第拾壱話「魔導工学の令嬢・メリッタ」
城下の外れ。人気のない路地裏へ向かって歩きながら、イルミナはどこか懐かしむような笑みを浮かべていた。
「次にお会いするメリッタという娘ですが、私とは六年ほど前からの付き合いになります」
「ほう。姫君の古いご友人ですか」
「ええ。出会いは、私がまだ十歳、彼女が十八歳の頃でした」
イルミナは目を細め、当時の記憶を語り始めた。
――六年前。
帝国から流れてきた優秀な魔導工具師が城下に居着いたらしい。そんな噂を聞きつけた兄ビルドーは、意気揚々と妹のイルミナを連れて視察に向かった。
『なんだ、この乱雑な小屋は!』
路地裏の工房の扉を開けた瞬間、ビルドーは乱雑に散らかった室内に顔を顰めた。だが、イルミナの反応は正反対だった。所狭しと並ぶ不思議な機械や金属の部品たちを見て、まるで玩具箱をひっくり返したような光景に目を輝かせたのだ。
顔を油で汚した若い女――メリッタは、貴族の兄妹が来ても挨拶一つせず、面倒くさそうに工具を弄っていた。
やがて、ガラクタの山に埋もれていた一際大きな筒状の魔導具に、ビルドーが目を留めた。
『こ、これは……まさか魔導砲か!?』
『いえ、ただのおもちゃです』
『完成品なのか?』
『調整は必要ですが、完成はしております』
『量産は可能か!』
鼻息を荒くするビルドーに、メリッタは呆れたようにため息をついた。
『量産? 可能ですが、おもちゃにしては高くつくので、量産しても売れないと思いますが』
『多少高くても構わん! ただし、他所には売るな。当家で全て買い取る!』
『まぁ、別に良いですけど。無駄に高いだけのおもちゃですよ?』
『これだけでも、すぐに実射は可能か』
『今すぐは無理ですが、一日あれば』
『よかろう。では明日、城の練兵場で試射を頼む』
そして翌日。
急遽、病床にあったイルミナたちの父(領主)をはじめ、騎士団やフラットペインの重鎮たちが練兵場に集められた。帝国製の新兵器のお披露目だと、皆が固唾を呑んで見守る中。
――シャラララララララッ!!
けたたましい排気音と共に発射されたのは、破壊的な光線などではなかった。
練兵場の一面に広がったのは、空を舞うキラキラとした虹色の光の渦と、無数のシャボン玉のような魔法の泡だった。
『なんだこれはぁぁぁっ!?』
『きれい!』
激怒する重鎮たち。剣の柄に手をかける騎士たち。顔を真っ赤にして恥じ入る兄ビルドー。無邪気に喜ぶイルミナ。
そして、美しい光の渦を見上げながら、父だけが「はっはっは!」と腹を抱えて大笑いしていた。
騒ぎの中心で、メリッタは悪びれもせずビルドーに尋ねた。
『量産します?』
『いらん!!』
領主を謀った罪で領外追放になりかけたメリッタだったが、最終的には「おもちゃだと言ったのに、兄上が勝手に勘違いしただけ」というイルミナや周囲の証言により、お咎めなしとなった。
以来、イルミナは時折、城を抜け出しては彼女の工房へ遊びに行くようになったのだ。
『ねえ、メリッタ。あの時、お兄様が勘違いしているの知ってたでしょ』
『さあ、どうでしょうね。人の思い込みというものは、魔導回路より複雑ですから』
そう言って悪戯っぽく笑うメリッタの顔を、イルミナは今でも鮮明に覚えていた。
***
工房の扉を開けると、むせ返るような機械油と鉄の匂いが竹子たちの鼻を突く。薄暗い工房の中では、二十四歳になったメリッタが、昔と変わらぬ油まみれの作業着姿で、一心不乱に機械の残骸をいじっていた。
「メリッタ。客人を連れてきましたよ」
イルミナが声をかけても、瓶底のように分厚い眼鏡をかけたメリッタは振り返りもしない。
「……話しかけないでください。今、この第参世代型魔力コンデンサと駆動系シリンダーの美しい接合部について、脳内で究極の解を導き出しているところなんです。ああ、どうしてこの二つの規格はこうも噛み合わないのかしら、全く尊い……」
ぶつぶつと早口で呟きながら、レンチを握る手を休めない。
竹子は散らかった工房の中を静かに進み、メリッタの背後に立った。
「……そこの前髪の長い武人さん。私の聖域に無断で入るなら、怒りますよ」
