第肆拾陸話「並べられた遺体」
夜明け前の空は、まだ藍を残していた。
娘子隊の急行部隊が、フラットペイン領境の農村ヴィスタルの丘に登り詰めた時、その藍の中には既に朱が混じっていた。
朝焼けではなかった。
村の中央、集会場のあった辺りから、細く煙が立ち上っている。屋根が焼けているというよりは、焼け終えて、燠が息をしているという色であった。
「――遅かったか」
竹子は、鞘を払ったままの夜叉霧を手に呟いた。
馬上のビアンカが、鞍から半ば身を乗り出すようにして丘の下を睨んでいる。
ラピエラは既に馬を降りて、影のように地面に片膝をつき、風の匂いを嗅いでいた。
ローズは、肩に止まった小鳥に何かを囁いている。
リドリーは、後衛で、非戦闘員救護用の荷を確認していた。
「隊長」
ラピエラが、低く言った。
「あーしの勘じゃ、敵はもう居ないみたいだ、です」
「――退いた、と?」
「退いたっていうか」
ラピエラは、地面から立ち上がって、砂を払った。
「用が済んだから、帰った。……んな感じです」
竹子は、目を細めた。
「――行くぞ」
村は、半ばが焼けていた。
半ば、というのが、奇妙であった。徹底的な焼き尽くしではない。燃やされたのは、集会場、村役場、教会、そして――穀倉。残されたのは、民家と、井戸と、家畜小屋。
「……焼け方が、変だ」
ラピエラが、焦げた梁の破片を指先で弾いた。
「力任せに焼いた火じゃないな。要る所と要らない所を、分けて焼いてる」
竹子は答えなかった。
家は残っている。だが――村は残っていない。
ディローザが、大剣の柄を握ったまま、村の中央の広場に立ち尽くしていた。
広場の片隅に、無造作に遺体が積み重ねられていた。どれも損傷が激しく、何名分の遺体なのか判別はつかない。
中央には、それらとは別に四つの遺体が並べられていた。
手は胸の前で組まされ、目は閉じられ、一体ずつ莚が掛けられている。
無造作に積まれた遺体とは、明らかに扱いが違った
どれも、老人であった。
「……ねぇさん」
ディローザの声が、震えていた。
「この人たちの、何が、いけなかったの」
竹子は、答えなかった。
答えられなかった。
生存者は、村外れの納屋に集められていた。
これも、帝国兵が「移した」のである。老婆三人、女八人、子供が十人、そして――赤子が二人。合わせて二十三名。全員、傷を負っていない。傷を負う前に、納屋へ押し込められた無抵抗だった者たちである。
納屋の壁には、貼り紙があった。
竹子は、その前に立った。
>帝国軍第三方面軍・進軍公示・第七十四号。
>本村ヴィスタルは、通過経路上の物資補給候補地として調査されたが、備蓄食糧・武器・魔導資源のいずれも規定量に満たず、駐屯価値なしと判定された。よって集会場・穀倉・行政施設のみを焼却し、住民の生活基盤は残置する。
>生存者に告ぐ。最寄りの帝国管区は東三十里、リタニア駐屯地である。労働に耐える者は、生まれを問わず職を与える。老病あらば、施療を与える。
>なお、本村の長老四名は、村の意思決定機能を保持する者と見做され、抵抗の意思を確認の上、処分した。抵抗の意思なき者には、危害を加えていない。
>帝国軍第三方面軍総司令官 サードル・ブロックス
記名はあった。ただし、それは署名ではなかった。
竹子は、その記名を、しばらく見ていた。
背後で、カラミーテが、扇子を静かに閉じた。
「……隊長様。この将軍は」
「うむ」
「怒りではなく、事務で人を殺す方でございますね……」
竹子は、その言葉にただ頷いた。
納屋の中で、老婆が語り始めた。
