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【会津の烈女】 介錯された会津藩士の娘、辺境伯令嬢に拾われる ~薙刀一つで新・娘子隊を作ります~  作者: 真野真名
第六章 亡霊たちの夜明け 〜思想の衝突と、覚醒〜

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第肆拾肆話「ブロックス将軍、進軍」




 帝国首都・ペテルフルームの城門が、地響きを立てて開かれた。


 まだ夜も明けきらぬ、藍色の空の下。整然と並んだ二万の軍勢が、一斉に、同じ歩幅で、同じ角度に踵を打ち鳴らして進み出した。


 それは軍隊というより、一つの巨大な機械の稼働に近かった。

 号令一下、二万の靴音が、寸分の狂いもなく石畳を叩く。見送りの民草の何人かは、その光景に、思わず後ずさった。

 誰かが呟いた――「軍が、進むというより……大地の方が、押し退けられているようだ」



 その先頭に、一頭の黒馬があった。装飾のない、鋼色の甲冑。マントは翻さず、腰帯に留められている。兜の面頬を下ろした男は、振り返らなかった。

 振り返って民に応える将軍ではない。彼は後ろに何がいるかを既に知っている。


 総大将、サードル・ブロックス。


 齢四十二。平民出身。魔導兵学校首席。北方戦役、東部平定戦、対竜峡谷戦役――全ての功績を、身分ではなく、数字と結果で積み上げてきた男であった。


 彼が全軍に発した訓令は、たった三行。


 一、命令は絶対である。


 二、非合理は排除される。


 三、勝利とは、敵を多く殺すことではない。味方の損耗を最小化することである。


 将兵は、この三行を暗誦させられた。無論、暗誦できぬ者はこの軍にはいない。暗誦できぬ者は、この軍には残っていないからだ。




 ブロックスの思想は、以蔵とも、メビックとも異なっていた。


 以蔵が「私怨と情念の亡霊」であるならば、メビックは「騎士道という古き美意識の残光」。

 そしてブロックスは、その両者を同じ古い病の、別の症状として見ていた。


「絶対的な平等と、絶対的な法治」


 進軍する馬上で、彼は副官に淡々と語っていた。


「身分制、封建制、いかなる『特別なる者』も認めない」


 副官のフィジック少佐は、黙って聞いている。


「武士道、騎士道、貴族制。これらは全て、人類を停滞させる旧弊だ」


 ブロックスは東を見た。


「一人の英雄が万を救う世は、悪しき世だ」


「英雄が倒れた瞬間、万が死ぬからだ」


「私が造る世は、英雄なき世である」


 淡々とした声だった。


「名もなき兵百人が、名ある剣士一人と同等以上の結果を出す。それが軍というものだ」


 少佐が尋ねた。


「それが、正しさですか」


「そうだ」


 即答だった。


「正しさとは、誰が行っても同じ結果になることだ」


 その言葉に、ブロックスは一切の迷いを見せなかった。




 彼が率いる二万の本軍は、帝国の中でも「魔導近代軍」と呼ばれる最新の編成であった。


 個々の武勇を否定し、規格化された兵士と、規格化された兵器によって、面として制圧する。


 竜殺しの剣士も、伝統の紋章を掲げる騎士団もこの軍にはいない。

 支給された標準装備。

 統一された号令。

 色分けされた部隊旗。


 そして、魔導砲――全四十門。


 牛四頭曳きの砲車に載せられた砲身には、帝国紋はなく、通し番号だけが刻まれている。


 三番砲。

 十七番砲。

 三十九番砲。


 名を持たぬ砲は、名を持たぬ砲兵によって撃たれる。当たり所も、名を問わない。



 進軍は速く機械的で、無慈悲だった。

 街道筋の小村が行軍の直線上にあれば、迂回はしなかった。


 使者が一名、村に入り降伏勧告を読み上げる。

 制限時間、四半刻。応じなければ、二番砲が一発。

 それで村は更地となる。


「降伏せぬのは、理にかなわない」


 ブロックスは砲声を聞いても、眉一つ動かさなかった。


「理にかなわぬものは、排除される」


 それだけだった。



***



 同刻。フラットペイン領。


 情報は、風より先に届いていた。カラミーテとピナーレが張り巡らせた市場と行商人の網である。


「隊長様」


 カラミーテが、扇子で軽く掌を打った。


「皆様にお集まりいただいた方が、よろしゅうございますわ」


 いつもより、僅かに声が硬かった。

 竹子は、それだけで察した。


 ――悪い報せである。



 ほどなくして、作戦室に主要な面々が集まった。


 ディローザ。

 ビアンカ。

 メリッタ。

 コーディア。

 ラピエラ。

 リドリー。


 そして領主のイルミナ。


 机一面の地図の上に、ピナーレが赤い駒を置いた。

 帝国首都ペテルフルーム。そして、フラットペイン。その間を結ぶ街道。


「帝国を発した軍勢は、およそ二万」


 カラミーテが告げた。


