第捌話「軍議、新たなる矛」
領主の館の大広間には、重苦しい沈黙が落ちていた。
長机に広げられたフラットペイン領の地図を囲むのは、イルミナと数名の老臣、そして急造の守備隊長たちである。その後ろには、客将として迎えられた竹子が静かに控えていた。
「王都からの連絡は、完全に途絶いたしました。……やはり中央の貴族どもは、我々を帝国の生贄とする腹積もりのようです」
老齢の文官が、絞り出すような声で報告した。
「ひと月前、亡き若君が三百の精鋭と共に散り、帝国の兵糧を焼き払ってくださった。その尊き犠牲によって得られたひと月の猶予も、もはや限界です。帝国の補給は完了し、数日内には数千の軍勢がこの領地へなだれ込んでくるでしょう」
広間に絶望の溜息が漏れる。
現在、フラットペイン領が抱える領民はおよそ一万。対して、前回の迎撃戦で正規兵のほとんどを失った今、城に残されているのは近衛や街の警備兵、そして急遽武器を取った農民たちを合わせても、わずか二百名に満たない。
まともな野戦を行えば、一時間と持たずに蹂躙される戦力差であった。
「……籠城戦しか、ありませんね」
沈黙を破ったのはイルミナだった。
彼女の碧い瞳には、以前のような怯えはない。王都への未練を完全に断ち切り、この土地と民を守り抜くという確かな覚悟が宿っていた。
「幸い、若君が稼いでくださったこのひと月で、城壁の補強と食糧の備蓄は進めてきました。帝国がどれほどの力を持とうと、この城を容易く落とせると思わせてはなりません」
「姫様のお覚悟は立派です。しかし……」
守備隊長のガッシュが、苦渋に満ちた顔で進み出た。
「敵は魔法兵や重装歩兵を揃えた正規軍。我々二百の兵で城門を固めたとて、いずれ綻びが生じます。ただ耐えるだけの籠城では、ジリ貧になるのは火を見るより明らかです」
その言葉に、誰も反論できなかった。
圧倒的な力で押し潰そうとする巨大な壁に対し、ただ盾を構えてうずくまるだけでは、いつか必ず腕が折れる。局地的に敵の態勢を崩し、注意を逸らす「矛」の役割が不可欠だった。
「――ならば、遊撃の部隊を一つ、編制するべきかと」
静謐な声が響き、全員の視線が竹子へと集まった。
竹子は一歩前へ出ると、地図の上に置かれた帝国軍の駒を指差した。
「正面からのぶつかり合いでは、数に勝る帝国が有利。なればこそ、正規の軍法に囚われない少数の精鋭部隊が必要となります。正面から槍を合わせるばかりが戦ではありませぬ。敵の兵糧を断ち、夜陰に紛れて将を討ち、敵を休ませぬ。それもまた戦にございます」
それは、かつて会津戦争において、新選組や遊撃隊が担ったゲリラ戦術の思想であった。
だが、その提案を聞いたガッシュは、侮蔑を隠そうともせずに竹子を睨みつけた。
「控えよ。客将として遇されてはいるが、貴様はどこの馬の骨とも知れぬ異国の流れ者。神聖な軍議の席に、無責任な口を挟むな」
「無責任ではありませぬ。盤上をひっくり返すには、盤の外から駒を打つしかないと申し上げているのです」
「詭弁だ! しかも、なんだその『毒虫』のような戦い方は! 誇り高きフラットペインの騎士団を、野盗の群れに貶める気か!」
ガッシュの怒声に、老臣たちも同調するように頷く。
「隊長の言う通りだ。それに、その遊撃部隊とやらを誰が率いるというのだ」
「兵の数はすでに限界。民をこれ以上徴用すれば、領内の生活そのものが立ち行かなくなるぞ」
次々と浴びせられる不信の言葉。
しかし、竹子は表情一つ変えず、静かに言い放った。
「その部隊は、私が率います。そして、正規の民や兵を割いていただく必要はありませぬ」
「何……?」
