第拾話「獣人の少女・ディローザ」
ビアンカが遊撃部隊に加わった翌日。
その日、竹子は領主代行であるイルミナと共に、護衛もつけず城下の市街を歩いていた。
「次にお会いするメリッタという娘は、元々は貴族の出なのです。ですが実家が没落し、今は下町でくすぶっていまして」
「ほう。魔導工学の才があるとか」
「ええ。少々変わり者ですが、腕は確かです。彼女がいれば、タケコ様の仰っていた『兵器の整備と兵站』の助けになるかと」
「いくら前線で槍を振るおうと、腹が減っては戦はできぬし、武器が手入れされていなければ命を落とします。遊撃を為すには、欠かせない人材ですね」
そんな会話を交わしながら大通りを進んでいると、不意に城門の方から激しい怒声が聞こえてきた。
「ええい、どかんか! 私は正当な通行証を持っているのだぞ!」
門の前で警備兵と揉めていたのは、豪奢な服を着た恰幅の良い商人だった。その後ろには、山のように木箱や麻袋を積んだ数台の荷馬車と、武装した五人の傭兵が控えている。
「ならん! 帝国軍が目前に迫っている今、それほどの食料と物資を街から持ち出されてはたまらん! 街のために供出してもらう!」
「馬鹿を言え、これは私の財産だ! 帝国軍だって、長年取引のある私の顔を見れば手出しはせん。お前たちのような泥舟に付き合って死ぬ気はないわ!」
商人は顔を真っ赤にして唾を飛ばした。その後ろでは、五人の傭兵たちがいつでも剣を抜けるよう、柄に手をかけて警備兵を威圧している。
一触即発の空気に、イルミナが凛とした声で割って入った。
「そこまでになさい」
「ひ、姫様……っ」
警備兵たちが慌てて道を開ける。イルミナは商人と対峙すると、静かに、しかし威厳を持って告げた。
「物資の持ち出しを禁じているのは私の命令です。ですが、強引に奪い取るつもりはありません。その荷、領主の名においてすべて適正な、いや、それ以上の高値で買い取りましょう」
イルミナの背後で、竹子がすっと前に出た。そして、懐からずっしりと重い金貨の袋を取り出し、商人の足元へ放り投げた。
袋の口が開き、眩い黄金の輝きがこぼれ落ちる。
「……なっ」
「中身を確認しろ。お主が帝国に売り捌くより、遥かに高くつくはずだ。帝国に物資が渡るのを防ぐための、これは『戦費』だ」
竹子の鋭い眼光と金貨の山に、商人はゴクリと喉を鳴らした。慌てて金貨の袋を掻き抱き、卑しい笑みを浮かべる。
「ひ、姫様がそう仰るなら、荷はすべて置いていきましょう。さあ、お前たち、行くぞ!」
「待て。そこの傭兵たち」
踵を返そうとした商人たちを、竹子が呼び止めた。
「金なら払う。物資を運ぶ必要がなくなったのなら、この街に残り、我らと共に戦わぬか」
竹子の勧誘に対し、傭兵のリーダー格の男は鼻で笑った。
「冗談じゃねえ。俺たちはこの旦那を『隣街まで護衛する』契約で雇われてるんだ。戦力差も分からねえほど馬鹿じゃねえよ。合法的にこの死に損ないの街を出られる契約なんだ、誰が好き好んで残るか」
自分の命が一番大事だ、と悪びれもせずに言い放つ傭兵。
竹子は彼らを責めなかった。金で命を張る者たちに、大義を強要しても寝首を掻かれるだけだ。
「……分かった。行け」
「あ、そうです。荷を全てお買い上げ頂いたので、こいつはもう用済みです。無駄に餌代をかける必要もないので、これもお付けしますよ」
商人が思い出したように荷馬車の影から引きずり出してきたのは、一人の獣人の少女だった。
頭には丸い熊の耳。手足は丸太のように太く、少女と呼ぶには異常なほど大柄で屈強な体躯をしている。だが、その琥珀色の瞳はひどく怯えきっており、まるで迷子になった幼児のように落ち着きなく彷徨っていた。
「十七歳の雌。稀に出る『熊の因子』が強すぎる獣人でね。力だけは馬鹿みたいに強いんだが、いかんせん頭が絶望的に鈍くてな。同族からも恐れられて売り飛ばされたのを、荷運び用に安く買ってやったんだが……これじゃ飯を食うだけの穀潰しだ。戦には使えんかもしれませんが、どうぞ盾代わりにでもしてくださいな」
商人は忌々しげに少女の背中を突き飛ばすと、足早に傭兵たちと共に城門の外へと消えていった。
残された少女――ディローザは、地面に転がったまま、どうしていいか分からずにオロオロと周囲を見回していた。主人がいなくなり、見知らぬ人間に囲まれ、大きな体を丸めてガタガタと震えている。
竹子は夜叉霧を脇に置き、ディローザの目線に合わせるように、ゆっくりと片膝をついた。
「怪我はないか。怖かっただろう」
ディローザがビクッと肩を揺らす。だが、竹子は穏やかな所作で、先ほど城下を歩きながら屋台で買っていた包みを取り出した。
中に入っていたのは、甘く煮詰めた豆の餡を生地で包んで焼いた、小さな焼き菓子だ。故郷の饅頭によく似た素朴な匂いが、ふわりと広がる。
「ほら、まだ温かい。遠慮するな」
竹子がそれを差し出すと、ディローザは警戒するように竹子の顔と菓子を交互に見つめ、やがて、恐る恐る大きな手でそれを受け取った。
一口、かじる。
甘い餡の味が口いっぱいに広がった瞬間、ディローザの琥珀色の瞳から、ポロポロと大粒の涙が溢れ出した。
「あ、ぁ……っ」
ディローザは焼き菓子を大事そうに両手で包み込み、何度も何度も頬に寄せた。
それから、子どものように少しずつ口へ運び始めた。
親元を引き離され、同族に売られ、ただの荷運びの獣として扱われてきた少女。
菓子を食べ終えたディローザは、涙と泥で汚れた顔を上げ、竹子の袖を大きな指でそっと摘んだ。
「ねえちゃん……ディの、ねえちゃんになって」
強すぎる獣人因子のせいか十七歳にしては舌足らずで、拙い言葉。
だが、その純粋な響きが鼓膜を打った瞬間、竹子の胸の奥が、ぎゅっと締め付けられた。
『竹子姉様! 我らも共に、異人どもと戦います!』
脳裏に蘇るのは、かつて会津の地で竹子を慕ってくれた、幼き少年たちの顔だ。
(……この子も、同じだ)
竹子は痛む胸を押し隠し、ディローザの大きな頭に優しく手を乗せた。
くしゃくしゃの熊耳が、嬉しそうにピクピクと動く。
「……ああ。私が、そなたの姉になろう
戦うためではなく、守るために。
竹子はディローザの頭を撫でながら、改めて強く心に誓った。
傍らでその様子を静かに見守っていたイルミナもディローザに手を差し出した。
「ようこそ、ディローザさん」
「姫様。長居をしてしまいましたね。メリッタ殿の元へ急ぎましょう」




