第參拾壹話「満を持する乙女たち」
昼を過ぎた頃。物見櫓の鐘が、二度、鳴った。
――帝国軍先陣、外周罠地帯に進入。
カラミーテは、城壁裏に急遽組まれた作戦指揮所にいた。
机上には、街の全図が広げられている。
外周、市街、城壁。三つの防衛線を示す駒盤の上を、小さな木札が静かに動いていく。
伝令を担うピナーレ。
狼煙と鏡文字。
そしてローズの小鳥たち。
三つの線を結ぶ情報が、この場所へ集まり、ここから再び各持ち場へ流れていく。
竹子は、夜叉霧を腰に、腕を組み、盤面を見下ろしている。――三線のどこにも属さぬ遊軍。
だが、カラミーテが最後に判断を下すとき、その横には必ず竹子がいた。
「――来ましたわ、隊長様」
カラミーテが、扇子の先で外周の駒を軽く弾いた。
「先陣は騎兵。その後ろに歩兵。両翼に軽装弓兵……教科書通りですわね」
「素直、ということか」
カラミーテは扇子を閉じた。
「ええ、素直に、この街を『格下の辺境の反乱』と見ておられます。だからこそ、正面から、迷いなく踏み込んで来られるにでしょうね」
竹子は盤面を見た。
「ならば、その甘さをいただこう」
「はい」
カラミーテが、外周中央の木札を一つ、指先で弾いた。
「――第一線、開幕どうぞ」
ドォンッ――!
最初の魔導地雷が炸裂した。
街道を進んでいた騎馬隊の先頭数騎が、瞬時に姿を消した。土塊と悲鳴、木片が空を舞う。
続いて、二基、三基。メリッタの敷設した警戒地雷が、次々と踏み抜かれていく。
***
城壁の裏、工房の脇で、当のメリッタは眼鏡を押し上げながら、小さく舌打ちした。
「――一号基、指向角、二度、ずれた。風向きの補正が甘かった。ちっ」
「メリッタさん、成功してますよ、成功」
助手の一人が慌てて言うが、彼女は既に手帳を広げ、鉛筆を走らせている。
「二号基、良し。三号基、良し。四号基、これはやや早すぎ。歩兵が入り切る前に炸裂した。次の設計で改良点――」
「メリッタ、聞いてる?」
「聞いてない」
完璧に自分の世界に没入した彼女に、助手たちは肩をすくめて、次の弾薬を運び始めた。
「――やはり、四十基にしておくべきでした。三十九、という数字は、どうにも、据わりが悪い」
***
物見櫓。
ビアンカが長弓を引き絞っる。
二千歩の彼方。混乱の中で部下を叱咤する騎兵中隊長が、彼女の視界の中で、まるで止まっているように見える。
「――一発目」
弦が鳴った。矢が風を裂く。
中隊長の眉間を正確に射抜き、男は落馬した。
続く矢が、隣の伝令兵の喉を貫く。
「オルペア」
「はい」
「逃げ帰ろうとする伝令だけ狙って。指揮を潰す」
「――了解」
オルペアは既に弓を引いていた。
逃げようとした軽装弓兵が、一人、倒れる。
その指先に、迷いも震えもなかった。
ビアンカは、ほんの一瞬だけ彼女を見た。
以前なら、父の姿を探していただろう。だが――今は違う。
彼女は自分の敵を、自分の手で見ている。
「コーディア」
「はい」
槍を手にした少女が振り向く。
「あなたも、持ち場で同じことをするだけ。槍衾で路地を閉じて」
ビアンカは、城下へ続く道を指した。
「そこには私の矢は届かない。あなたの手で、閉じて」
「――はい!」
コーディアは深く頷き、物見櫓を駆け下りた。
***
「タケコ隊長。外周、順調に削れております」
カラミーテが、駒盤の外周の帝国駒を、五つほど脇に払った。
「メリッタさんの罠、想定より一割ほど早めに反応しているようですが、命中率は八割。ビアンカさんの狙撃が、指揮系統を的確に潰しています」
「メビックの動きは」
「……ここです」
カラミーテの指が、帝国本陣の駒に置かれた。
「先陣を退げず、後方の徒歩兵をそのまま前へ押しております。……犠牲を厭わず、罠地帯を『物量で踏み潰す』ご判断のようで」
「――甘い」
竹子が短く呟いた。
「あの外周は、踏み潰されることを前提に敷いてある。踏めば踏むほど、遅れる」
竹子は外周から市街地へ続く道を指した。
「メビック殿は、日暮れまでに市街地の外縁へ達するつもりであろう」
「――ええ」
カラミーテは扇子で口元を隠しながら、微かに微笑んだ。
「一日目、外周で完全に足止め。二日目、市街地に押し込ませた上で分断。……ちょうど、隊長様のお引きになった図面通りに、進んでおります」
「まだ、初日の昼過ぎだ。油断はならぬ」
「はい」
「――ディローザは」
「城壁裏の第三線。リドリーさんと共に待機中です」
カラミーテは少しだけ眉を上げた。
「ただし……先ほどから、扉の脇の柱を拳で叩いておりまして」
「叩く?」
「『まだ出番じゃないのねえさん』『ディも吠えたいのねえさん』と」
「……」
竹子は、ほんの僅かに口元を緩めた。
「呼んで参れ」
「よろしいので?」
「城壁の下まで来させよ。前には出さぬ。ただ、そこで待機させる」
竹子は静かに言った。
「ディローザの膂力は、外周が破られた時の最後の楔だ」
「畏まりました」
ピナーレが一礼して駆け出した。
***
城壁裏の控え室から、ディローザは大剣を抱えて走り出てきた。
「ねえさんが呼んでるって! ほんとに? ディを呼んでる?」
「ほんまや、ほんま、ディ姐さん。だからそんな早く走らんといて、うちが追いつかへん」
「わかった! ゆっくり走る!」
ゆっくり走っても、ピナーレは追いつけなかった。
城壁下の指定位置に着いたディローザは、大剣を地面に突き立て、両手をその柄頭に乗せて、ぐるりと外を見上げた。
「――ねえさん」
「うむ」
「ディ、ここで、何する?」
「待つ」
「え?」
「待つのが、お前の仕事だ」
ディローザは、しばらくぽかんと竹子を見つめ、それから、大きく口を開けて笑った。
「わかった! ディ、ずーっと、待つ! ねえさんが『行け』って言うまで、ずーっと、待つ! ねえさん、忘れんといてね?」
「忘れぬ」
「うん!」
ディローザは大剣に凭れ、鼻歌を歌い始めた。
城壁の兵士たちは、その巨体を横目で見た。そして、誰からともなく、密かに息を吐く。
――この一人が、ここにいる。
それだけで、城壁を守る兵士たちの腕の震えが、明らかに減じていた。
竹子は、それを見届けてから、踵を返し指揮所へ戻った。




