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ときめきは気のせい

 夜が明けきれぬうちから早朝の散歩をする真結に庭師たちは慣れたようで、最近では壮年の庭師以外も声を掛けてくれるようになった。


「お、お、おは、おはようございます、マーユお嬢様」


 顔を真っ赤にした誠実そうな好青年が、真結を見かけると慌てて帽子をとりぐしゃっと手の中に握り締めた。

 赤面症なのだろうか、彼は緊張した面持ちでよく吃るが、それでも話しかけてくれるのが嬉しくて真結は彼に歩み寄りながらにっこりと微笑みかけた。

 すると彼は急に息を詰まらせ咳き込んだので、真結は驚いた。近づいて背をさすってあげる。だがゼンマイ仕掛けの人形のように飛びのかれてしまう。


「す、すみません! とんでもないです!」


 何だか怯えられている気がする。

 顔をさらに赤くしたり青くしたりする彼が気の毒で真結は三歩ほど後ろに離れた。そんなに身分の高い人と話すのは緊張するものなのだろうか。

 本当は私も庶民なんだけどなぁ。


「あの、こ、これ、露が降りる前に、花が開いて一番に摘んだ薔薇なので、とっても香りが良いです!」


 ようやく落ち着いた庭師の彼は、そう言って腰に下げた籠から薔薇を数本差し出してくれた。薄ピンクに白が混じってとても可愛い。


「まぁ、これを私に? 有難う」


 花を顔に近づけると、ふんわりと香りが漂った。「甘くていい香りね」と言うと、青年は品種改良した新作なのだと教えてくれた。散歩の邪魔にならないよう部屋に届けさせましょうかと取り計らってくれたが、刺も丁寧に処理されてあるしせっかくなので、このまま手に散歩を続けることにする。その旨を告げると彼は庭師だけあって花が大好きなのだろう、とても嬉しそうだ。

 律儀にも、見えなくなるまでずと見送ってくれる彼に手を振ってしばらく目的もなく気の向くままに薄霧の中を歩いていると、親しくしてくれている壮年の庭師が真結が以前クマの形に変形させた生垣を剪定していた。彼のおかげでクマは今もその形を保っている。

 彼は鋏みを握る手を止めてにこにこと気さくに挨拶を交わしてくれた。そして「この子の事はワシに任せておいて下さい」と胸を張る。真結は意外にも第一歩の記念が大事にされているようで嬉しいやら恥ずかしいやらと複雑な気持ちになった。「有難う、お願いするわね」とクマを撫でると庭師は裾を捲った腕を叩いてみせた。腕の良さは保証するから安心して任せておけという事だろう。だがその後ふと心配そうに背後を見やる。


「今朝はまた濃霧が発生してるみてぇで、森の方にはお近づきにならん方が良いですよ」

 

 彼の言うとおり、指さされた方は乳白色の霧が漂って視界が悪そうだ。


「そうね、そのまま森に入って迷ってしまいそうだものね」


 向こうへは行かないように気をつけるわと真結は頷いた。だがそれでも心配が拭えないのか、彼は念を押すように更に言い募る。


「屋敷周りの庭までは主様がお守りくださっとりますが、森までは結界は張られてないんで。くれぐれも迷い込まないようお気を付けくだせぇ」


 結界の境界線は庭の境目だ。といっても此処から此処までと線が引いてあるわけではないので正確なことは真結には感知できないが、悪意ある者や招かれざる者の侵入を防いでいるらしい。

 真結は結界や防御、治癒の魔法を使えるようになってみたいなと考えながら歩いていると、最近花畑へと化した庭の外れに来ていた。おかしい。庭師が指差した方向とは逆に歩いていたはずなのに。

 だが来てしまったものは仕方ないかと、真結は辺りを見回した。


「たぶん結界の境はこのあたりよね」


 ぺたぺたとくうを触ってみるが見えない壁にぶつかるわけでもない。霧はだいぶ晴れてきていたので、何か礎となる物でもあるかもと目を凝らしてそれっぽい物を探してみる。だが下を向いて歩いていると森の中に入り込んでいたので、元来た道を引き返すことにした。

 結界についてはコーディアスに直接詳しく聞いてみれば良い。ついでに教授してもらおう。

 しゅんっ、ひゅひゅっ、と風を切るような音を聞きながら、真結は足を屋敷へと向かわせた。ひゅっと風を切ったかと思えば、鋼を打つような音も鳴り響く。

 何かしら?

