第參拾玖話「弔いの鈴」
三日目の午後、メビック伯爵が街道の彼方に消えた頃には、街の空は皮肉なほど澄み渡っていた。
夏の終わりの、乾いた青。
城壁の上からその空を、竹子は無言で見上げていた。
――勝ったのか。
竹子は、そう思った。
だが、すぐにその考えを捨てた。街には、帰らぬ者がいる。ならば、これは勝利ではない。
ただ、これ以上、死なずに済んだだけだ。
「――隊長様」
背後から、カラミーテの声がした。
「弔いの支度が整いました」
「うむ」
「スコット様の亡骸を、街の墓地へお運びいたします。ご遺族が隊長様に御同行をお願いしたい、と」
竹子は、東の空から視線を下ろし、夜叉霧の柄を無意識に撫でた。
「参ろう」
街の墓地は精霊樹の丘の東の斜面にあった。
初代辺境伯より五代の民が静かに眠る場所である。
今、その斜面を白い布に包まれた亡骸を、四人の若者が担いで登っていく。
先頭をトレクが、パンの籠を胸に抱えたまま歩いていた。
その隣にはディローザが。
列の後方、遺族の父――職人組合の頭のニコデム――と、母、そして、まだ幼い妹二人。母は声を上げずに、ただ涙だけを頬に伝わらせていた。
その後ろに、竹子、イルミナ、カラミーテ。
さらに、その後ろに娘子隊の主だった顔ぶれと老騎士たち、そして街の民が静かに続いていた。
列の最後尾、少し離れた場所を歩くペルトの金の鈴が、寂しげで澄んだ音を奏でていた。カグラ神社の鎮魂の拍子である。
この街では、ミヒルイ教が国教であり、ペルトの神楽は本来、公の場では許されぬ。
だがこの弔いに、遺族の父ニコデムがペルトの神楽を懇願したのであった。
「――スコットは、フジ様の青い光と、チネル様の緑の薬と、そして、ペルト様の金の粒子に囲まれて逝きました。あの三色に送られたあの子の魂を、巫女様の拍子であの世まで届けていただきたい」
その依頼を、ペルトは何も言わず頭をひとつ下げて受けた。
墓穴の脇に、亡骸が丁重に下ろされた。
街の墓守の老人が深く一礼し、ミヒルイ教の司祭が経を上げ始めた。国教の祈りである。
それが、静かに終わったその直後。
ペルトが、そっと狐面を顔に下ろした。
金の鈴が、涼やかに鳴った。
彼女の指先から淡い金色の粒子が、午後の陽の中に広がり始める。
それはこの街で初めて公の場で舞われる、カグラ神社の鎮魂舞であった。
国教の司祭は静かに目を伏せた。
彼は抗議しなかった。この街の辺境伯がこの舞を許した。ならば、それがこの街の答えである。
ペルトの舞は短かった。
だが、その指先の金色の粒子は亡骸を包み遺族の頬をそっと撫で、そして朝の空へと静かに昇っていった。
トレクがその粒子の流れを見上げていた。
彼の唇が微かに動いた。
「――兄ちゃん」
その一言だけであった。
ディローザが大きな手で、少年の頭を優しく包んだ。
少年は、泣かなかった。
ただ、パンの籠をぎゅっと抱えて、朝の空を見上げ続けていた。
弔いが終わった後。
職人組合の頭ニコデムが、竹子の前でゆっくりと頭を下げた。
「――タケコ様」
「うむ」
「息子を街のために使っていただき、まことにありがとうございました」
竹子は、目を閉じた。
「――ニコデム殿。その言葉は」
「――いえ、タケコ様」
ニコデムは顔を上げた。その目は赤かったが、真っ直ぐに竹子を見ていた。
「あの子は、剣を握ることを望みました。私がそれを止めました。『お前はまだ若い。街の後ろの仕事をしろ』と。……それがあの子の命を繋ぐのだと、私は今日まで信じておりました」
「……」
「ですが……あの子は、パンを、運ぶ、道の途中で……逝きました」
ニコデムの声が微かに震えた。
「もし、あの子が、剣を、握って、前線に、出ていれば。……あるいは、もし、あの子が、街の、もっと、奥の、井戸端で、留まっていれば。……その『もし』を、私は、生涯、抱えて、生きて、参ります」
「――ニコデム殿」
「ですが……タケコ様」
ニコデムは、深く息を吸った。
「あの子は、パンを、抱えて、逝きました。剣ではなく、パンを。……あの子の遺した、その、パンの、匂いだけは、私は生涯、忘れませぬ」
そう言って、ニコデムは深く頭を下げた。
「トレクには、剣ではなく、パンを持たせてやってください。あの子の弟として、あの子が残したパンの匂いの中で、この街を……生きてほしいのでございます」
竹子は、この老いた職人の父の、その頭を下げた背中を、無言で見つめていた。
そして、竹子は自分もまた深く、深く頭を下げた。
「――かたじけなく、承ります」
フラットペイン城に掲げられた半旗が、静かに揺れた。




