第玖話「エルフの狙撃手・ビアンカ」
第二章開幕
前話、修正致しました。
タイトル 盾→矛 に、
本文も大幅に加筆、修正致しました。
軍議の翌日。領主の館の執務室で、竹子はイルミナと卓を挟んで向かい合っていた。
「遊撃の部隊を編制するとのことですが、兵のあてはあるのですか?」
「まずは城下で情報を集めようかと。身分や種族を問わず、腕の立つ者を探します」
「……それなら、心当たりがあります」
イルミナは引き出しから、数枚の羊皮紙を取り出して竹子の前に置いた。
「先日、急遽義勇兵の募集を行ったのですが……担当の武官が、女性や亜人、素性の知れない流れ者だという理由だけで、門前払いにしてしまった者たちの名簿です」
「ほう」
「粗削りですが、一芸に秀でた者も混ざっていたと報告を受けています。例えば、この者」
イルミナが一枚の羊皮紙を指差した。
「西の森に居着いているエルフの女性です。義勇兵の募集に応じに来たものの、『名誉のために死ね』と訓示した担当官と口論になり、軍旗に唾を吐いて去っていったとか。凄まじい弓の腕を持っていたそうです」
「軍旗に唾を、ですか。面白い。まずはその者から当たってみましょう」
「……最近、西の森で帝国兵を見たという報告もあります。どうかお気をつけて」
イルミナの言葉にひとつ頷くと、竹子は夜叉霧を手に、単騎で西の森へと足を向けた。
***
鬱蒼と生い茂る西の森。竹子は落ち葉を踏む音を殺して進むうち、前方に不穏な気配を感じて足を止めた。
木々の合間、街道を見下ろす崖の上に、黒い軍装を纏った十数人の一団がいた。サッ・ローンド帝国の偵察部隊である。彼らはフラットペイン領の動きを探るため、結界の薄い森の奥から侵入し、拠点となる陣地を築こうとしていた。
(ここで見過ごせば、城下の民に被害が及ぶ)
竹子は迷わず崖を駆け上がり、夜叉霧の石突で後衛の兵の顎を砕いた。
「なっ!? 敵襲だ!」
「女が一人!? 構わん、殺せ!」
一斉に剣を抜く帝国兵たち。竹子は薙刀を風車のように旋回させ、次々と刃を弾き返し、敵の急所を的確に薙ぎ払っていく。
一人。二人。三人。
斬るのではなく、崩す。関節を打ち、膝を払い、戦意ごと叩き伏せる。竹子の脳裏にあるのは、あくまで「城下へ続く道」を塞ぐことだけだ。無駄な深追いはせず、包囲の一角を突き崩しては、次の敵へと薙刀の切先を滑らせる。
だが、相手はただの斥候ではなかった。
「怯むな! 隊列を組み直せ!」
声を上げたのは、兜に朱の房飾りを付けた小隊長格の男だった。浮き足立っていた兵たちが、その一喝で瞬時に立て直る。盾を構えた者が前列に並び、その隙間から槍が突き出される――竹子の知る戦国の足軽陣に似た、しかし遥かに統制の取れた動きだった。
盾の壁が、じり、じりと間合いを詰めてくる。
(正面から崩すには、分が悪い)
竹子は後方へ跳んで距離を取ろうとした。だが、その退路を読んでいたかのように、左右から回り込んでいた別動隊が同時に槍を突き出す。
前方に盾、左右に槍。退くべき道が、瞬時に塗り潰された。
薙刀の間合いは広い。だが、四方から迫る穂先すべてを、一振りで捌ける道理はない。
竹子は歯を食いしばり、右手の槍を叩き落とし、返す刃で左手の槍を弾く。だが、その一瞬、正面の盾兵が短く踏み込み、盾の縁で竹子の左肩を強かに打った。
「――ッ」
骨に響く衝撃。体勢が、わずかに崩れる。
たったそれだけの綻びを、歴戦の兵たちは見逃さなかった。
「今だ! 押し込め!」
