第參拾話「老兵は死なず」
その騒ぎを、広場の隅の井戸端から、腕を組んで眺めていた者がいた。
カラミーテである。
彼女の傍らで、湯呑を手にしていたピナーレが、こらえきれずに吹き出した。
「――副隊長。どないします、あのおじいちゃんら」
「そうねぇ」
カラミーテは扇子を口元に添え、上品に微笑んだ。
「――昔、先先代の辺境伯様の時代、あの方々は、それはそれは勇猛な小隊であったと伺っておりますわ」
「へえ」
「クラベス殿は、単騎で敵陣に突撃して、指揮官の首を三つ取ったとか。ジャンベ殿は、大盾で城門を一日、独りで支え続けたとか。……四十年も前の、お話ですけれど」
「四十年前、ですか」
「ええ」
カラミーテの扇子が、静かに閉じた。
「今の、あのお姿を拝見しておりますと、当時のご武勲が、逆に信じられぬような……いえ、失礼な物言いでしたわ。四十年、あの方々を戦から遠ざけてくださった、この街の平穏には、感謝すべきなのでしょう」
――言葉は柔らかい。だが、内容はどうしようもなく辛辣であった。
ピナーレは肩を震わせて笑いをかみ殺し、「うっわ、それ本人らに聞こえたら大変や……」と小声で呟いた。
「大丈夫ですわ、ピナーレ。……幸い、皆さま、少々お耳が遠いようですから」
そう言いながらカラミーテは、扇子で軽くピナーレの背を叩いた。
「あのまま、放っておくわけにもいきませんね――お行きなさい。あのお方々を、そっと、丁重に、城門から遠ざけてくださいませ。決して、ご自尊心を傷つけぬよう」
「へーい。任してくださいな」
ピナーレは駆け出しながら、途中でくるりと振り返った。
「あ、副隊長。ほんまに命令とかやなくてええんですね?」
「もちろん」
扇子の陰で、カラミーテは目を細めた。
「……あのお方々が、ご自分たちで『わしらは後方支援に回るのじゃ!』と、自分の口で仰るように、上手にお運びなさい。それが、いちばん、お怪我をさせない道ですわ」
「……カラミーテ様、やっぱり怖いわぁ」
ピナーレは笑いながら、老騎士たちのもとへ駆けていった。
***
その頃、街の外周では。
メリッタが、埋設した最後の魔導地雷の位置を、地図に書き込んでいた。
「――第三十九基、街道南側、深さ一尺二寸、指向角、東北東四十五度……」
眼鏡が朝露で曇り、しかしそれを拭う暇もなく、彼女は次の穴へ這うようにして移動していく。
「メリッタ、いい加減にしろ。もう帝国軍が地平線に見えている」
ビアンカが物見櫓から降り、外周まで走り込んできた。
「あと、一基……」
「馬鹿。もう戻れ。三十九基もあれば十分だ」
「四十基、と、あの図面に、書きましたので……」
「メリッタ!」
ビアンカは眼鏡令嬢の襟首を掴み、そのまま城壁の方向へ引きずり始めた。
「はぁっ、ちょ、ちょっと、ビアンカさん、あと少し……!」
「あと少しで、あなたが吹き飛ぶ。三十九基で十分。一基や二基のの差は誤差でしかない」
「でも、四十のほうが、美しいのに……!」
「なんの拘りか知らんが、戦場に美しさはいらん」
***
二人が城門を潜って戻ってきた時、 ちょうど反対側から、ピナーレに背中を押されるようにして、クラベス以下、五人の老騎士が広場へ引き返してくるところであった。
「――ですからねぇ、クラベスおじいちゃん。前線に立つのだけが戦ちゃいます」
「む……」
「この街の背中を守ってくれる人がおるから、うちら若い衆が前で暴れられるんですわ」
「しかし、わしらは騎士ぞ」
クラベスは胸を張った。
「前に出るのが役目ではないのか」
「もちろん、そうです」
ピナーレは即答した。
「せやからこそ、クラベスおじいちゃんにしかできへんことを、お願いしたいんです」
「わしにしか……?」
「ええ」
ピナーレは、にっこりと笑った。
「若い兵たちに、槍を教えてくださいな」
「――槍を?」
「四十年前の英雄から直接教わったってなったら、若い子ら、喜びますよ」
クラベスは、しばらく黙った。
「……ふむ」
その顔から、先ほどまでの「前線に出せ」という頑固さが、少しだけ消えた。
「そうか。わしらの経験を、若い者に……」
「そうそう」
ピナーレは畳みかける。
「ジャンベおじいちゃんの大盾も、街の広場の炊き出しの前に立ててあるだけで、ものすごい威圧感ですわ」
「そ、そうか!」
ジャンベが大きく頷いた。
「わしの盾が、街を守るのだな!」
「そうですそうです」
「うむ!」
ジャンベは満足そうに胸を張った。
「ならば、任せろ!」
「ダフおじいちゃんは、その薬湯を傷病者に配ってくださいな。フジ姐さんも、きっと助かります」
「ほう」
ダフの目が細くなった。
「では、久しぶりに古参衛生兵の腕を振るうとしますか」
「ふふ。お願いしますわ」
最後に、ピナーレはルーテとアサラトへ向き直った。
「お二人も、若い子らに昔の話をしてやってください。技術でも、戦場の心得でも、何でもええ」
「昔話、ですかな」
「はい」
ピナーレは笑った。
「それも立派な戦です」
五人の老人が、顔を見合わせた。
やがてクラベスが、ゆっくりと笑った。
「……なるほどのう」
彼は手にした槍を見下ろした。
「戦場に出ることだけが、戦ではない……か」
