第肆拾參話「以蔵の書状」
同じ頃。
メビック伯爵の陣が街道の彼方に消えた後の東の平野の一角。
小さな野営の焚き火の傍らで、以蔵が一人、地面にあぐらを掻いていた。
彼の傍らに若い勤王党の兵士が一人、控えている。
「――以蔵殿」
「なんじゃ」
「ブロックス将軍への書状、まことに、これでよろしいのですか」
若い兵士は震える手で、羊皮紙を差し出した。
以蔵はその羊皮紙を受け取り、焚き火の光に翳した。
自分の拙い字で書かれた短い文。
――『会津の女、生きちょる。次は、貴殿の番ぜよ。以蔵』
彼は、口の端を僅かに上げた。
「――これでよい」
「以蔵殿、これではあまりにも簡素なご報告に――」
「よい、と言うちょる」
以蔵は、羊皮紙を丁寧に丸め、封をした。
「ブロックスには、詳細な報告など要らん。あの男は『あの女生きちょる』の一行だけで、全てを悟る」
「――しかし」
「あの男は理論家じゃ」
以蔵は、焚き火に細い枝を一本投げ込んだ。
「理論家というのは、な。相手の情報が少ないほど興味を持つ。詳しい報告書は、あの男の興味を削ぐだけぜよ」
「はっ……」
「わしゃ、あの男の興味を削ぎとうない」
以蔵は、口の端だけで笑った。
「あの男が、あの女に興味を持てば持つほど、あの男は、あの女の前で全力で義を振るう。……そして、その全力の義をあの女がどう返すか。それをわしゃ見たい」
「以蔵殿は……」
若い兵士は、震える声で問うた。
「以蔵殿は、あの異国の女を憎んでおられるのですか、それとも――」
「――憎んじょる」
以蔵は即答した。
「憎んじょる。今も腹の底で憎んじょる。あの女の、あの理合いの太刀筋、あの澄んだ目、あのこの地で掴んだ居場所――全てを憎んじょる」
「……」
「じゃき、わしゃ、あの女の義が、ブロックスの義に負ける瞬間を、この目で見たい」
「――以蔵殿。それは憎しみなのですか」
「――……」
以蔵は、しばらく無言で焚き火を見つめていた。
「憎しみであればいいのう」
「――え」
「憎しみであれば、まだ、わしゃあの女と同じ地平に立てちょる。……もし、これが憎しみ以外の何かであったら」
彼は封をした羊皮紙を、静かに若い兵士に渡した。
「わしゃもう、あの女の隣に立てぬぜよ」
「以蔵、殿」
「行け。ブロックスに届けろ」
若い兵士は一礼し、馬に跨り東の平野へと駆けていった。
以蔵は、視線を駆け去る馬の背から、焚き火に戻した。そして、思い出したかのように、傷ついた左肩をそっと押さえた。
「――竹子」
彼は名を呼んだ。
自分でもその名の優しい響きに少し驚いた。
「――生きちょれよ」
焚き火の火の粉が夜の空へとゆっくり昇っていった。
東の空の地平の彼方で、白い光が瞬いた。
その光は焚き火より遥かに大きく、静かで、そして冷たかった。
明日までに、第一部完結を目指していたのですが、間に合いませんでした。
慶応4年8月25日
会津の柳橋(涙橋)で娘子隊と政府軍との遭遇戦で、隊長の中野竹子(二十二歳)が討ち死にした日です。
旧暦なので、西暦では1868年10月10日なんですけどね。
次回から【第六章】ブロックス将軍の登場です。
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