複数の穂先が同時に迫る。竹子は身を捩り、辛うじて致命の一撃は躱したものの、二の腕と太腿に浅くない裂傷が走った。熱い血が滴り落ちる感触。だが、それに構う余裕もない。
――そして、竹子の対応が一拍遅れた、その隙を。
最も危険な敵が、見逃さなかった。
後方の森影に陣取っていた魔法兵が、ゆっくりと杖を持ち上げていた。周囲の兵が竹子を拘束するように群がっているのは、あるいは最初からこの一撃のための布石だったのかもしれない。
「――我、火の理を紐解く者なり。灼熱よ、かの者を灰と成せ」
詠唱と共に、杖の先端に赤黒い光が凝縮していく。先だって斬り裂いた野盗の炎とは、纏う圧が違う。空気そのものが歪み、竹子の背に、焼けるような熱波が先んじて突き刺さる。
(背中、か)
完全な死角。目の前の兵の穂先を捌くだけで手一杯の今、振り向く一瞬の隙すら、致命傷に直結する。
会津の戦場で、幾度となく感じたあの感覚――死が、すぐそこまで迫っている確かな実感。
竹子は奥歯を噛みしめた。
――ここで終わるわけには、いかぬ。姫君に、まだ誓いを果たしておらぬ。
渾身の力で目の前の兵を薙ぎ払い、無理やり体を反転させる。だが、間に合わない。頭では分かっていた。炎はすでに、竹子の背に到達する寸前まで迫っていた。
その、刹那。
ヒュンッ!
風を裂く鋭い音が、戦場の喧騒を切り裂いた。
一本の矢が、寸分の狂いもなく魔法兵の喉元を射抜く。
「……ッ、が――」
凝縮されかけていた炎が、術者の絶命と共に霧散し、宙に虚しく散った。
竹子は目を見開いたまま、振り返った先に何もないことを確かめると、詠唱の途切れた敵陣に、束の間の動揺が走るのを見逃さなかった。
「今――ッ!」
肩の痛みも、脚の裂傷も度外視し、竹子は地を蹴った。乱れた包囲の隙間へ体を滑り込ませ、盾兵の脇を抜けざま、小隊長格の男の籠手を斬り飛ばす。統率の要を失った兵たちは、瞬く間に烏合の衆と化した。
「ひ、退けッ! 撤退だ――!」
残った兵たちが算を乱して森の奥へと逃げ散っていく。
竹子はすぐには追わず、荒い息を吐きながらその場に片膝をついた。左肩に走る鈍痛と、腕に伝う血の熱さを確かめる。
(危ういところであった……)
竹子は乱れた息を整えながら、矢の飛来した方角――鬱蒼と茂る木々の頭上を、静かに見上げた。
***
――なぜ、あんな人間の真似をしてしまったのだろう。
森の木々の上を軽やかに跳び移りながら、ビアンカは忌々しげに舌打ちをしていた。
帝国の軍靴が近づいているせいか、森の獣たちはすっかり怯えて姿を隠し、今日の獲物も小鳥一羽だけだ。これでは飢えを凌ぐことすら難しい。
(義勇兵の募集など、行くのではなかった……)
昨日、城下で軍旗に唾を吐き捨てた己の衝動を思い出す。
エルフの軍を追放され、行き場を失った自分に「居場所」が欲しかったのかもしれない。だが、人間の指揮官が口にしたのは、かつて自分の部下たちを無謀な突撃で死なせた、あの忌まわしい隊長と全く同じ「名誉」と「大義」だった。
どこへ行こうと、軍隊とはそういうものだ。下っ端の命を使い潰すことでしか成り立たない。
苛立ちと共に樹上で足を止めた時、眼下から剣戟の音が響いてきた。
見下ろすと、異国の装束を纏った人間の女が、十数人の帝国兵を相手に一人で立ち回っていた。
ビアンカの翠の瞳に、軽蔑の色が浮かぶ。
(また『大義』に酔った阿呆が、死地に飛び込んだか。勝てない戦いをして犬死にする。……本当に、人間というやつは)