「そういうことですわ」
ピナーレが笑う。
「うちら若い衆が、前で戦えるようにしてくれはる。それが、老兵の仕事です」
「――よし」
クラベスは槍を握り直した。
「では、やるか」
「何をです?」
「若い者を鍛えるのじゃ」
老人の顔に、四十年前と同じ、戦士の笑みが浮かんだ。
***
その光景を、井戸端から眺めていたカラミーテが、満足そうに微笑んだ。
「……上手すぎて怖いわね」
その隣に、いつの間にか、竹子が並んで立っていた。夜叉霧を手に、朝の光を背に受けている。
「――手を焼かせて、済まぬな。副隊長」
「いえ」
カラミーテは扇子を軽く広げ、微笑んだ。
「あのお方々をどう扱うかも、また、街を守る戦の一つでございます。前線で吹き飛ばしてしまうより、後ろで生きていていただくほうが、この街の未来にとっても、よほど大切ですから」
「うむ」
「――それに」
扇子が、すっと閉じられた。
「あのお方々が、後方で少年たちに『わしが若い頃はのう』と武勇伝を語ってくださる、その声こそが、この街の子どもたちの、次の世代の背骨を作りますのよ。……街の記憶は、剣より、遠くまで届きますから」
竹子はしばらく無言で、彼女の横顔を見つめた。
それから、静かに一礼した。
「……あなたを副隊長に据えたのは、私の生涯の内で、五本の指に入る良き判断でござった」
「あら」
カラミーテは扇子で口元を隠しながら、しかしその目元には、確かに、微かな朱が差していた。
「……お上手ですこと」
【老騎士戦隊『ガンバレルンジャー」(仮)の人物紹介】
旧フラットペイン騎士団・第三小隊
かつて先々代辺境伯に仕え、フラットペイン辺境伯領の国境を守った五人組。
約四十年前には、少数精鋭の実戦部隊として帝国軍や盗賊団との戦いで名を馳せた。しかし長い平和の中で騎士団は解散・縮小され、五人もそれぞれ街の片隅で暮らすようになった。
身体は衰え、全盛期のような戦闘力はないものの、経験・知識・誇りだけは失っていない。
◆クラベス(クラベス・サルンバ・ローズウッド)74歳
旧フラットペイン騎士団第三小隊・槍騎兵長
武器:騎兵槍、直剣
性格:豪胆、短気、見栄っ張り。ただし根は非常に情が深い。
若い頃:単騎で敵陣へ突入し、敵指揮官三名を討ち取ったという伝説を持つ。
現在:老馬フラルディオンに跨ろうとして毎回危なっかしい。本人はまだまだ現役だと思っている。
「老いたことを認めたくない男」。
しかし、子どもたちに槍の扱いを教えるうち、自分の役割が「戦うこと」から「教えること」へ変わったのを少しずつ受け入れていく。
「わしが若い頃はのう――」という武勇伝を語り始めると止まらない。
◆ジャンベ(ジャンベ・ゴブレット)68歳
「守るとは、前に出ることだけではない」
旧フラットペイン騎士団第三小隊・重装歩兵
武器:大盾
性格:豪快、大らか、力自慢。五人の中では最も面倒見がいい。
若い頃:大盾一枚で敵の攻撃を受け止め、城門を丸一日守り抜いた。
現在:巨大な大盾を炊き出し場の前に立て、「これも立派な防衛じゃ!」と胸を張る。
「守るとは、前に出ることだけではない」と最も早く理解する男。
子どもたちからは特に人気があり、本人も満更ではない。
なお、若い頃の武勇伝に混じって妙に女遊びの話をしたがるため、アサラトやダフに止められることが多い。
◆ダフ(ダフ・フレーム)69歳
「戦場で人を殺さなかった老兵」
旧フラットペイン騎士団第三小隊・衛生兵
武器:短杖・小刀など
性格:飄々としている。五人の中で最も冷静。
若い頃:戦場では衛生兵として多くの負傷兵を救った。
現在:「薬湯」と称して酒を飲んでいるようにしか見えない。
若い頃から戦場の惨状を知っているため、戦闘そのものには五人の中で最も冷めている。
フジの治療技術にも強い関心を持ち、彼女に薬草・衛生・応急処置の古い知識を教える。
◆ルーテ(ルーテ・マーラー)61歳
「戦争を記録する者」
旧フラットペイン騎士団第三小隊・斥候/軍楽兵
武器:仕込み楽器、短剣
性格:寡黙で穏やか。五人の中では最も知的。
若い頃:斥候として敵陣深くまで潜入し、敵情を持ち帰ることを得意としていた。
現在:竪琴を弾きながら、街の子どもたちに昔話や戦場の記憶を聞かせる。
五人の中で唯一、武勇伝を自分から語らない。
むしろ、「あの戦いでは、誰が死んだか」を覚えている。
仕込み楽器という妙な武器も、昔の斥候時代の名残。
◆アサラト(アサラト・ワイルーロ)65歳
「昔から変わらない男」
旧フラットペイン騎士団第三小隊・弓兵/副隊長
武器:長弓
現在の役割:子どもたちへの弓術指導、見張り、伝令
性格:生真面目で声が大きい。五人のまとめ役。
若い頃:長距離射撃の名手。敵の旗手や伝令を優先して狙う戦術を得意とした。
現在:聴力が衰えているため、自分の声がやたら大きいことに気づいていない。
五人の中では最も頑固で、「騎士とはこうあるべき」という古い価値観を強く持っている。
ただし、実際には誰よりも仲間思い。
クラベスの無茶を止め、ジャンベの脱線を止め、ダフの酒疑惑を追及し、ルーテの沈黙を埋める――という、五人のツッコミ担当。




