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魔王討伐から半年。勇者パーティの荷物持ちだった僕は、亡き仲間の手紙を届ける旅に出る  作者: 海鳴雫


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第5話 帰らなかった聖騎士

ナーグさんは、家族の話をするのが好きな人だった。


特に娘のミナちゃんのことになると、それはもう、誰にも止められないほど饒舌になる。


『おい、テオ! ちょっとこれを見てくれ!』


『……ナーグさん。それ、昨日も見せてもらいましたよ』


『何度見たっていいだろうが! ほら、可愛いだろう?』


そう言って、懐から取り出した小さな肖像画を見せてくる。


そこには、優しそうな女性と、小さな女の子が描かれていた。


『ええ。とても可愛いですね』


『だろう! 俺の自慢の娘だからな!』


ナーグさんは、それはもう嬉しそうに笑っていた。


『魔王を倒したら、真っ先に家へ帰るんだ』


『そうなんですか?』


『ああ! ミナのやつ、きっと俺の顔を見るなり飛びついてくるぞ!』


『ははっ。ナーグさんなら、軽々と抱き上げられそうですね』


『当たり前だ! 俺の娘なんだからな!』


そんなことを言いながら、豪快に笑っていた。


僕は、あの人の笑顔が好きだった。


誰よりも大きな身体で、誰よりも大きな声で笑う。


少し乱暴で、食いしん坊で。


けれど、家族のことになると途端に優しい顔をする。


そんな人だった。


「……ナーグさん」


僕は目の前に広がる村を見つめた。


セシリアさんの故郷を出発してから、数日。


ようやく、最後の目的地であるエルナ村へと辿り着いた。


森の近くにある、小さな村だった。


木造の家々が点在し、周囲には畑や牧草地が広がっている。


遠くでは牛が草を食み、どこからか鳥の鳴き声が聞こえてきた。


穏やかな場所だ。


ナーグさんが、あれほど帰りたがっていた場所。


「……もうすぐ、あなたの家族に会えますよ」


小さく呟く。


もちろん、返事はなかった。


僕は鞄の肩紐を握り直し、村へと足を踏み入れた。


ナーグさんの家は、村の外れにあった。


道を尋ねた村人は、僕がナーグさんの名前を出すと、一瞬だけ悲しそうな顔をした。


けれど、すぐに家の場所を教えてくれた。


村の人々にとっても、ナーグさんは大切な存在だったのだろう。


教えられた道を進んでいくと、やがて一軒の家が見えてきた。


木製の柵に囲まれた、小さな家。


庭には色とりどりの花が咲き、窓辺には洗濯物が干されている。


その庭先で、一人の女の子が遊んでいた。


茶色の髪を二つに結んだ、小さな少女。


手には木製のおもちゃを抱えている。


「……あ」


僕は思わず足を止めた。


見覚えがあった。


いや、正確には本人に会うのは初めてだ。


けれど、その顔は何度も見たことがある。


ナーグさんが、いつも嬉しそうに見せてくれた肖像画。


そこに描かれていた少女と、そっくりだった。


「あの……こんにちは」


僕が声をかけると、少女は顔を上げた。


「こんにちは!」


元気な声だった。


大きな瞳が、興味深そうに僕を見つめている。


「お兄ちゃん、だあれ?」


「僕はテオ。テオ・アルベルトっていうんだ」


「テオ?」


「うん。君は、ミナちゃんかな?」


「そうだよ!」


少女は嬉しそうに笑った。


「どうして知ってるの?」


「君のお父さんから、いっぱい話を聞いていたからね」


その言葉に、少女の目が大きくなった。


「……お父さん?」


「うん。ナーグ・タロストさんって、知ってるかな?」


「知ってるよ! わたしのお父さん!」


ミナちゃんは嬉しそうに答えた。


それから、ぱっと表情を明るくする。


「お兄ちゃん、お父さんのお友達なの?」


「うん。一緒に旅をしていたんだ」