名を、フィナと言った。齢は七十を越えている。夫は、広場に並べられた四人の中の一番奥の遺体であった。
「逃げよ、と、領主様からの伝令は、来ておりましたじゃ」
老婆は莚に座り震える手で湯呑みを握っていた。
「一月ほど前から、何度も。西へ退け、街へ入れ、と。じゃが……」
彼女は、竹子を見た。
「うちの村は、帝国領との境にあります。年に何度か、峠を越えてあちらの村と塩や干し魚をやり取りしとりました。あちらにも、うちらと同じような貧しい村がある。あちらの爺様と、うちの爺様は名前で呼び合う仲でしたじゃ」
「……」
「じゃから、うちらは、思うとりました。あの峠を越えてくる兵が、うちらの村をわざわざ焼くとは思えん、と」
老婆の目に、涙は、既になかった。涸れていた。
「最初の数分で、教会に立て籠もった者たちの半分が、あとはろくに抵抗も出来ず……」
フィナは俯いた。
「甘かったんじゃのう」
竹子は、莚の端に静かに座った。
「フィナ殿」
「……へえ」
「そなたらは、甘かったのではない。……隣人を、隣人と思うたのだ。それは罪ではない」
老婆は、湯呑みを握る手を更に震わせた。そして、湯呑みの中に涙とも違う、掠れた息を一つ落とした。
しばらくして彼女はぽつりと言った。
「隊長様。……一つだけ、覚えておいてほしいことが、ありますじゃ」
「うむ」
「あの兵の中に、若い衆が一人、おりました。まだ、二十歳になるかならぬか。うちの爺様が、集会場から引き出された時、地面に転がった時、その若い衆が、一瞬、目を伏せたんですじゃ」
竹子の指が僅かに動いた。
「その若い衆は、命令通りに、爺様を運びました。莚を掛ける時も、丁寧でした。……じゃがのう、隊長様」
「うむ」
「わしゃ、あの目を伏せた一瞬が、一番、恐ろしかった」
老婆は、湯呑みを、置いた。
「悼みながら殺す兵が、たくさんおる、ということですじゃろう。……悼まずに殺す兵より、悼みながら殺す兵の方が、止めるのが難しい。そんな気がしますじゃ」
竹子は目を閉じた。
村を出る時、ディローザが、遺体の並ぶ広場の前で動かなくなっていた。
大剣を、地に突き立てていた。両手で柄を握り、その柄の頭に額を寄せている。彼女の大きな肩が上下していた。息が荒い。
「――ねぇさん」
ディローザは、額を柄に押し当てたまま、言った。
「ディ、あいつら、みんな斬りに行きたい」
「……」
「ディ、走れる。今なら、きっと追いつける」
竹子は、彼女の背にそっと掌を置いた。
熱かった。怒りで、身体そのものが熱を持っているようだった。
「――ならぬ」
「でも……」
「あの者の思うままになる」
ディローザが黙った。
「怒ってよい。悲しんでよい。だが、その怒りのままに刃を振るうな」
「……」
「悲しむことは、正しい」
ディローザは、しばらく動かなかった。
やがて、額を柄から離した。
頬には涙の跡があった。
「……ねぇさん」
「うむ」
「ディ、わかった」
「うむ」
「――でも、悲しい」
「……うむ」
竹子は、もう一度だけ、彼女の背に手を置いた。
ラピエラが、村外れの井戸の縁に腰掛けていた。彼女は、二人の会話を聞いていないふりをしながら、しかし、聞いていた。井戸の水面に朝日がようやく差し始めていた。
彼女は水面に向かって独り言のように呟いた。
「……あーしが、まだガキで路地裏で寝てた頃な」
誰も答えなかった。
「あの頃の街の方が、まだ、この村より、ましだったかもしれねぇな」
ラピエラは、井戸の縁を指先でこつりと叩いた。
「……秩序っつう意味では」
彼女は、焼けた村を振り返った。
「怖ぇな、こりゃ」
朝日が、焼け跡を照らし始めた。




