↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【会津の烈女】 介錯された会津藩士の娘、辺境伯令嬢に拾われる ~薙刀一つで新・娘子隊を作ります~  作者: 真野真名
第六章 亡霊たちの夜明け 〜思想の衝突と、覚醒〜

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

56/60

第肆拾玖話「夕餉の汁」




 同じ日の、夕刻。

 主要陣の食堂に、娘子隊の面々が集まっていた。


 誰が呼んだわけでもない。

 ただ、そういう夜というものがある。


 前哨戦から帰った日。

 尋問が終わった日。

 そして――翌朝には、砲声が聞こえると分かっている夜。


 そういう夜は、誰かが最初に卓へ着く。

 次の誰かが、汁の椀を持って隣へ座る。

 そうして、いつの間にか席が埋まっていく。


 最初に座ったのは、コーディアだった。


 彼女は、いつものように大鍋を卓の中央へ、どん、と置いた。


 芋と玉ねぎ、少しの干し肉、たっぷりの豆。宿屋の娘が作る、質素な汁だった。けれど、温かった。




「――今日の農村の件、報告書は明日まとめます」


 メリッタが、書物を抱えて座った。

 書物は開かない。


 コーディアが椀を差し出した。


「うん。今日はいいよ」


「……いい、ですか?」


「今日は、食べよう」


 メリッタは少しだけ目を瞬かせ、それから眼鏡を外した。


「――そうしましょうか」



 ディローザが入ってきた。


 大剣は廊下へ立てかけ、卓の端に身を縮めるように座る。


 椀を受け取っても、すぐには口をつけなかった。


 湯気を、じっと見ている。


「……ディ」


 ぽつり、と呟いた。


「まだ、あの村の婆様の顔、忘れられない」


 誰も答えなかった。答えられなかった。


 やがて、コルニャがディローザの隣へ座った。


 いつもなら忙しなく動く獣人の耳が、今日は伏せられている。


 汁を一口だけ啜ってから、彼女は言った。


「……あたし、あの婆様、知ってるんだよね」


「知ってる、って?」


「前に、あの峠を通った時。水、飲ませてもらったの」


 コルニャは椀の中を見た。


「あたしが獣人だから、村によっては井戸を貸してくれないんだけどさ」


 耳が、さらに伏せられた。


「……あの婆様は、『こんな山の中までよう来たな。飲め、飲め』って」


「……」


「それから、名前を聞いてくれた」


 コルニャは、ぽつりと言った。


「『あんた、名前は?』って」


 卓が静かになった。


「あたし、名前を聞いてくれる人、あんまりいなかったから」


 ペルトが、何も言わずに隣へ座った。


 彼女の指が、コルニャの耳の付け根をそっと撫でる。


 コルニャは、目を閉じた。




 しばらくして、ラピエラが入ってきた。


 卓の隅へ腰を下ろし、椀を受け取る。


「――今日のあの村」


 彼女は湯気を見ながら言った。


「あーしが昔いた路地に、ちょっと似てた」


「……」


「あーしが拾われる前の路地な。番地もなかった。地図にも載ってなかった」


 ラピエラは汁を一口啜った。


「役人も来ねぇ。税吏も来ねぇ」


 そこで、少し笑った。


「つまり、誰にも数えられてなかったってことだ」


 メリッタが顔を上げた。


「ブロックス将軍の思想なら、そこに住む人たちも、きちんと数えられるようになるでしょうね」


「そうかもな」


「それは、悪いことではないと思います」


「ああ」


 ラピエラは頷いた。


「……でもな」


 椀を卓へ置く。


「数えられるようになった代わりに、誰かを数から外すんじゃ、意味ねぇよ」


 メリッタは黙った。


「あーしは、あの将軍の言ってることが、全部嫌いってわけじゃねぇんだ」


 ラピエラは、少しだけ目を伏せた。


「あーしみたいなのを、最初から『人間一人』として数えてくれる世界なら、それは悪くねぇと思う」


「……」


「でも、あーしを拾ってくれたのは、そんな世界じゃなかった」


 彼女は卓を見回した。


「婆さんだったり、盗人だったり、隊長だったり……そういう誰かが、あーしの名前を呼んでくれた」


 指先で、椀の縁をなぞる。


「それだけで、あーしは、ここにいる」




 ビアンカが鼻を鳴らした。


「……あなた、今日はずいぶんしみったれてるわね」


「うっせぇな。お綺麗なエルフの姉さんに言われたかねぇよ」


「私だって、明るい気分じゃないわ」


 ビアンカは、しばらく椀に手をつけなかった。


「私は、身分制度がどうとか、正直よく分からない」


「……」


「私が森を出たのだって、そんな立派な理由じゃない。上司の無茶振りが嫌だっただけよ」


 そこで、彼女は広場の光景を思い出したように目を伏せた。


「でも、今日、一つだけ思った」