「ほんと!?」


ミナちゃんは僕のところまで駆け寄ってきた。


そして、期待に満ちた眼差しで見上げてくる。


「じゃあ、お父さんのお話、いっぱい知ってる?」


「……うん。いっぱい知ってるよ」


「聞かせて!」


そう言って、僕の服の裾を小さな手で掴んだ。


その仕草が、どこかナーグさんに似ていた。


あの人も、何か嬉しいことがあると、相手の都合なんてお構いなしに話しかけてくる人だった。


「……もちろん」


僕は膝を曲げ、ミナちゃんと目線を合わせた。


「ナーグさんのことなら、何でも聞いてね」


「やったあ!」


ミナちゃんは嬉しそうに笑う。


それから、家に向かって大きな声を上げた。


「お母さーん! お父さんのお友達が来たよー!」


僕はその声を聞きながら、胸の奥に小さな痛みを感じていた。


ナーグさん。


あなたの娘さんは、本当に可愛い子ですね。


……できることなら、あなたと一緒に帰ってきたかったです。


「……あなたが、テオさん?」


家から出てきたのは、栗色の髪を後ろでまとめた女性だった。


優しそうな目元をしている。


けれど、その表情にはどこか疲れが滲んでいた。


「はい。初めまして。テオ・アルベルトといいます」


僕が頭を下げると、女性は驚いたように目を瞬かせた。


「……主人から、お名前は聞いています」


「ナーグさんから、ですか?」


「ええ。旅の途中、何度か手紙を送ってくれたんです」


女性は少しだけ微笑んだ。


「その中に、テオさんのお名前もありました」


「……そうだったんですね」


「料理が上手で、道具の修理も得意な、頼りになる荷物持ちの男の子がいるって」


僕は思わず目を丸くした。


「ナーグさんが、そんなことを?」


「はい。いつも美味しいご飯を作ってくれるから、旅先でも食事が楽しみなんだって」


そう言って、女性は懐かしそうに笑った。


「……本当に、あの人らしいでしょう?」


「……はい」


僕も、自然と笑っていた。


「ナーグさんは、食べることが大好きでしたから」


「ふふっ。そうなんです。家でも、いつも私の料理を山ほど食べていたんですよ」


彼女は小さく息を吐いた。


「……申し遅れました。ナーグの妻の、クララ・タロストです」


「クララさん。よろしくお願いします」


「こちらこそ。……さあ、立ち話も何ですから、中へどうぞ」


クララさんに促され、僕は家の中へ入った。


室内は綺麗に片づけられていた。


木製の家具に、小さな食卓。


壁には家族の肖像画が飾られている。


そこに描かれているナーグさんは、いつものように豪快な笑みを浮かべていた。


「……こちらへどうぞ」


クララさんが椅子を勧めてくれる。


僕は礼を言って腰を下ろそうとした。


そのとき、食卓の端に置かれた椅子が目に入った。


ほかの椅子よりも、一回り大きい。


背もたれも太く、脚には頑丈な補強が施されている。


「……立派な椅子ですね」


思わず口にすると、クララさんはその椅子へ視線を向けた。


「ああ、それは主人の椅子なんです」


「ナーグさんの?」


「ええ。あの人、身体が大きかったでしょう?」


「はい。とても」


「普通の椅子だと、すぐに壊してしまうんです。何度修理したことか……」


クララさんは懐かしそうに微笑んだ。


「最後には自分で補強して、こんなに頑丈にしてしまって」


僕は椅子を見つめた。


大きな背もたれ。


何度も削り直された脚。


そこには、確かにナーグさんが暮らしていた痕跡があった。


きっと、あの人はこの椅子に座って、家族と食事をしていたのだろう。


ミナちゃんの話を聞きながら、豪快に笑っていたのだろう。


けれど、今、その椅子には誰も座っていない。


「……テオさん?」


「あっ、すみません」


僕は慌てて顔を上げた。


「少し、ナーグさんのことを思い出していました」


クララさんは一瞬だけ目を伏せた。


それから、静かに微笑む。


