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【会津の烈女】 介錯された会津藩士の娘、辺境伯令嬢に拾われる ~薙刀一つで新・娘子隊を作ります~  作者: 真野真名
第四章 フラットペイン籠城戦 〜三日目の白旗〜

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第參拾捌話「静けさに震える扇」




 丘の上。


 以蔵は、じっと、その会見を遠く見つめていた。

 傷ついた左肩に手を当てたまま、彼は、しばらく無言でいた。


 やがて、口の端が僅かに上がった。


「――ふぅん」


 彼は、静かに笑った。


「メビックの伯爵さん、あの女に、額、擦り付けたか。……老兵は、退き際を知っちょる」


「以蔵殿」


 傍らの若い勤王党の兵士が、震える声で問うた。


「――我らも、退きますか」


「退く」


「本国へ、戻りますか」


「戻らん」


「――え」


「わしゃ、ブロックスの軍に合流する」


 以蔵は、丘の上に立ち上がり、傷ついた肩を庇いながら傍らの馬に跨った。


「あの女、次にもっと厄介な相手と、刃を合わせることになる。……その時、あの女の背骨が、折れるか、通るか」


「……」


「わしゃそれを見ちょる。ぜよ」


 以蔵は、馬の腹を軽く蹴った。馬が、静かに歩み始めた。


「――生きちょれや、会津の女」


 彼は、フラットペインの街の方角を、一度だけ振り返った。


「わしが、見届けるまで、な」


 朝の風が、以蔵の合羽を静かに、撫でた。彼の姿は、やがて、地平の彼方の、丘の陰に消えていった。



 ***



 街の広場では、既に、街の民による、簡素な弔いが始まっていた。


 あの、若い徒弟の少年の亡骸は、白い布に包まれ、街の墓地へ、静かに運ばれていく。

 その先頭を、少年トレクが、パンの籠を胸に抱えたまま歩いていた。


 彼の隣に、ディローザが大剣を鞘に納めたまま、大きな体を精一杯折り曲げて歩いていた。


「トレク」


「うん」


「にーちゃんの、パン、街のみんな、食べたよ」


「うん」


「みんな、『美味しかった』って、言ってた」


「うん」


「にーちゃん、街を、守ったんだよ」


「――うん」


 少年は、パンの籠をぎゅっと抱えた。


 彼の目から、涙はもうこぼれていなかった。その代わりに、彼の背筋は、まっすぐに伸びていた。




 その光景を、竹子は街道の脇から無言で見送った。


 その隣に、リドリーが大柄な体を精一杯伸ばして立っていた。彼女はもう俯いていなかった。


「――隊長」


「うむ」


「私は、明日から南路の窓に盾を立てます」


「うむ」


「二度とあの少年に、あの兄の代わりをさせません」


「――頼むぞ」


 竹子は、静かに、頷いた。


 夜叉霧の柄の翠緑が、午後の陽を受けて脈打っていた。




 その頃、老騎士ジャンベは、コーディアと共に、街の練兵場の隅に立っていた。

 彼の手には、四十年前の大盾。


 コーディアの手には、彼女の槍。


「――ブルームの、娘御」


「はい」


「あんたの祖父上に、伝えてくれるか」


「はい」


「わしの盾は、あんたの祖父上の声で、四十年下がらずに済んだ。今度はわしの盾で、あんたの背中を支えさせてくれと」


 コーディアは、しばらくこの老兵を見つめ、頭を下げた。


「――お願い、いたします」


「――おうよ」


 ジャンベは、大盾を両手で掲げた。


 その盾の、四十年前の傷だらけの表面が、午後の陽を受けて光った。


 コーディアの握る槍の穂先も、応えるかのようにキラリと光った。

 




 城壁の上の指揮所では、カラミーテが、駒盤の帝国駒を全て脇に払っていた。


 その代わりに、彼女は駒盤の東の端に、一つの新しい駒を静かに置いた。


 黒く、大きく、他の駒とは明らかに違う質の木札。


 ――サードル・ブロックス、二万。


 その駒を、彼女は扇子越しに、しばらく見つめていた。


「――隊長様」


 背後から入ってきた竹子に、彼女は振り返らずに呟いた。


「はい」


「私、正直、少し震えております」


「……」


「メビック伯爵は、老獪な政治家でございました。ゆえに、私の盤面が通用いたしました。……ですが、次のお方は、私と同じ盤面の読み手でございます」


 カラミーテは、ゆっくりと振り返った。

 その顔に、いつもの上品な微笑みはなかった。


「私の盤面が通用しない相手が来ます。……あるいは、私の盤面を真っ向から、上から、押し潰しに来る相手が」


「――カラミーテ殿」


「はい」


「あなたは、震えてよい」


 竹子は、静かに応じた。


「私も、震えておる」


「――隊長様」


「以蔵に頬を斬られた夜より、私は震えっぱなしである。だが震えながらでも、私はこの夜叉霧を握れる」


 竹子は、夜叉霧の柄をそっと撫でた。


「あなたも、震えながらでよい。その扇子を握ってくれ。……震えぬ者に盤面は読めぬ」


 カラミーテは、しばらくこの隊長を見つめた。

 やがて彼女は、扇子を静かに握り直した。


 その手は、微かに震えていた。


 しかし、その目には、既に次の盤面の最初の一手が見えていた。


「――かしこまりました、隊長様」


「うむ」


「震えながら、握らせていただきますわ」



 ***



 夜。


 精霊樹の下、イルミナは、静かに、祈りを捧げていた。


 その傍らに、竹子が一人立っていた。

 夜叉霧を手に、月の光を背に受けて。


「――タケコ様」


「はい」


「次に来られるお方は、あなたが元の世界で戦われた方々と、同じ御思想の方だと伺いました」


「……はい」


「怖い、ですか」


 竹子は、しばらく無言でいた。


 やがて、彼女は静かに応じた。


「――怖い」


 イルミナは驚いたように竹子を見上げた。


 この人が、こんなにもはっきりと「怖い」と口にする。

 それは、彼女の知る中野竹子の初めての告白であった。


「以蔵は、私の胸を抉った。あの男の言葉は、私の背骨に深く突き刺さり、まだ抜けておらぬ」


「……はい」


「だが、次のお方は、私の胸ではなく、私の存在を否定しに来る」


「――存在」


「私が、この街であなたを守っていること、その意味そのものをあの方は『非合理』の一言で切り捨てるであろう。……私の故国――会津の同胞たちの命が『旧弊』の一言で無価値にされる」


「……」


「その言葉を、私は、正面から受け止められるか。それが怖い」


 イルミナは、しばらく竹子を見つめた。

 それから、彼女はそっと竹子の袖を掴んだ。


「――タケコ様」


「はい」


「あなたが怖いなら、私が隣で震えます」


「……」


「あなたの故国の同胞様たちの命が『旧弊』と呼ばれる時、私は、辺境伯として、フラットペインの名にかけてその言葉に反論いたします」


「――イルミナ様」


「あなたの震えを、あなた一人に背負わせません」


 精霊樹の白い花芽が夜風に微かに揺れた。

 その一つ一つが月の光を受けて静かに光っていた。


 竹子は、袖を握りしめるイルミナの手を見つめていた。


 やがて、彼女は静かに頷いた。


「――かたじけない」


「はい」


「あなたと共に、震えさせていただく」


 二人はしばらく無言で、精霊樹を見上げていた。



 東の空の、地平の彼方で小さく雷鳴が鳴った。

 夏の終わりの乾いた空に。


 その雷鳴は、まだ遠かった。――しかし、確実に近づいていた。




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