十
二月だった。
その夜は雪が降っていた。この街では珍しかった。コインランドリーの窓の外を、白いものがゆっくりと落ちていくのが見えた。音はなかった。雪は音を出さない。
乾燥機の前に座っていた。灰色の手袋をポケットに入れて。
ミナが来たのは、いつもより少し遅い時間だった。自動ドアが開いて、冷たい空気と一緒にミナが入ってきた。コートの肩に雪が乗っていた。
「すごい、雪」
ミナはそう言って、肩の雪を払った。頬が赤かった。息を切らしていた。走ってきたのかもしれなかった。
頷いた。
ミナは三番の洗濯機に洗濯物を入れた。いつもの手順。でも今日は少しだけ動作が速かった。早く座りたいように見えた。
洗濯機を回して、ミナはベンチに座った。自分の隣。一台分の距離もなかった。
「今日、仕事で」
ミナが言った。コートを脱ぎながら。
「うん」
「後輩の子が、泣いてたんです。お客さんにひどいこと言われて」
黙って聞いていた。
「前の私だったら、大丈夫だよ、気にしなくていいよって言ってたと思うんです。笑って。それが正しいと思ってたから」
ミナは脱いだコートを膝の上に置いた。
「でも今日は、何も言えなくて。何も言えなかったんじゃなくて、言わなかった。大丈夫って言ったら、あの子は泣くのをやめちゃうと思って」
ミナを見た。
「それで、隣に座ってただけなんです。何も言わないで」
ミナは少し笑った。
「そしたら、あの子、しばらく泣いて、泣き止んで、ありがとうございますって言ったんです。何もしてないのに」
何も言わなかった。
「何もしてないのに、ありがとうって」
ミナの声が少し揺れた。窓の外を見ていた。雪がまだ降っている。
「それで思ったんです。ああ、これだったんだって」
ミナがこちらを見た。
「ずっとしてくれてたこと。これだったんだって」
ミナの目が潤んでいた。泣いてはいなかった。でも、近かった。
「ありがとうございます」
ミナが言った。あの夜と同じ言葉だった。
「何もしてない」
「うん。だから」
ミナは笑った。泣きそうな顔で笑った。それを見ていた。蛍光灯の白い光の下で、ミナの顔は何も隠していなかった。明るさも、物憂げさも、どちらも纏っていなかった。ただ、そこにミナがいた。
洗濯機が回っている。三番と五番。二台のリズムが、今夜はほとんど揃っていた。
「ねえ」
ミナが言った。
「うん」
「私、少し楽になりました。前より」
頷いた。
「前は、ここに来ないと息が吸えなかったんです。ここだけが安全で。でも最近は、少しだけ、外でも吸えるようになって」
ミナは窓の外を見た。雪が街灯の光を受けて、ゆっくりと落ちていた。
「あの子の隣に座れたのも、たぶん、ここがあったから」
その言葉を聞いていた。
「外でも吸えるなら、いいね」
そう言った。
ミナはこちらを見た。しばらく見ていた。それから言った。
「でも、来ますよ。ここ」
何も言わなかった。
「洗濯、あるし」
笑った。小さく、短く。ミナも笑った。
洗濯機が止まった。二台ほぼ同時だった。ミナが先に立ち上がって、三番の蓋を開けた。自分も立ち上がって、五番の蓋を開けた。並んで洗濯物を取り出して、それぞれの乾燥機に移した。隣同士の乾燥機。ボタンを押す。二台が同時に回り始めた。
ベンチに戻った。同じ場所に。
窓の外で雪が降っている。コインランドリーの中は暖かかった。乾燥機が低く唸っている。二台分の振動が床を伝って、ベンチを通じて、二人の身体に届いていた。同じリズムで。
ミナが何か言おうとして、やめた。代わりに、深く息を吸って、ゆっくり吐いた。隣で自分も息を吐いた。同じタイミングだった。
どちらも気づかなかった。
雪はまだ降っていた。窓の外の街は白く静かだった。コインランドリーの明かりが、雪の中にぼんやりと滲んでいた。外から見たら、暖かそうに見えたかもしれない。
暖かかった。