冷たく見捨てようとした。しかし、ビアンカの目は、人間の女の「剣の軌道」に釘付けになった。
彼女の振るう長柄の刃は、決して敵の首を取るためだけに前へ出ようとはしない。敵の刃をいなし、押し留め、包囲の輪が「城下へと続く道」へ漏れ出ないように、己の身を盾にして立ち塞がっている。
それは、手柄を焦る者の剣ではない。
他人の命を守るために、すべての刃を己の身一つで引き受けようとする、狂おしいまでの「守護の一撃」であった。
(……あいつ、馬鹿か。そんな戦い方をすれば、自分が死ぬぞ)
かつての部下たちの死顔がフラッシュバックする。
自己満足の犠牲となった部下たち。しかし、眼下にいるこの人間の女は、部下を犠牲にするどころか、自分自身を犠牲にしてでも背後(城下)を守ろうとしている。
魔法兵の杖が、女の背中に向けられた。
「――ちっ」
気づけば、弦を引いていた。
***
戦闘が終わり、静寂が戻った森。
竹子は夜叉霧の刃についた血を懐紙で拭い、背中の襷にしっかりと固定し直した。そして、真っ直ぐに上を見上げ、頭上の枝葉に向かって口を開いた。
「見事な弓だった。助太刀、感謝する」
観念したように、ビアンカが音もなく樹上から降り立った。
その翠の瞳には、警戒と困惑が入り混じっている。
「……勘違いするな。人間の軍人を助けたわけじゃない。騒がしくて獲物が逃げるから、手を出しただけだ」
「そうか」
竹子はそれ以上追求せず、懐から一枚の銀貨を取り出すと、ビアンカに向かって放り投げた。
反射的にそれを受け取ったビアンカは、眉をひそめた。
「なんだ、これは」
「私からの礼だ。背中を預けられたのは事実ゆえな」
「……人間の武人に借りを作るつもりはないと言っている」
「借りではない。正当な報酬だ。それに――」
竹子は、ビアンカの痩せた体躯と、腰に下げられたみすぼらしい小鳥の獲物をちらりと見た。
「私は共に戦える者を探している。気が向けば、フラットペインの城に参られよ。……腹が、減っていよう」
それだけを言い残し、竹子は背を向けて歩き出した。
取り残されたビアンカは、手の中の銀貨の冷たい感触と、竹子の消えた方向を交互に見つめ、強く唇を噛んだ。
(腹が、減っていよう、だと……? なんだあの女は。偉そうに)
反発する心が渦巻く。しかし、銀貨を握りしめる手は、どうしようもなく震えていた。
***
その夜。ビアンカの足は、無意識のうちに城下町へと向いていた。
場末にある小さな食堂の隅で、ビアンカは一人、湯気を立てる肉と豆の煮込み料理を口に運んでいた。
竹子に貰った銀貨で頼んだ、久しぶりの温かい食事。それが、冷え切った内臓にじんわりと染み渡っていく。
『腹が、減っていよう』
あの人間の武人が自分に向けた眼差し。そこには憐憫も、恩着せがましい傲慢さもなかった。ただ、一人の生き物として当然の生理的欲求を気遣う、無骨で静かな情だけがあった。
「……っ」
ビアンカはふいに、木製の匙を握る手を止めた。
視界が歪む。ポロポロと、翠の瞳から大粒の涙が溢れ出し、卓の上の木の器に落ちて波紋を作った。
数百年を生きるエルフである自分が。軍隊に絶望し、心を氷のように閉ざしていた自分が。
たかが人間の武人のたった一言で、なぜこんなにも人目もはばからず涙を流しているのか。
ビアンカ自身にも、その理由は分からなかった。ただ、温かい煮込みを喉の奥へ押し込むたびに、枯れ果てたはずの涙が際限なく溢れ続けていた。




