第參拾參話「殺す者、殺さぬ者」
籠城二日目。
夜が明けきる前に、帝国軍は再び動き出した。
ただし、昨日の教科書通りの布陣ではない。ラピエラが奪ってきた地図によれば、帝国軍は夜の間に、市街地への進入路を三本に絞っていた。
北路。
西路。
南路。
それぞれに、徒歩兵一個大隊。
カラミーテは、その情報を受けて、駒盤の市街地区画を三つに区切った。
「――北路、西路、南路。北はコーディア班に槍衾を敷かせます。西はラピエラ班とコルニャ、路地分断と暗殺。南は……」
彼女は、扇子の先でしばらく駒盤を叩いた。
「南は、フジさんの救護所に一番近い路地です。ここを突破されると、非戦闘員に被害が及びます」
「――私が入ろう」
竹子が、静かに言った。
「南路は、私とあと数名で。……ラピエラ班から、サーリー殿を借りたい」
「サーリーさんを、南路にですか」
「うむ。あの呪いは、路地の狭い場所で、極めて効く。フジ殿の救護所の前で敵の足を止めるには、あの呪いが最も向いておる」
カラミーテは、しばらく駒盤を見つめ、それから頷いた。
「――畏まりました。サーリーさん、隊長様預かりに」
「あと、ペルト殿の舞も、南路の後方、救護所の入口に。神楽の結界で、非戦闘員の側だけでも、士気を落とさぬように」
「よろしいですね。……こちらの南路が、この街の『生活』を守る線ですわね」
「そうだ」
カラミーテが、駒盤の南路に、竹子とサーリー、ペルトの木札を並べて置いた。
***
北路。
枡形の隘路の奥、路地が直角に折れる地点に、コーディアの槍衾が敷かれていた。
彼女の脇には、街の志願兵が七名。
農夫、行商人、引退した冒険者、商家の手代など、皆、家族を残し、店を残し、それでも、この街に残ることを選んだ者たちだった。
「――皆さん、聞いてください」
コーディアの声は、緊張しながらも、はっきりとしていた。
「私、正直、実戦は初めてでした。皆さんも、同じだと思います。……でも、タケコ様が、先の遭遇戦の時に、教えてくれました」
槍の穂先を、彼女はそっと撫でた。
「『腕で振らない。足で踏み、腰で回す』。……それが、タケコ様がカノンちゃんに教えた言葉です。私たちにも、たぶん、そのまま使える言葉です」
志願兵の一人が、頷いた。
「――嬢ちゃん。受付嬢だったあんたが頑張ってるのに、仮にも冒険者だった俺が見てるだけとかありえん。足はこんなだが、槍を振るくらいはさせてくれ」
「あんたの親父さんには、いつも売れ残りの魚引き取ってもらってるし、あんたに怪我させるわけにはいかん。天秤棒の扱いは慣れてるから、槍も余裕よ」
「割に合わない依頼も、ねえちゃんが受け付けてくれるから、うちの畑も魔獣被害が抑えれれてるんだ。借りは返すよ」
「それに、自分たちの街は、自分たちで守らないとな」
「……皆さん、ありがとうございます。決して無理はしないでくださいね」
路地の奥から、帝国兵の靴音が近づいてきた。
コーディアは、深く息を吸った。
「――足で、踏みます」
「「――はいっ」」
直角に折れた路地の角を、帝国兵の第一列が回り込んだ、その瞬間。
八本の槍が、一斉に隘路の口を封じた。
叫声。血飛沫。倒れる帝国兵。
コーディアの槍は、父の宿に泊まってきた無数の冒険者たちが残していった、戦い方の記憶をなぞるように、深く突き込まれた。
***
西路。
屋根の上を、ラピエラが影のように駆けていた。
彼女の下、路地の間を、コルニャが猫のように塀を伝って走る。二人の連携は、既に息が合いすぎるほど合っていた。
角ごとに、帝国兵の小隊が少しずつ削られていく。
