あいつは、扉の取っ手を動かした。

まるで、人間がどうするのかを学ぶように。

そして、今。

扉の向こうにいる何者かは、悠真の質問に答えた。

本当に蓮だから答えられたのか。

それとも、何か別の方法で知ったのか。

悠真の手が止まった。

「……蓮。今、どこにいるんだ?」

「お前の家の前だよ」

「違う。何があったんだ?」

沈黙。

「……怪物に追われた。逃げてきたんだ」

「怪我は?」

「少しだけ」

「どこを?」

また沈黙した。

ほんの数秒。

それだけなのに、悠真にはひどく長く感じられた。

「……腕だよ」

悠真は眉をひそめた。

蓮が怪我をしていること自体は不思議ではない。あれほどの異変が起きているのだから、傷のひとつくらい負っていてもおかしくない。

だが、さっき蓮は、怪物に襲われた人を助けようとしたと話していた。

そして、怪物は蓮が近づくと逃げたとも言っていた。

何かがおかしい。

「蓮。俺、今から警察に連絡する」

とっさに口から出た言葉だった。

扉の向こうの気配が変わった。

「……なんで?」

「外が危険だからだ。お前が本当に蓮なら、助けが来るまで待ってくれ」

「悠真」

声が低くなった。

「開けてくれよ」

さっきまでの弱々しい声とは違う。

どこか、怒っているようにも聞こえた。

「俺だって、怖いんだよ」

悠真は答えられなかった。

「ひとりなんだ。もう、誰もいないんだよ」

扉の向こうから、何かが擦れる音がした。

「なあ、悠真。お前だけは、俺を信じてくれるって言っただろ?」

その言葉に、悠真の心が揺れた。

蓮は確かにそう言った。

もし自分が変わってしまっても、信じてくれと。

けれど、あの言葉は、こんな状況で扉を開けろという意味だったのだろうか。

違う。

悠真はそう思った。

あのときの蓮は、何かを恐れていた。

自分自身のことを。

だからこそ、悠真にあんな言葉を残したのではないか。

「……蓮」

悠真は、扉を見つめた。

「お前が本当に蓮なら、俺はお前を信じる」

扉の向こうが静かになった。

「でも、今は開けられない」

言い終えた瞬間、玄関の向こうから音が消えた。

息遣いも、衣擦れも、何も聞こえない。

まるで、最初から誰もいなかったかのように。

悠真はその場に立ち尽くした。

やがて、ゆっくりと後ずさる。

そして、玄関から目を離さないまま、スマートフォンを取り出した。

蓮とのメッセージ画面を開く。

『今、家の前にいるのか?』

送信。

既読はつかなかった。

一分。

二分。

五分。

何も返ってこない。

悠真は、昼間に届いたメッセージを見返した。

『俺が近づいたら、怪物が逃げた』

『助けようとした人が、俺を見て逃げたんだ』

そして、数時間前の『ありがとう』。

あれは、本当に蓮だったのだろうか。

考えたくなかった。

もし、さっきの声が蓮だったなら。

自分は、親友を家に入れなかったことになる。

もし、違ったなら。

あの何者かは、蓮の声をまねて、自分を扉の前まで誘い出そうとしたことになる。

どちらにしても、嫌な予感しかしなかった。

そのとき、二階から足音が聞こえた。

「悠真……?」

母が、寝ぼけた声で呼んでいる。

悠真は急いで玄関から離れた。

「どうしたの? こんな時間に」

「……何でもないよ。ちょっと目が覚めただけ」

母は不思議そうな顔をしたが、それ以上は聞かなかった。

悠真は母を部屋に戻し、自分も寝室へ向かった。

けれど、眠れるはずがなかった。

朝になってから、悠真はもう一度、玄関を確認した。

扉には、目立った傷はない。

鍵も壊れていない。

ただ、扉の下に、黒い粉のようなものが少しだけ落ちていた。

悠真はしゃがみ込み、それをじっと見つめた。

指で触れる気にはなれなかった。

昨日まで、こんなものはなかったはずだ。

ノートを開き、震える手で記録する。

『午前二時十三分頃、玄関の外から蓮の声が聞こえた』

『本人かどうかは不明』

『こちらの質問に答えたが、本人である証拠にはならない』

少し考えてから、最後に書き足した。

『声や記憶だけでは、相手を信用しない』

書き終えたところで、悠真はスマートフォンを手に取った。

蓮との画面を開く。

新しいメッセージが届いていた。

送信時刻は、午前二時十四分。

『悠真。今どこにいる?』

悠真の背筋が凍った。

あの声が玄関の外から聞こえたのは、午前二時十三分。

そして、このメッセージは、その一分後に送られている。

もし、玄関の外にいたのが本当に蓮なら。

なぜ、家の前にいるときに、悠真の居場所を尋ねたのか。

そして、もし、あれが蓮ではなかったなら。

なぜ、蓮がその直後にメッセージを送ってきたのか。

悠真は、画面を見つめたまま動けなかった。

さらに、続けて一通のメッセージが届いた。

『頼む。俺の声が聞こえても、絶対に扉を開けるな』

悠真は顔を上げた。

玄関の扉は、静かに閉じられている。

その向こうに何がいるのか、今はもうわからない。

ただひとつ、確かなことがあった。

この世界では、親友の声さえ、信じるための証拠にはならなくなったのだ。

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