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【会津の烈女】 介錯された会津藩士の娘、辺境伯令嬢に拾われる ~薙刀一つで新・娘子隊を作ります~  作者: 真野真名
第六章 亡霊たちの夜明け 〜思想の衝突と、覚醒〜

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第肆拾漆話「ブロックスという理想」




 村を出て、フラットペイン領主城へ戻る峠道。


 朝の冷たい風が、まだ焼け跡の匂いを運んでいた。


 その途中だった。


「――止まってくださいませ」


 カラミーテが馬を止めた。


 少し先の岩陰に、人影がある。帝国軍の兵士だった。

 正確には、兵士というより、取り残された男だった。


 左脚に深い矢傷を負い、岩にもたれたまま動けずにいる。

 その傍らには、帝国軍の標準槍が一本、地面に置かれていた。


 男は、こちらに気づくと、ゆっくり両手を上げた。


「――抵抗はしない」


 声は若かった。


「帝国軍第三方面軍、第七大隊、中尉。ステーム・トムソン」


 竹子は、夜叉霧を抜いたまま、男を見た。


「武器を捨てたのは、なぜだ」


「もう、走れないからだ」


「……」


「昨日の夜、斥候との小競り合いで矢を受けた。歩けなくなった俺を、隊はここに残した」


「見捨てられたのか」


「違う」


 トムソンは首を横に振った。


「後送部隊を待て、と命令された。だが、主隊の進軍が予定より早かった。俺が追いつけない以上、先に行く。それがあの軍のやり方だ」


 竹子は、少しだけ眉を寄せた。


「……なるほど」


「俺も、そうする」


 トムソンは苦笑した。


「俺が指揮官でも、そうするだろう。二万の進軍を、一人の負傷兵のために止める理由はない」


 その言葉に、ディローザの眉が動いた。


 だが、竹子は彼女を制するように片手を上げた。


「――武器は」


「槍を一本。腰に短剣」


「短剣を抜け」


 トムソンは素直に短剣を外し、地面へ置いた。


「……それでいいか」


「うむ」


 竹子は夜叉霧を下ろした。


「立てぬなら、担いでいく。そなたを捕虜とする」


「分かった」


 トムソンは抵抗しなかった。ただ、胸元に手を入れた。


「――一つ、頼みがある」


「何だ」


「これを燃やしたい」


 取り出したのは、一冊の小さな帳面だった。


「俺の隊の賞罰記録だ。敵に渡したくない」


 竹子は帳面を見た。


「中身は問わぬ。ただし、燃やす前に私と副長に見せてもらう。内容は覚えぬ。書式だけを見る」


 トムソンは少し驚いた顔をした。


「……あんたが噂のタケコ・ナカノか」


「そうだ」


「噂通り、話が通じる」


 彼は、初めて微かに笑った。


「――連行してくれ」





 尋問室は、地下ではなかった。


 明るい部屋に机が一つ。その上には湯呑みが二つ置かれている。


「うちの尋問室は、お茶が出る所でございますよ」


 カラミーテはそう言って、本当にもう一杯茶を淹れた。


 トムソン中尉は、湯呑みを両手で包んだ。しばらく、その温かさを確かめるように黙っていた。


 部屋の隅にはラピエラが立っている。


「トムソン中尉様。……お名前をもう一度、頂戴してもよろしゅうございますか」


「ステーム・トムソン」


「ご出身は」


「――帝都近郊。ドリガンという小さな町だ。父は、蹄鉄屋だった」


「魔導兵学校の、ご出身で?」


「……いや。俺は、成り上がりではない。徴兵から叩き上げた、下士官上がりの中尉だ。学校は出ていない」


 カラミーテは扇子を静かに開いた。


「まず一つだけ。……あなたは、サードル・ブロックス将軍を、尊敬しておられますか」


「している」


 即答だった。


「なぜ?」


「俺の命を救ったからだ」


「……それだけで?」


「それだけじゃない」


 トムソンは湯呑みを見つめた。