――と。
「くしゅっ! くしゅくしゅくしゅっ!」
「い、痛ぇッ! 小指が! 小指を、家の角に、ぶつけ……ッ!」
「――出るッ、出る、漏れるッ!!」
路地の一角で、帝国兵の一小隊が、一斉に、奇怪な動きで転倒し始めた。
サーリー ──ではない。
カラミーテの発案で、サーリーはあらかじめ、呪いの触媒となる小さな護符を路地の要所に仕込んでいた。
本人の呪いには遠く及ばない。
それでも、数秒、敵の足を止めるには十分だった。
「にゃ? なにこれ、あたしのお仲間の一族の呪いにゃ?」
「サーリーの、置き土産だな。カラミーテの発案だろう」
「あの人、ほんまに怖いにゃ……」
「まあ、あーしらは仲間でよかったよ」
二人は、無防備になった帝国兵の背後を、風のように通り過ぎていった。
***
南路。
フジとチネルの救護所となる学問所の入口、その手前の路地に、竹子は立っていた。
夜叉霧を鞘に収めたまま、片手を柄に添え、路地の奥から近づく帝国兵の靴音を静かに待つ。
その背後、救護所の入口の階段の上で、ペルトが舞い始めていた。
狐の面を額に上げ、金の鈴を鳴らし、彼女の指先から淡い金の粒子が広がっていく。それは救護所の内側へ静かに染み込み、負傷者たちの呼吸を整え、心を落ち着かせていった。
その舞の傍らで、サーリーが小声で呪詞を紡いでいた。
「――路地の奥、二十歩。彼らの足元、石畳の隙間、砂利が浮く。三歩踏むごとに、一人ずつ、こける」
「済まぬ、サーリー殿」
「……いえ」
サーリーは俯きがちに、しかし小さく笑った。
「隊長さんが、私の呪いを、こんな大事な場所で使ってくれるなんて、思わなかった、から」
「あなたの呪いは、街の生活を守っておる」
「……はい」
路地の奥から、帝国兵の第一列が現れた。
三歩。四歩。五歩。
サーリーの呪いが、静かに発動する。
最前列の兵士が、足元の砂利に足を取られて転倒。後ろの兵士がそれに躓き、玉突きに三人が倒れた。
その瞬間、竹子は動いていた。
夜叉霧が、鞘走りと同時に、倒れた兵士の槍を、正確に叩き折った。刃を、直接、兵士には向けない。武器だけを確実に断つ。
「――退けッ!」
竹子は、路地に響き渡る声で命じた。
竹子の目は、帝国兵一人ひとりの喉元を追っていた。
斬れる。どの者も斬れる。
だが――その背後には、傷ついた者を待つ救護所がある。ここで必要なのは、死体ではない。生きて帰る敗兵だった。
「ここまで押されて来た者は、既に敗兵である。武器を捨てて退けば、追わぬ!」
帝国兵たちは、しばらく凍りついたように竹子を見た。
夜叉霧の柄に浮かんだ翠緑の文様が、朝の光を受けて、脈打っていた。ペルトの神楽の金の粒子が、竹子の背後から、路地の入口まで薄く広がっている。
――殺意はない。
だが、絶対の意志があった。
最前列の帝国兵が、槍をそっと地面に置いた。
続いて、二人。
三人。
路地の入口から、彼らは武器を置いて後退していった。
救護所の窓から、その光景を、フジがじっと見ていた。彼女は、いつものように無言だったが、その眼鏡の奥に、微かに、確かに安堵の色があった。
チネルが、彼女の隣でそっと呟いた。
「……フジさん」
「はい」
「隊長は、殺しませんね、あの人たちを」
「――はい」
フジは、患者の傷口に、青白い光を押し込みながら、静かに続けた。
「隊長は、たぶん……私たちに、これ以上、患者を運ばせたくないんだと、思います」
チネルは、しばらく、フジの横顔を見つめた。
それから、自分の手元の麻酔薬の小瓶を、そっと握り直した。