「……そうですか」


その声は、とても優しかった。


「それでね! お父さん、すっごく強かったんだよ!」


お茶をいただいていると、ミナちゃんが得意げに話し始めた。


「そうだね。ナーグさんは、とても強かったよ」


「でしょ!」


嬉しそうに胸を張る姿に、僕も思わず笑ってしまう。


「でもね、ちょっと食いしん坊だったかな」


「食いしん坊?」


「うん。僕が作ったご飯を、いつも一番たくさん食べるんだ」


「お父さんらしい!」


ミナちゃんが笑った。


「お母さんも、いっつも怒ってたよね!」


そう言ってクララさんを見る。


クララさんは苦笑した。


「だって、あの人ったら、ミナの分のお菓子まで食べようとするんですもの」


「お父さん、わたしのお菓子食べちゃったことあるんだよ!」


「それはひどいね」


「でもね、次の日にいっぱい買ってきてくれたの!」


「ははっ。やっぱりナーグさんだ」


自然と笑い声が重なった。


不思議な感覚だった。


ナーグさんはもういない。


けれど、彼の話をしていると、まるでこの家のどこかに座っているような気がした。


きっと、ナーグさんもこんなふうに笑っていたのだろう。


「……ねえ、テオお兄ちゃん」


「ん? なに?」


ミナちゃんが、ふと僕を見上げた。


「お父さんって、いっぱい笑ってた?」


「うん。すごくよく笑う人だったよ」


「……そっか」


少女は小さく頷いた。


けれど、その表情は少しだけ寂しそうだった。


「……どうかしたの?」


僕が尋ねると、ミナちゃんは膝の上に抱えていた木馬へ視線を落とした。


「……わたしね」


「うん」


「お父さんの笑う声、忘れちゃいそうなの」


その言葉に、僕は息を呑んだ。


「お父さんが笑うとね、すっごく大きな声だったの」


「……うん」


「お母さんが、うるさいって怒るくらい」


小さな指が、木馬の背中を撫でる。


「でもね、最近、どんな声だったか、うまく思い出せなくなっちゃって……」


ミナちゃんは俯いた。


「わたし、お父さんのこと、忘れたくないのに……」


クララさんが、そっと娘の肩に手を置いた。


僕は何も言えなかった。


たった半年。


僕にとっては、今も昨日のことのように思い出せる仲間たちの姿。


けれど、六歳のミナちゃんにとって、半年という時間はきっと僕が思うよりも長いのだろう。


父親がもう帰ってこないことを知っている。


それでも、少しずつ記憶が薄れていくのが怖い。


大好きだった人の声を、忘れてしまうのが怖いのだ。


「……ミナちゃん」


「なあに?」


「ナーグさんはね、笑うとき、ものすごく大きな声を出すんだ」


「……うん」


「こんな感じかな」


僕は一度咳払いをした。


そして、できるだけ大きな声で笑ってみせる。


「がはははっ!」


ミナちゃんが目を丸くした。


それから。


「……ぷっ」


小さく吹き出した。


「あははっ! ちがうよ、テオお兄ちゃん!」


「ええっ、違う?」


「うん! お父さんは、もっと大きな声だった!」


「これでも足りないの?」


「足りない!」


ミナちゃんは嬉しそうに笑った。


「もっと、こーんな感じ!」


小さな身体いっぱいに息を吸い込み、精一杯の大声で笑ってみせる。


「がははははっ!」


「ははっ! なるほど、そんな感じか!」


「うん!」


僕たちは顔を見合わせて笑った。


クララさんも、口元を押さえて微笑んでいる。


「ふふっ。二人とも、よく似ていますよ」


「本当ですか?」


「ええ。主人の笑い方に、そっくり」


その言葉に、ミナちゃんは嬉しそうに笑った。


「えへへ!」


その笑顔が、あまりにもナーグさんに似ていて。


僕は、ほんの一瞬だけ、あの大きな笑い声が聞こえたような気がした。


ナーグさん。


あなたの笑い声は、まだここに残っていますよ。


僕は、心の中でそう呟いた。


