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【会津の烈女】 介錯された会津藩士の娘、辺境伯令嬢に拾われる ~薙刀一つで新・娘子隊を作ります~  作者: 真野真名
第六章 亡霊たちの夜明け 〜思想の衝突と、覚醒〜

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第肆拾伍話「鉛」




 その夜。


 竹子は、珍しく一人で城の最上階へ登った。

 北風が髪を後ろへ流していく。

 石造りの胸壁に手を置き、夜叉霧を左手に抱えて、東の空を見つめた。


 星々は、いつも通りそこにある。


 二万の軍が動いていることも。四十門の魔導砲が街道を軋ませていることも。天は、何も告げない。


 ――以蔵は、精神を抉る「呪い」を投げつけてきた。


 あれは、辛かった。会津の焼け跡が、この胸の底から幾度も蘇った。あの声が、あの視線が幾度も彼女の背を刺した。


 あの男は、竹子を責めた。

 生き残ったことを。

 刀を振るったことを。

 会津を背負ったことを。


 だが、守ろうとしたものまでは否定しなかった。


 しかし、ブロックスは違う。

 あの男は、竹子の存在そのものではなく、竹子が守ろうとしているもの、そのものを否定する。


 ――お前が守っているのは、消えるべき旧弊だ。

 ――お前が命を懸けている「義」とやらは、時代に取り残された古着に過ぎない。

 ――弱小領地の民の誇りも。

 ――少女辺境伯の位も。

 ――消えかけた土地の名も。

 いずれ、平等と法の下で消えていく。


 胸壁を握る指に、力が入る。

 夜叉霧の柄で、翠緑の文様が静かに脈打っていた。


 その否定を、私は心のどこかで微かに肯定してしまう。

 それが恐ろしかった。


 竹子はかつて会津でそれを見ている。


 西から現れた、規格化され、統一された装備に身を包んだ軍隊。

 揃った号令により動く、身分に関係なく能力によって人を使う仕組み。


 そして――


 「武士道など、旧弊である」


 あの男たちは、そう言った。

 その言葉の中には、認めたくはないが、確かに正しいところがあった。


 武士の家に生まれたというだけで、刀を握らされる者。

 禄を受けることだけを誇り、村人の飢えを見ようとしなかった者。

 「殿のため」と言いながら、母や妹を残して死んでいった同胞たち。


 あれらは、本当に。すべて、守るべきものだったのか。


 竹子は目を閉じた。


 焼け落ちた鶴ヶ城。

 煤けた空。

 母の掌。

 妹の泣き顔。

 冷たくなっていく指。


 問いは、あの日からずっと残っている……答えを出さぬまま。


 そして今、ブロックス将軍は、その問いを二万の軍勢と四十門の魔導砲に乗せて、こちらへ運んでくる。


 ――お前は、それでも「義」と言うのか。


 竹子は、ゆっくりと目を開いた。


 東の空は、まだ暗い。だが、その地平だけが黒ではなかった。


 鉛色だった。

 重く冷たい、夜明けを押し潰すような色だった。


 竹子は、夜叉霧を見た。

 翠緑の文様が、静かに脈打っている。


 以蔵の呪いを退けた夜。この地が竹子に手渡してくれたもの。

 それは、正しさでも、答えでもなかった。


 ただ――ここにいてほしいと――その願いだった。


 竹子は、小さく呟いた。


「……以蔵殿の時は、私の亡霊と向き合えばよかった」


 風が吹いた。


「メビック殿の時は、私の『降伏』を言葉で示せばよかった」


 夜叉霧を握る。


「……だが、ブロックス殿の時は」


 そこで、竹子は言葉を止めた。



 長い沈黙のあと。


「私は、私の『義』そのものを問われる」


 母の顔が浮かんだ。

 妹の顔が浮かんだ。

 同胞たちの顔が浮かんだ。


 それらすべてを竹子は知っている。だからこそ、認めることにした。


「……私は、答えを持たぬ。武士道のすべてが正しかったとは……もう、申せぬ」


 風の中で、竹子の声は小さかった。


「されど」


 彼女は、城下を見下ろした。


「私は、ここにいる者たちを、古いとか、新しいとかいう言葉だけで切り捨てることはできぬ」


 竹子は静かに息を吸った。


「それが私の義である」


 夜叉霧の文様が、ひときわ強く光った。


「私は、答えを持たぬままでもよい」


 竹子は東を見た。


「答えを持たぬまま、この地の民の前に立つ」


 声は震えていた。それでも、逃げなかった。


「もし私の義が、時代に敗れるものであったとしても――」


 竹子は、夜叉霧を握り直した。


「私は、その敗れる瞬間まで、彼らの前に立つ」


 東の地平が、わずかに明るくなった。夜明けは、まだ遠い。

 だが、鉛色の空の向こうに、確かに朝はあった。



 ***



 同じ頃。


 遥か東、街道沿いの丘陵に築かれた仮陣では、天幕の中央に地図が広げられていた。


 フラットペイン領の縮尺図。要所には、青と赤の駒が精密に並んでいる。

 その配置だけで、作った者の几帳面さが分かるほどだった。


 サードル・ブロックスは、その地図の前に、無言で立っていた。


 副官のフィジックが報告書を持って入ってきた。


「閣下。斥候より報告です。フラットペイン領、城下の防衛陣を構築中。指揮官は――例の『娘子隊』隊長、タケコ・ナカノと目されます」


「以蔵とメビックを退けた者だな」


「はっ」


「異界より来た剣士」


「噂では、そう伝わっております」


 ブロックスは、初めて地図に指を置いた。


 フラットペイン領主城。


「一人の剣士に、二度も勝たれる軍は、それ自体が軍として敗れている」


 指が、城から街道へ滑る。


「以蔵は情念で、メビックは矜持で判断を誤った。両名とも、個人の力を過大に評価した」


 さらに指が進む。――街道、村、川、街の外周部――一つ一つの地形を、なぞるようにして。


「私は、彼女個人を相手にしない」


 ブロックスの声に感情はなかった。


「地形を相手にする。人口を相手にする。補給を相手にする。士気を相手にする」


 指が城の上で止まった。


「彼女がどれほどの剣士であろうと、砲弾は剣士を選ばない。戦場とは、そもそも平等な場所だ」


 フィジックは黙って頭を下げた。


 しばらくして、ブロックスが言った。


「――ただし」


「はっ」


「彼女は、身分によらず辺境伯の傍らに立っているそうだな。血筋ではなく、能力であの位に近い場所にいる」


 「――そう、報告にはございます」


 ブロックスの、面頬の下の唇がごく僅かに動いた。笑ったのか歪んだのか、副官には判じかねる動きであった。


「身分制を否定する私が、身分ある少女の領地を攻める。その領地で、異界から来た平民の女が身分ある少女のために剣を振るう」


 ほんの僅か、ブロックスの口元が動いた。


「なぜだ」


「……」


「彼女はなぜ、あの少女のために戦う」


 フィジックは答えられなかった。


「そこだけは、知りたい」


 ブロックスは地図から指を離した。


「答えを聞いてから、潰す」


「……閣下」


「何だ」


「それは、必要でしょうか」


 ブロックスは副官を見る。


「必要だ」


 即答だった。


「理解しなければ、合理的な否定はできない」


 東の空が、少しずつ明るくなっていく。


 二万の軍靴が、大地を押し退けるように進んでいた。

 その足音を、フラットペイン領の見張り塔が、夜明け前の風の中で拾い始めていた。


 まだ遠い。だが、確実に近づいている。


 鉛色の夜明けだった。




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