メリッタがレンチを置き、油で汚れた顔を向けて睨みつけてきた。
「どうせあなたも、私の『才能』だけをあてにして、馬鹿みたいな威力の出る兵器を作れと命令しに来たんでしょう?」
彼女は自分に近づく人間を信じていない。実家の貴族たちもそうだった。どうせ皆、自分の技術を都合よく搾取し、手に余れば捨てるのだと。
だが、竹子はメリッタの言葉を意に介さず、足元に転がっていた手入れの行き届いた工具を拾い上げ、静かに言った。
「戦は、前線で武芸を振るうだけで成るものではない」
「……え?」
「刀の手入れ、兵糧の算段、そして道具の整備。いかに優れた将がいようと、兵站を制する者が戦を制するのだ」
竹子は、まっすぐな黒曜石の瞳でメリッタの眼鏡の奥を射抜いた。
「大筒の威力などどうでもいい。私が求めるのは、兵の命を繋ぐ確かな武具の手入れと、部隊の屋台骨を支えるための裏方の知識だ。――お前の力は、必ず要る」
メリッタは、眼鏡の奥で目をパチクリと瞬かせた。
それは彼女にとって、生まれて初めての経験だった。持て余すほどの「才能」を求められたのではない。彼女が日々油まみれになって行っている、地味で、誰からも評価されない「裏方の役割」そのものを、明確に必要だと言い切られたのだ。
「……兵站、ですか」
メリッタは小さく鼻を鳴らし、床のレンチを拾い上げて再び作業台に向き直った。
「……それは正論ですね。正論ですが、認めるのと従うのは別問題です。私はね、武人さん。今まで散々『お前の技術は道具として都合よく使ってやる』と言われ続けてきたんです。今更、殊勝な台詞ひとつで簡単に転ぶような女だと思わないでください」
冷たく言い放ち、背を向けるメリッタ。
だが、背後からの気配は消えない。竹子は怒るでもなく、呆れるでもなく、ただ静かに、岩のようにその場に佇み、メリッタの背中を見つめ続けていた。
カチャ、カチャと工具の音だけが響く数分の沈黙。
その真っ直ぐで嘘のない視線の圧力に根負けしたのか、やがてメリッタは苛立たしげに前髪をかき上げた。
「……ああもうっ、分かりましたよ! 三日。三日だけ、見させてください!」
メリッタは振り返り、竹子を真っ直ぐに指差した。
「あなたの言う『兵站』とやらが、私を都合よく使うための口先だけの綺麗事じゃないか、この目で確かめてから決めます。それでボロが出たら、即刻帰らせてもらいますからね!」
「……相分かった。歓迎しよう」
竹子は微かに口角を上げ、深く頷いた。
***
三日間。竹子はメリッタに何も命じなかった。ただ、毎朝、工房の扉を叩き、無言で夜叉霧の刀身を差し出した。
「……ちょっと! これ、私に手入れをさせるつもりですか!? 私は魔導工具師であって、鍛冶師じゃありませんよ!」
「刀の道理は、機械の道理と通じるはずだ。頼む」
ぶつぶつと文句を言いながらも、メリッタは油まみれの手で丁寧に薙刀を受け取った。
二日目。竹子は工房の隅に腰を下ろし、メリッタの作業を無言で見守った。時折、質問を挟む。
「その筒は、何のためのものだ」
「ああ、これですか? 試作の魔石発火装置です。作ったはいいけど、暴発するので誰も欲しがらなくて――」
「暴発する、というのは、狙って暴発させることも可能か」
「え……」
メリッタが眼鏡の奥で目を瞬かせた。
「そんな使い方、考えたこともなかった……」
三日目の夜。メリッタは工房の隅で、油まみれの前掛けをかけたまま、静かに竹子の前へ歩み出た。
「……武人さん」
「なんだ」
「あなた、私の作った失敗作を、一つも『くだらない』と言いませんでしたね」
「失敗と決めているのはお前だ。私にはどれも、まだ用途を見出されていない道具に見えた」
メリッタは俯いた。眼鏡の奥から、ぽつりと涙が一粒、工房の床に落ちた。
「……ずるいですよ、そういう言い方」
顔を上げたメリッタの瞳には、もはや疑いの色はなかった。
「あなたの隊、参加させてもらいます。ただし――」
「ただし?」
「私の作った『くだらない失敗作』も、全部、戦場に連れて行ってくださいね」
「約束しよう」
こうして、フラットペイン領で最も口の悪い魔導工具師が、遊撃隊の兵站を担うことになった。