「身分、種族、過去の経歴。そうした一切のしがらみを無視し、ただ『戦局を覆し得る一芸』を持つ者だけを私が集めます。既存の枠に当てはまらない者たちだからこそ、帝国の意表を突くことができるのです」
竹子は、先日視察した城下町の光景を思い浮かべていた。
魔法が使えない、あるいは人間に敗れたというだけで、理不尽に虐げられ、才能を腐らせている「亜人」たちの姿を。そして、身分や立場によって役割を縛られる、この世界の硬直した軍の在り方を。
「身分、種族、過去の経歴。そうした一切のしがらみを無視し、ただ『戦局を覆し得る一芸』を持つ者だけを集めます。既存の枠に当てはまらない者たちだからこそ、帝国の正規軍の意表を突くことができるのです」
「馬鹿な……っ。素性の知れぬ亜人やならず者を軍に組み込むだと? 断じて認められん! 第一、貴様が裏切らぬという保証がどこにある!」
ガッシュが腰の剣の柄に手を掛け、一歩踏み出した。歴戦の騎士の放つ重い威圧感。
しかし次の瞬間、ガッシュは思わず息を呑み、足を踏みとどまった。
竹子はただ静かに立っているだけだ。柄に手すら掛けていない。
それなのに、彼女の黒曜石のような瞳に見据えられた瞬間、ガッシュの肌を「見えない刃」が撫で斬りにしたかのような、濃密で絶対的な殺気が広間を支配したのだ。
「保証は、この竹子の『義』。――それだけです」
武人としての格が、文字通り次元が違う。
ガッシュの額から、一筋の冷たい汗が流れ落ちた。
「ガッシュ。そして皆の者、矛を収めなさい」
張り詰めた空気を切り裂くように、イルミナが凛とした声で立ち上がった。
「姫様……しかし!」
「タケコ様は、私の命を救ってくださった恩人。そして、あの凄まじい炎の魔法を、ただの一太刀で斬り裂いてみせた方です。私は、彼女の義を信じます」
イルミナはガッシュたちを見据え、領主代行としての絶対の意志を示した。
主君にそこまで言われては、臣下はもう口を挟めない。ガッシュは悔しげに唇を噛み、深く頭を下げて引き下がった。
竹子はイルミナに向き直り、深く頭を下げた。
「姫君。私に権限をいただけますか。この竹子が自ら領内を歩き、私の手足となって共に死線を潜り抜ける『新たなる矛』を見つけ出してみせましょう」
常識外れの提案。しかし、イルミナの瞳は真っ直ぐに竹子を見据えていた。
魔法すら一刀に斬り伏せるこの数奇な戦士が、決して無謀な戯言を口にしていないことを、イルミナは誰よりも理解していた。
「……許可します。タケコ様、どうか我が領に埋もれた力を見出し、彼らを導いてください」
「はっ。必ずや、ご期待に沿ってみせます」
「タケコ様。……時間は、どれほどご入用ですか」
イルミナの問いに、地図に視線を落としていた守備隊長が、代わって答えた。
「帝国の斥候の動きから逆算しますに、本隊到達まで早ければ、五日」
五日。一万の民の中から、戦局を覆し得る「一芸」を持つ者を見出し、隊として編制するには、あまりにも短い。それでも、竹子は静かに頷いた。
「充分にございます」
――柳橋に立った、あの朝を思い出す。母と妹と、二十余名の同志たち。あの隊もまた、わずか数日で編まれた急造の隊であった。竹子は静かに微笑み、傍の夜叉霧に手を添えた。
会津で、自分は女子だけの部隊を率いた。男たちが倒れた最後まで戦い続けた、あの誇り高き者たち。
今度は異世界で。もう一度、その旗を掲げよう。
第一章・完
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第二章:交わらぬ刃、白き虎の幻影 新・娘子隊、結成 へ続く