 メリッタが眼鏡を押し上げる。


「先の部隊の残存兵を吸収すれば、三万に届くかもしれないな」


 彼女は地図を見つめた。


「我が方は、有志民兵、そして少しでも戦える者を含めても、その一割にも満たない」


 数字だけなら、既に勝敗は決まっていた。


 だが、竹子は何も言わなかった。


 カラミーテが続ける。


「そして今度の敵将は、サードル・ブロックスと申します」


 黒い駒が、東から一つ進んだ。


「平民出身。魔導兵学校首席。北方戦役にて、身分ある上官の命令を無視して全軍を撤退させ、その結果、数千の兵を救った男でございます」


 ビアンカが眉を寄せた。


「……それだけ聞くと、むしろ立派な将軍じゃない」


「ええ」


 カラミーテは頷いた。


「問題は、その先でございます」


 扇子が止まった。


「お若い頃、貴族令嬢と婚約しておられたそうです」


 室内が静かになった。


「身分差を理由に破談。その女性は別の貴族へ嫁ぎ、一年後に亡くなった。ブロックス将軍は、その葬儀にすら呼ばれなかった」


 誰も口を挟まなかった。


「そして、それ以来あのお方は、身分によって人間の価値が決められる社会そのものを否定するようになった」


 カラミーテは竹子を見た。


「ただの貴族嫌いではございません」


「……」


「おそらく、あのお方は本気で信じております」


 カラミーテの声が低くなった。


「『人間を生まれで分けることこそ、人類最大の非合理である』と」


 竹子は、黙って地図を見つめていた。


 すると、ビアンカがぽつりと言った。


「……それって、間違ってるのか?」


 誰も答えなかった。


 イルミナが、静かに目を伏せた。

 コーディアも、握った槍を見つめている。

 メリッタでさえ、すぐには口を開かなかった。


 身分によって人生が決められること。力のない者が、力ある者の都合で踏みにじられること。

 それを否定する思想そのものまで、間違いだとは言えない。


 竹子が、ようやく口を開いた。


「――間違ってはおらぬ」


「……隊長様」


「身分によって人の価値を決めることが、正しいとは私も思わぬ」


 竹子は、静かに続けた。


「されど……正しい思想を掲げれば、人を踏みにじってよいという道理にもならぬ」


 その言葉に、カラミーテが僅かに目を細めた。


「……つまり」


「ブロックス将軍が何を正しいと思うておるか。それは、私には否定できぬ」


 竹子は顔を上げた。


「されど、その正しさのために、目の前の人間を『非合理』の一言で消すというのなら――」


 その声は静かだった。


 だからこそ、誰の耳にもはっきり届いた。


「私は、その人間の側に立つ」


 沈黙。


 やがてディローザが、大きく頷いた。


「――うん。それなら、わかる」


 ビアンカも鼻を鳴らした。


「要するに、あいつが何を信じてようが、ここを潰すなら撃つ。それだけでしょ」


「うむ」


 竹子は頷いた。


「そして、我らが守るのは『古い制度』ではない」


 彼女は地図の上に手を置いた。


 フラットペイン。


 精霊樹。広場。職人街。

 そして、そこに暮らす人々。


「――ここに生きている者たちでござる」


 イルミナが顔を上げ、竹子は彼女を見た。


「領主様」


「はい」


「この街の者たちに、戦うか逃げるかを選ばせてください」


 イルミナの目が僅かに見開かれた。


「女子供、老人、職人、商人。戦える者だけを残すのではない。逃げたい者には逃げる道を。残りたい者には残る道を」


「……はい」


「ブロックス将軍が『英雄なき世』を作るというのなら――我らは、『英雄一人に全てを預けぬ街』を作ればよい」


 カラミーテが、初めて微笑んだ。


「……なるほど」


「カラミーテ」


「はい」


「この街の全員を、戦力として数えてはならぬ」


「では?」


「この街の全員を、『守るべき一人』として数えよ」


 カラミーテは深く頭を下げた。


「承知いたしました」


 竹子は地図から手を離した。


「では、戦の準備を始める」


 その言葉に、皆は無言で軽く頷いた。


 ビアンカだけが、腕を組んだまま鼻を鳴らした。


「別に、二万でも二十万でも、私の矢が届く距離に来れば、同じだけれど」

 それは、いつものツンとした口ぶりであったが、指先が、僅かに弓を握り直しているのを、竹子は見逃さなかった。


 皆、恐れている。ただし、恐れながら、動ける。

 娘子隊とは、そういう隊であった。


 そして竹子は、立ち上がった皆に最後に一言だけ付け加えた。


「ただし、勝つためだけではない」


 誰もが振り返った。


「――この街が、戦の後にも街であるために」


 静かな声だった。




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