 以前もこの音を聞いた覚えがある。

 真結はまだ屋敷が見えるのを確認して、音源を求めてまた少し森の中へと入り込む。

 少しだけなら良いわよね? お屋敷が見える所までだったら迷わないし。

 敷地内であれば自由に出歩いて良いことになっているが、厳密にどこまでと明言されたことはなかったので、興味の赴くままに足を進める。すると黒い影が木々の合間に見え隠れしているのが目に入る。そっと近づくと、ルーチェが駆け足で木々を避けつつ剣を俊敏に振っている姿が見えた。

 圧倒されるような剣気を纏い鋭い眼差しは真剣そのものだ。決然たる力強い光を帯びている。ダークブロンドの長い髪が彼の動きについてふわりと舞い、剣先が描く軌道や彼の身のこなしはまるで剣舞のように洗練されていて、真結は勇ましいのに荒々しさを感じさせないその様に魅せられていた。

 時折樹の合間から剣が閃きルーチェは難なくそれを受け止める。仮想の敵だけではなく実際にも一人対峙しているようだ。

 風のように現れたのはユアンで、軽く身を捻ると加速された剣に体重を乗せるようにしてルーチェへと再度打ちかかる。重たい金属音が響き、ルーチェは衝撃を逃すように剣を流した。ユアンはその合間にもルーチェとの距離を詰め彼の懐に飛び込むと剣の柄を容赦なく胸に食らわせていた。

 何とかそれを腕で庇ったものの勢いを殺しきれず受身をとって地に手を着いたルーチェはちっと舌を鳴らす。だが間をおかずにバネのような勢いでその場から剣を大きく薙ぎユアンへと斬りかかる。

 長身のルーチェに比べて小柄なユアンは機敏にそれを剣で受け止めるが、ずずっと足が地を抉りながら後方へと滑る。彼は口角を上げて目配せすると、身を翻し木々の合間へと姿を消した。

 いったん退避し、また不意を付くのだろう。


 剣の鍛錬をしているのだと分かったが、緊迫感のあるそれは実践さながらで、真結は瞬きするのも忘れて立ち尽くしていた。見ていただけなのに、高揚感で手に汗をかいている。

 剣道着を着て剣を携えた男性が二割増に見えるのと同じ原理だろうか。初めて、なんのてらいもなくルーチェを格好良いと思えた。その優美ながら猛々しい姿に見惚れてしまった。まだまだ見ていたいとさえ思え、今も凛々しい横顔から視線が外せない。ユアンも人懐っこい笑みからは想像もつかないほどの腕前で、男らしく余裕ある様子にキュンとしてしまった。これがギャップ萌えというものだろうか。

 ルーチェがユアンの気配を追っていた視線を転じて、急にこちらを見る。まさか目が合うとは思っていなかったので、瑠璃色の瞳で射抜かれたように真結の胸は高鳴った。

 な、何で今こっち見るかな?

 不意打ちはいけないと思う。

 真結がそこに居ることなんて気づいていたのだろう、ルーチェは真結を視界に収めると驚きもせずに腰に括りつけていた短剣を放って寄こした。


「え? な、何!?」

  

 無言で投げられたそれを真結は慌てて受け取ろうとする。だが鞘が外れてしまわないかと身を竦めてしまったためか片手では掴み損ね、落としそうになったのをあたふたしながら両手で掴む。

 ぱしんっと片手で受け取ってキメたかった。

 何とも判断し難い微妙な表情で彼に見られて、自分が情けなくなってくる。


「抜け」


 簡単にそう言われたが、あっさりとそう出来るものでもない。半分ほど抜いて銀に輝く刀身を目にすると、真結はうん、と頷いてそれをまた閉じた。 

 抜き身の剣は危ない。というか怖い。

 大きめの包丁と思えば良いのかもしれないが、やはり大きな刃物は怖い。


「いいから抜いて構えろ」

「えぇ、どうして?」


 恥ずかしいくらいに情けない声が出てしまったのが気になったが、真結はそれよりも必死でルーチェを見上げて訴えた。

 無理です! ほら、怖気づいてちょっと涙も滲んてきたし! と目に力を込めて念じたが、願いは届かなかったようだ。

 彼はむっと押し黙るとイラっとしたように僅かに赤らんだ顔を顰めてずかずかと歩み寄ってきた。

 思い通りにならないとすぐに怒るんだから!! 

 格好良いと少しでも思った私が馬鹿だったわ! 

