第廿捌話「城塞、動く」
会議が終わると、街はすぐに動き始めた。
広場では、メリッタの助手たちが押収した魔導兵器を解体している。
市場では、ピナーレたちが情報網を再構築していた。
石畳が、あちこちで剥がされ始めた。
折り曲げた路地の、さらに内側に、追加の遮蔽壁が組まれ始めた。屋根の上には、二階建ての家々の間に渡す矢座の板が運び上げられていく。
街の女たちが、井戸端に集まっていた。
水を運ぶ桶の割り当てを、老いた婦人が仕切っている。子どもたちは、包帯用の布を裂く作業を、母親から教わっていた。
疎まれていたスラムの幼い獣人たちも、今は一緒に作業をこなしている。
少年トレクが、パンの籠を両手で抱え、走っていた。前線ではない、野戦病院の炊き出しへ。かつて竹子に「戦は子どもの仕事ではない」と追い返された、あの少年である。
彼は、竹子と目が合うと、少しだけ照れたように、しかしはっきりと言った。
「タケコ様。俺、今度は、剣は握りません」
「……うむ」
「その代わり、パンを、いっぱい、運びます」
竹子は少しの間、その少年の顔を見つめ、深く、頷いた。
「頼むぞ、トレク」
「はい!」
少年が駆け去った後、竹子は夜叉霧の柄をそっと撫でた。
その日の夕方。
城壁の最上階に、竹子は一人で登った。
東の街道を見下ろす。まだ、敵の姿は見えぬ。しかし、地平の彼方の空気が、微かに震え始めているのを、彼女の武人としての勘は、既に捉えていた。
背後から、静かな足音。
「――こんなところに、お一人で」
カラミーテだった。手には、湯呑を二つ。
「隊長様。お茶を、お持ちしましたの」
「かたじけない」
湯呑を受け取り、二人はしばらく、無言で東の空を見つめた。
やがて、カラミーテが、扇子を開いて、静かに言った。
「――隊長様。一つだけ、申し上げてよろしいですか」
「うむ」
「わたくし、会議の席でも申しましたが、最初にあの枡形の図面を見た時――『こんな女子どもの絵で、街が守れるものか』と、腹の底で思っておりました」
竹子は、少しだけ苦笑した。
「知っておった」
「――あら」
「あなた様の目は、正直でござる。口が丁寧すぎるだけで」
カラミーテは、扇子の陰で、くすくすと笑った。
「参りましたわ。……で、今、わたくしがどう思っているか、お聞きになりますか?」
「聞こう」
「――『こんな女子どもたちの街だからこそ、守り抜ける』と。そう思うております」
竹子は答えなかった。
ただ、眼下の街を見つめた。
パンを運ぶ少年。
水を汲む女たち。
魔導兵器を分解するメリッタたち。
路地を駆ける娘子隊。
そして、そのすべてを包み込むフラットペインという街。
竹子は夜叉霧の柄を、もう一度だけ撫でた。
「……うむ」
翠緑の文様が、夕陽の中で静かに輝いている。
「私も、ようやく分かった気がする」
カラミーテが隣を見る。
「何を、ですの?」
「城とは、石や木で造るものではない」
竹子は、街を見下ろした。
「そこに生きる者たちが、互いを守ろうとする限り――この街そのものが、城になる」
その時。
東の地平線。
朝には何もなかった場所に、砂塵が一筋、立ち上がった。
カラミーテの扇子が、ぴたりと止まる。
竹子の目が細くなる。
「……来たか」
街の下から、少年たちの走る足音が聞こえる。
女たちの声が聞こえる。
工房から、金属を打つ音が響く。
誰も剣を振るっていない。
それでも。
街全体が、戦う準備を終えつつあった。
竹子は夜叉霧を握り直した。
翠緑の文様が、夕陽を受けて、脈打つように輝いた。
――城塞が、動き始めた。