しばらくして、僕はミナちゃんが抱えているおもちゃに目を向けた。


木製の、小さな馬。


ずいぶん使い込まれているようで、表面の塗装はところどころ剥がれていた。


それに、片方の脚が折れている。


「ミナちゃん、その木馬は?」


「これ?」


ミナちゃんは嬉しそうに持ち上げた。


「お父さんが作ってくれたの!」


「ナーグさんが?」


「うん! わたしが小さいときにね!」


僕は少し驚いた。


ナーグさんは、手先が器用な方ではなかった。


剣や盾の扱いは達人そのものだったけれど、細かい作業になると途端に苦戦する人だった。


そんな人が、娘のために木馬を作った。


きっと、何度も失敗したに違いない。


「……素敵な木馬だね」


「でしょ!」


ミナちゃんは嬉しそうに笑った。


けれど、すぐに少しだけ寂しそうな表情になる。


「……でもね」


「うん?」


「脚が折れちゃったの」


そう言って、木馬の片方の脚を見せてくる。


「お父さんが旅に行く前にね、壊れちゃったんだ」


「……そうだったんだ」


「でも、お父さんが帰ってきたら直してくれるって」


僕は、言葉を失った。


「だからね、ずっと待ってたの」


ミナちゃんは木馬を抱きしめる。


「……でも、お父さん、帰ってこなかった」


小さな声だった。


僕は、何も言えなかった。


ナーグさんが娘に交わした、小さな約束。


きっと、あの人にとっては何気ない約束だったのだろう。


魔王を倒して帰ってきたら、娘の木馬を直す。


そんな未来を、当たり前のように思い描いていたはずだ。


けれど、その約束は果たされなかった。


「……ミナちゃん」


「なあに?」


「もしよかったら、その木馬、僕が直そうか?」


荷物持ちだった僕なら、木製のおもちゃの修理くらいはできる。


そう思って提案した。


しかし。


「……ううん」


ミナちゃんは、小さく首を横に振った。


「お父さんが、直してくれるって約束したから」


その言葉に、胸の奥が締めつけられた。


ミナちゃんは、父親がもう帰ってこないことを知っている。


それでも、木馬を直せずにいた。


もしかしたら、この木馬が壊れたままである限り、父親との約束も残り続けるような気がするのかもしれない。


「……そっか」


僕は静かに頷いた。


「大切な木馬なんだね」


「……うん」


ミナちゃんは、ぎゅっと木馬を抱きしめた。


僕は、それ以上何も言わなかった。


あの人との約束を、僕が勝手に終わらせてはいけない。


そう思ったからだった。


窓の外では、少しずつ日が傾き始めていた。


クララさんが新しいお茶を淹れてくれる。


その横で、ミナちゃんは大切そうに木馬を抱えていた。


僕は二人の姿を見つめながら、鞄へと手を伸ばした。


そろそろ、届けなければならない。


最後の手紙を。


「……クララさん」


「はい?」


「今日は、もうひとつお渡ししたいものがあるんです」


クララさんは、不思議そうに首を傾げた。


僕は鞄を膝の上に置き、内側から防水布に包まれた封筒を取り出す。


三通あった、仲間たちの手紙。


リラさんの手紙は、弟のユリウスさんへ。


セシリアさんの手紙は、父親のダリオさんへ。


そして、最後に残された一通。


ナーグ・タロスト。


妻クララ・タロストと、娘ミナ・タロストへ宛てた手紙だった。


「……これは」


クララさんが、封筒を見つめる。


「魔王城へ向かう前の夜、ナーグさんから預かったんです」


「……主人から?」


「はい」


僕は頷いた。


「もし自分が帰れなかったら、家族に届けてほしいって」


クララさんの表情が、ゆっくりと変わった。


彼女は何も言わず、封筒を見つめている。


やがて、震える手を伸ばした。


「……受け取っても、いいんですか?」


「もちろんです」


僕は、そっと封筒を差し出した。


「そのために、ここまで来ましたから」


クララさんは両手で手紙を受け取った。