 真結は鬼気迫る彼のその雰囲気に身を縮めながらも、内心で悪態をついた。

 ぐいっと腕を掴まれ、彼は鞘を外すとそのまま抜き身の剣を真結に持たせる。もうこうなれば自棄だ。真結は剣道で見たような構えをとってルーチェと対峙した。護身術を習いかじってもいたので、相手との間合いもとっていつ彼が仕掛けてくるか神経を集中させる。

 ルーチェはそれで良いというようにふんと鼻で笑った。

 そうね、これでこそルーチェ。

 やっぱり私の気の迷いだったんだわ。

 真結は向かいで構え合った彼を見て、心を沈める。


「行くぞ」


 彼の足が、瞬発的に踏み出される。

 ひゅんと風が鳴り、剣が閃く。

 親切にも掛け声をかけてくれたので、彼がいつ間合いに入ってくるのかは分かった。振りかぶるまでは分かり易い太刀筋だったので、どこを狙われているのかも察せられた。

 だが真結は反応出来なかった。

  

「お前、なぜ動かない?」


 彼の剣先は真結の肩にぎりぎり触れない位置でピタリと止まっている。

 呆けたように真結はゆっくりと瞬きをした。ふうと息をつく。固まっていた身体の力が抜ける。

 そんなこと言われたって、そもそも次元が違うじゃない。


「だって、動けなかったんだもの」


 早すぎて追いつけなかったのだ。

 そう言うと、彼は研ぎ澄まされた瞳のまま表情を変えずにくるっと峰を返した。そしてすとんと真結の肩に剣を当てる。

 今、真結は切られたのだ。


「嘘っ! 信じられない!!」

「動けないなら、切られて当然だ」

 

 峰打ちとはいえレディに何て失礼なことをするのだと真結は憤慨した。だが馬鹿めと一蹴されたので、無理矢理とはいえ一騎打ちを受けた身としては、勝負事の世界として勝敗をちゃんとした形で付けるのはけじめなのかという気もしてくる。

 えっと? それなら当然ってことで良いのかしら? そうなの? どうなの?

 こめかみに指を当てる真結に、ルーチェも納得がいってないようで彼女の額を小突いて注意を向ける。


「お前、避けるくらいできただろう」

「だから、あなたが早すぎて動けなかったんだって」


 真結はその手をはたいて落とす。

 まだ何か思うところが有るのかルーチェは高圧的な視線で見下ろしている。


「俺が止めなかったら、本当に切られていたんだぞ」

「それはそうでしょうね。でもそんな事ないでしょう?」

「……何がだ?」

「だから、ルーチェは私を切るはずがないって事。それくらい信じてるわよ」

「……」

「だから、動けなくっても安心して固まっておいたほうが下手に避けるより危なくないでしょ? あなたならそれくらいの腕はあるだろうし。……なのに、なのにっ、まさか峰打ちされるなんて! 信じてた私が愚かだったわ!」


 真結は言ってるうちに段々やはり腹がたってきて熱くなったが、聞いているのかいないのか返事がないので、ん? とルーチェを見上げれば、彼は不服そうに口を引き結んでいた。揺るぎない眼差しは先程までとは違う熱がこもっている。

 

「なぁに? どうしたの?」


 首を傾げて問えば、彼は視線をぷいと背けた。


「いや、もう良い。分かったから」


 いやいや、こっちは分かんないわ。

 真結は返事の意味が理解できずに、しばらくその言葉を反芻したが分からないものは分からない。彼に問いただしてみたが無視されたので、むっとしてねぇねぇと腕を引っ張った。

 触るなとばかりに振りほどかれたので腹がたってしまう。


「何よ、本当にいつも自分勝手で気分屋ね」


 ふんと真結は腰に手をあて、こんな奴は放っておこうと帰ることにする。首をぐるっと見回すと屋敷が少し木々の合間から見えたので、来た方向とは違う気もしたがとりあえず見えているのでそちらへ向かって歩きだした。

 すると無視を決め込んでいたはずのルーチェが「待て」と呼び止めた。はぁと深くため息をついているがいったい何なのだ。かさっと草を踏み分ける音が聞こえ、彼はそっちへ向いて声を少し張り上げた。


「ユアン、俺はマーユを送っていくから暫く待っていてくれ」


 そういえばルーチェは剣の鍛錬の途中だった。ユアンも出てくるタイミングを逃したのだろう、邪魔して申し訳ないと真結もそちらを見やった。だが、全く違う方向から空を切る音が鳴る。

 その途端、ルーチェに強く抱きしめられるようにして地面に押し倒される。とっさに付いた手の横が痛い。


 もう! さっきから何なのかしら。


 視界の手の先には弓矢が突き刺さっている。これが刺さっていたらもっと痛かっただろう。


 ……え? 何これ。


 顔を上げた真結は、ルーチェに覆いかぶされるようにぐっと腕で抱き寄せられた。







 

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