「俺は魔導兵学校を出ていない。徴兵から上がっただけの兵だ。家も、父は蹄鉄屋だった」


「それが?」


「北方戦役の時、俺の中隊は貴族出の大佐の命令で無意味な突撃をさせられた」


 声が少し低くなった。


「理由は、その戦区に大佐の親戚の伯爵家の紋章を立てるためだった」


 カラミーテの扇子が止まった。


「……それは」


「俺たちは半分死んだ」


 トムソンは続けた。


「当時、少佐だったブロックス将軍が命令を無視して、俺たちを撤退させた」


「独断で?」


「ああ」


「その結果は」


「大佐は処罰された。ブロックス少佐は昇進した」


 トムソンは、湯呑みを一口傾けた。


「俺たちは、生き残った」


 その言葉には、理屈よりも重いものがあった。


「九十二人だ」


「……九十二人」


「翌年の春を見た」


 カラミーテは、しばらく黙っていた。


 それから、静かに尋ねた。


「だから、将軍を信じている?」


「そうだ」


「では――」


 扇子の先が、机の上を静かに叩いた。


「ヴィスタル村の長老衆が殺されたことについては?」


 トムソンの指が止まった。


「……賛同はしていない」


「けれど、将軍は正しい?」


「……」


「お聞かせくださいませ」


 長い沈黙があった。


 やがて、トムソンは言った。


「ブロックス将軍が変えようとしたのは、『生まれで人が死ぬ世』だった」


「はい」


「俺は、それが間違っているとは思わない」


「はい」


「だが――」


 トムソンの指が、湯呑みを強く握った。


「あの村の長老たちは、生まれで死んだんじゃない」


「では?」


「村の意思決定に関わっていたからだ」


「……つまり?」


「生まれではなく、役割だ」


 カラミーテは、しばらく彼を見つめた。


「役割で、人を殺す」


「……そうだ」


「それは、平等なのでしょうか」


 トムソンは答えなかった。

 やがて、絞り出すように言った。


「……俺には、分からない」


「将軍には?」


「将軍には、分かっているんだと思う」


「何が?」


「人間を、生まれではなく、何をする者かで見ることが」


 カラミーテは、扇子を閉じた。その音だけが、部屋に小さく響いた。


「――お答えありがとうございました」


 彼女は立ち上がった。


「あなたのお命は、タケコ隊長にお預けいたします。……お茶、もう一杯お持ちいたしますね」


 トムソンは、少しだけ目を伏せた。


「……ありがとう」




 カラミーテと入れ替わるように竹子が、部屋に入った。


 トムソン中尉は、立ち上がろうとしたが、竹子は、掌でそれを制した。


「一つだけ、伺わせてほしい」


「はい」


「そなたの将軍を、いま私がこの場で悪しざまに罵ったら、そなたはどうする」


 トムソン中尉は、しばらく竹子の目を見た。


「……あなたが罵る言葉が正しければ、俺は黙って聞く。正しくなければ、俺は口を挟む」


 竹子は、頷いた。深く、頷いた。


 「相解った」


 彼女は、部屋を出た。




 廊下で、竹子は、しばらく、壁に、手をついていた。


 カラミーテが、扇子を軽く畳んで、その傍らに立った。


「隊長様」


「うむ」


「あのお方の言い分と、私たちの義は、真っ向から、喧嘩する言い分でございますね」


「そうだ」


 竹子は、しばらく、目を閉じた。


「……あれは、悪ではない」


「悪ならば、斬るのは、容易ゅうございます」


「――うむ」


「悪でないものを、それでも止めねばならぬ時、私たちは、何を頼りにすればよろしいのでしょうか」


 竹子は目を開けた。廊下の窓の外、朝の光が既に白かった。


「分からぬ――分からぬが、それでも止める」


 カラミーテは、静かに、頷いた。


「承知いたしました」




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