そして、表面に書かれた文字を見つめる。


「……あの人の字だわ」


掠れた声だった。


「本当に……あの人の字だわ……」


その指先が、ゆっくりと差出人の名前をなぞる。


ナーグ・タロスト。


僕たちと旅をしていた、あの大きな聖騎士の名前。


クララさんは、封筒を胸に抱きしめた。


その瞳には、涙が浮かんでいた。


「……ありがとう、ございます」


小さな声だった。


「この手紙を……届けてくださって……」


「……いえ」


僕は、ゆっくりと首を横に振った。


「ナーグさんとの、大切な約束でしたから」


クララさんは、何度も頷いていた。


そのとき。


「……お母さん?」


ミナちゃんが、不思議そうに母親の顔を見上げた。


「それ、なあに?」


クララさんは娘へ視線を向ける。


そして、涙を拭いながら微笑んだ。


「……お父さんからのお手紙よ」


「お父さんから?」


「ええ。お父さんが、ミナとお母さんに書いてくれたの」


ミナちゃんの目が、大きく見開かれた。


「……お父さんが?」


「そうよ」


少女は木馬を抱えたまま、そっと母親へ近づいた。


そして、小さな指で封筒に触れる。


「これ、お父さんが書いたの?」


「ええ」


「……そっか」


ミナちゃんは、しばらく手紙を見つめていた。


その表情は、とても真剣だった。


「ねえ、お母さん」


「なあに?」


「これを読んだら……」


小さな声が、少しだけ震えた。


「お父さんのこと、もっと思い出せるかな」


クララさんは、一瞬だけ目を見開いた。


そして、娘を優しく抱き寄せた。


「……ええ」


その声は、とても穏やかだった。


「きっと、思い出せるわ」


「……ほんと?」


「ええ。お父さんが、ミナに伝えたかったことが書いてあるはずだから」


ミナちゃんは、小さく頷いた。


「……じゃあ、読んで」


その言葉に、クララさんは優しく微笑む。


「ええ。一緒に読みましょうね」


僕は、二人の姿を静かに見つめていた。


ナーグさん。


あなたが誰よりも大切にしていた二人は、今、僕の目の前にいます。


あなたが帰りたいと願っていた家に、僕は来ることができました。


けれど。


本当なら、ここにいるべきなのは僕ではなかった。


あの大きな椅子に座って、娘を抱き上げて。


豪快に笑いながら、妻の料理を頬張って。


そんな当たり前の幸せを、あなたは望んでいたはずなのに。


どうして、それが叶わなかったのだろう。


胸の奥に、あの日の記憶がよみがえりかける。


血に濡れた盾。


僕たちを守ろうとした、大きな背中。


そして、最後まで決して退こうとしなかった、聖騎士の姿。


僕は、そっと目を閉じた。


今は、まだ。


あの日のことを、うまく思い出せそうになかった。


「……テオさん」


クララさんの声に、僕は顔を上げる。


「はい」


「よかったら、あなたもここにいてくださいませんか」


「……僕も、ですか?」


「ええ。主人が最後に残した言葉を、あなたにも聞いていただきたくて」


僕は、少しだけ迷った。


手紙は、家族へ宛てられたものだ。


僕が聞いてもいいのだろうか。


けれど、クララさんは優しく微笑んでいた。


「……分かりました」


僕は小さく頷いた。


「ご一緒させてください」


クララさんは、再び封筒へ視線を落とす。


震える指で、ゆっくりと封を開いた。


中から取り出されたのは、一枚の便箋。


そこには、ナーグさんらしい、少し不格好な文字が並んでいた。


クララさんは便箋を広げる。


ミナちゃんは母親の隣に座り、大切そうに木馬を抱きしめた。


窓から差し込む夕日が、三人を柔らかく照らしている。


そして。


クララさんは、夫が最後に残した言葉を、ゆっくりと読み始めた。

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