「何を?」と、竹子が初めて口を開いた。


 竹子は、いつの間にか卓の端のいつもの席に座っていた。汁の椀を両手で握って。


 ビアンカは、竹子を見た。


「階級があろうが、なかろうが」


 ビアンカは言った。


「死んだ人間の名前を呼ぶ奴が、最後に残っているかどうか」


 椀を持ち上げる。


「私は、それが大事だと思う」


「……」


「名前を呼ぶ人間がいなくなったら、その人は二度死ぬ」


 少し間を置いて、


「私は、そういうのが嫌」


 そう言って、汁を啜った。



 リドリーは、卓の端に座っていた。


 大きな身体を、いつもより小さくしている。


「――私は」


 静かに口を開いた。


「ブロックス将軍の世界なら、救われる者もいると思います」


 誰も驚かなかった。


「私は、男として生まれた。それだけで、跡継ぎであり、騎士であることを求められました」


 椀の湯気を見つめる。


「私は、それでは、生きられなかった」


 指先が、椀を強く握った。


「だから、身分というものがなくなれば、私はもっと早く、自分の心に素直に従えたのかもしれません」


「……」


「そう思うことがあります」


 リドリーは、卓の面々を見た。


「ですが」


 ほんの少し、笑った。


「私を拾ってくださったのも、私の心を偏見なく認めてくださったのも、この身分のある世界の人たちでした」


 そこで言葉を止めた。


「……だから、どちらが正しいのか、私には分かりません」



 メリッタが眼鏡を掛け直した。


「一つだけ、いいでしょうか。私は、あの将軍は頭のいい方だと思います」


 全員がメリッタを見る。


「だからこそ、間違い方が怖い」


 メリッタは椀を見た。


「人間を数えること自体は、悪くありません。むしろ、数えなければ救えない人もいる」


 眼鏡の奥の目が、細くなる。


「でも、何を数えるかを決めた人間が、その外側にいるものを『存在しない』ことにしてしまったら」


 少しだけ間を置く。


「数字は、正確でも、嘘になります」


 誰も口を挟まなかった。


「……戦争は、その間違いを、次の版まで待ってくれませんけれど」


 メリッタは汁を啜った。


「人が死んでしまいます」



 しばらく沈黙が続いた。


 やがて、コーディアが口を開いた。


「――みんな、難しいこと考えてるなあ」


 ラピエラが笑った。


「お前は考えてねぇのかよ」


「考えてるよ」


 コーディアは胸を張った。


「明日の朝、何を食べさせようかな、とか」


「……それは、まあ、大事だな」


 ディローザが呟いた。


「うん。大事」


 コーディアは鍋を覗き込んだ。


「うちの宿屋には、身分の高い人も来る。低い人も来る。冒険者も、行商人も来る」


 木匙で鍋をかき混ぜる。


「それで、みんな同じ卓で、同じ豆汁を食べるの」


 彼女は顔を上げた。


「身分がなくなったら、みんな平等になるのかもしれない」


 少し考えて、


「でも、私は、違う身分の人が、そのまま一緒に食べられる方が好き」


 そして笑った。


「だから、私は明日も頑張る」


 それは思想ではなかった。


 信条ですらない。


 宿屋の娘が、今日の続きを明日もやろうとしているだけだった。



 最後に、カラミーテが卓へ着いた。


 扇子を閉じ、汁の椀を受け取る。


「……皆様」


「ん?」


 ラピエラが顔を上げた。


「見事に、意見が違いますわね」


「喧嘩売ってんのか?」


「まさか」


 カラミーテは微笑んだ。


「むしろ、安心いたしました」


「安心?」


「ええ。全員が同じことを言い始めましたら、それこそ私は怖くなりますもの」


 彼女は、卓を見回した。


「私たちは、皆、違うものを恐れております。違うものを大切にしております」


 扇子を閉じたまま、膝の上へ置く。


「だから、同じ思想になる必要など、ございません」


「……」


「隣にいる方と、考え方が違ってもよい」


 カラミーテは、静かに言った。


「それでも、隣にいてくださるなら」


 そこで、微笑んだ。


「私は、それで十分だと思います」




 竹子は、ずっと黙っていた。


 卓の上には、同じ鍋からよそわれた汁が並んでいる。


 誰も、同じことを考えてはいない。

 誰も、同じものを恐れてはいない。


 それでも――明日の朝には、皆、同じ城壁に立つ。


 竹子は、冷めかけた椀を持ち上げた。


 一口、啜る。


「……少し、冷めたな」


 コーディアが笑った。


「お代わり、ありますよ」


「うむ」


 竹子は椀を差し出した。


「では、いただこう」


 コーディアが、嬉しそうに鍋から汁をよそう。


 誰も、それ以上、思想の話をしなかった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。