落とされる口づけは
前半は戦闘、後半は甘め。
「馬鹿、動くな!」
森から鋼を打ち合う音が響き気になったが、ルーチェの指示通り真結は身を固めた。一緒に倒れ伏したはずなのに彼はもう片膝を立てて的として狙われにくいように身体を低く保ち、直ぐさま対戦できるように態勢を整えている。
その腕が振るわれたかと思うと頭上で弾き、叩き切るような音がする。視線だけ動かすと、折れた矢が散らばっていた。
まさかこの矢は命を脅かすものだった、と言うのだろうか?
遅ればせながら真結は身に迫った危機を認識する。
フードを被り目元だけの仮面を付けた黒装束の男が二人、獣のように鋭敏な動きで剣を掲げ切り込んで来る。真結を背に庇いながらルーチェは優美な剣さばきで防御するが、守りつつの応戦は攻撃に転じにくいのだろう。なかなか踏み込めないでいる。その合間にも矢は男らを援護するように飛んでくる。踏み込んでしまえば最後、間合いの近い彼らのどちらかが真結に剣を向けるだろう。今だってその隙を伺われているのだから。
どうしよう? どうしよう!?
真結は自問するが焦るばかりで名案なんて浮かばない。せめて恐怖でルーチェにしがみつき、泣き叫び、彼の邪魔になるような事を避ける事しか出来ない。
森に、絶叫が響く。
この場に居ないその声に、黒尽くめの男たちはぱっと飛び退くようにルーチェから距離を取り、お互いの顔を見合わせて頷き合う。
狂ったような叫び声が近づいてくる。
不規則に草を踏みしめ引きずる音に姿を現したのは、どこか見覚えのある体格の良い男だ。真結がそちらに気を取らているうちに、男二人はすっと姿を消していた。
「逃がしたか。まぁ仕方がない」
ルーチェが苦く嘆息する。
「俺はまだやれる!! まだだ! まだっ!!」
血走った眼で突進してくる男は、口から泡となった唾を飛ばしながら既に深い傷を負っている片足をそれでも酷使して真結へと手を伸ばしてきた。危機はまだ去っていなかったようだ。
唸るような声を漏らし、ルーチェが剣を構える。
だがその銀の輝きが閃く前に、男は横腹を蹴られて吹っ飛び地面へ二度三度と叩きつけられた。
「ルーチェ様のお手を煩わせる程でもありません」
スタンと身軽に着地したのはユアン。
彼は男に歩み寄ると何の感慨もなく事務的に剣を振るう。無傷の足の腱を断つ。
真結はその冷静な処置の様を見て、頭では逃亡を防ぎ更に自白を促す手っ取り早い方法だとは理解しても、心情がついて来ない。そこまでしなくても。酷だ。人を傷付けるのはいけないと陳腐な倫理がぐるぐると頭に浮かぶ。でもだからって、悪いとは思わない。
「御前、馳せ参じるのが遅くなり、申し訳ありません」
「許す」
ユアンがルーチェに膝と腰を折って臣のポーズをとり頭を垂れる。そんな彼にルーチェは短く応えた。
「三名、おそらく例の者と思われる者達の内二人を取り逃がし、一人捉えた後に自決。他、今回に関し結託していると思われる二名を捉えました」
「あぁ、ご苦労。詳しくは後で聞こう。先にマーユを送る」
「はい。それが良いかと」
気遣わしげな二人の視線を受けて、真結はゆっくりと瞬いた。
あぁ、そうだ。お礼を言わないと。
「有難う、ございます」
喉に張り付き、掠れる。
その他の言葉が見つからず真結は俯いた。
五感は過敏になっているのに、感情はどこか他人事のように遠くに感じる。
せっかく摘んでもらった薄ピンクの花が数本踏まれ、花びらが無事な物も茎が折れてしまっている。それを一つ一つ黙しながら拾うと、それを追うようにルーチェも手伝ってくれる。
「後は任せる」
「承知致しました」
全ての花を集めたルーチェは、それを真結に手渡そうとして躊躇った。
真結は痛々しく散りかけた花を手にするのを厭うような深窓の令嬢ではないので受け取ろうと手を差し出したが、彼はその手を掴んでそのままエスコートする形で真結を部屋へと促す。
ユアンの心配そうな様子にも気づいていたが、麻痺したようにただ反射的に口角を上げて目礼する。
反発的な常日頃の態度とは程遠い口数少ないルーチェに、真結は感謝の言葉と自分のことは気にするなという内容の言葉をぽつりぽつりと繰り返した。
部屋の前にはサラが待ち構えていた。
「お湯を使われますか? 何かお飲み物は?」
彼女は世話を焼こうとしてくれるが、真結は今は良いと断る。
部屋に入ろうとすると繋いだ手に軽く抵抗を感じて、ルーチェが扉の前で立ち止まりかけていたのに気づいた。だが微かな力だ。阻まれる程度ではなく真結はそのまま足を進め彼もついてくる。
神経が高ぶっているのか虚けているのか。
部屋の中心でただ立ち尽くす。
これから何をしようかなんて思考が働かない。
ソファーに座ることもせず立ったままの真結にしばらくルーチェは付き合ってくれていた。数回瞬きをする程度の間だろうか、それとももっとだろうか? 不意に彼の手が顔の方に伸びてきたので、真結はびくりと身を竦めてしまった。大げさな程に肩が縮こまる。
どうして怖いなんて思ってしまったのか。彼の傷ついたような困ったような初めて見る表情に、罪悪感でいっぱいになる。
「似合うと思って」
彼が手にしているのは痛んだ茎を短くした甘い香りの花。
意図が読めなくて視線だけで訊ねると、彼は思わず慰めたくなるような憂いを帯びた寂しい微笑を浮かべて、その手にした花を真結の耳元の髪に差し入れた。
ふわっと心安らぐ香りが漂う。
「黒髪に映えて、綺麗だ」
それは、花が?
ふっと苦笑するように緩められた口もと。棘のない静かな声。案じるような優しい瞳。繋がれた温かい手。
その全てから彼らしからぬ優しい思いやりが伝わって、真結は鼻の奥がじんと熱くなる。
嫌な奴。
横柄な態度が鼻につく、高圧的で嫌味な男。
でも面倒見が良くて、生真面目で、最終的にはいつも心配してくれている。
最悪な第一印象と無表情の壁を無くしてストレートにその優しさが注がれると、余計にその心地よさが胸に染みていっぱいに広がる。
苦しくして、切なくて、悲しくて、怖くて……寂しくて。
その気遣いと優しさが嬉しいのに、胸が痛い。
「ルーチェ」
怖かった。街で暴漢に出会った時よりも命の危うさを感じだ。
情けなかった。怯えて何もできない自分。
悲しかった。今まで培ってきた倫理観念はここではただの綺麗事でしかないのを思い知らされて、それでも幼稚な正義感との間で葛藤する。
「ルー、チェ」
込み上げてくる熱い物を溢れ出さ無いように、彼の手をぎゅっと握り締める。堪えきれそうにない感情に冷静さを欠いてきている事が頭の隅で把握していても、それでも真結は彼の手を離せなかった。縋りつきたい。
でも強くなりたい、なるべく弱さは見せられない、そんな思いが甘えを抑える。
帰りたい。帰りたい。帰りたいよ。
潤んだ目から涙をこぼすのを自分に禁じ、真結はただひたすら繋いだ手を見据えた。
「マーユ」
優しい呼びかけに、何とか己を律して面を上げる。
揺るぎない深い瑠璃色の瞳が、真摯な色を称えて語りかけてくる。
「俺は、お前を信じることにしたよ」
額にふわりと、羽が触れたかのように口づけられる。
友愛を示すキス。
彼の中でやっと自分の存在が認められたのだろう。
真結は、目を閉じてそれを受け止めた。
逡巡する空気を感じた後に、頬へ落とされた親愛のキス。
溢れる感情に溺れそうになっていたのに、たったそれだけで真結の心は和いだ。
「笑った」
ルーチェが、囁くように呟く。真結の口元が緩んだのに気づいたのだろう。
重なった手を包むようにもう一方の手も重ねられ、彼は何かを吹っ切るように陰りの無い笑顔を浮かべる。真っ直ぐなそれが眩しくて、そんな表情が見られたことが嬉しくて、つられるように真結も安堵と喜びが混ざった明るい気持ちになる。
不意にルーチェは空を仰ぎ見た。ついっと視線が逸らされたので、それが不安になる。
「ルーチェ?」
「……何だ?」
だがぱっと離した片手の甲で口元を押さえた彼の視線は、すぐに戻ってくる。
それにほっと息をついて真結は気が緩む。
なぜだか小さく唸った彼は手のひらを返して目を押さえていた。指圧だろうか。疲れが目に出やすいのかもしれない。でも少しだけなら甘えても良いだろうか。
「あのね、ルーチェ。もう少しここに居てくれる?」
これくらいだったら、甘えても良いだろうか。
会ったばかりの頃なら絶対に頼まないお願いだが、分かりにくい優しさに触れてきた今は違う。きっと彼は断らないだろう。
はぁと深く息をつき、彼は真結の手を引いてソファに座った。それが答えだ。
「ふふっ。有難う」
別に、と彼はそっぽを向き、組んだ足の上にのせた手に頬杖をついて決してこちらを見ようとはしないが、真結はもう、それは彼のポーズなのだと心得ている。
わりと、好きだな。
だんだんと、頭が鈍く重たくなってくる。
ルーチェがしたように瞼を指のひらで押さえると、なんだか疲れている自分に気づいた。
彼のさらりと流れるダークブロンドの髪を触ったら怒られるだろうかと思いながら、真結もその隣に座ってふぅと身体を柔らかい背もたれに沈めた。
汗ばんできた手が気になったが、もう少し、あと少しだけ。まだ不安定な気持ちが大丈夫だと思えるまで手を繋いでいてもらおう。だって、伝わる温もりは、こんなにも安心できるのだから。
新しく『元勇者は巫女の愛を希う』短編連載を始めました。
「驚かないで聞いてくれ。俺は異世界で勇者をしていたんだ。そして、君は神子だった」
学校で人気者の完璧優等生だが実は苦労性でヘタレな勇者と
色々と忘れっぽい現実的でマイペースな神社の巫女と
小生意気だけど一途で報われない霊感少年の
スキンシップ過多ででも手を出せずに悶々する純愛なお話です。
軽くサクッと読めるよう一人称にしてみました。
一人称は初の試みなので、参考に感想をもらえると嬉しいです。
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