第廿漆話「開かれた籠城」
竹子は、カラミーテの問いかけに頷くと、地図の上に指を置いた。
「私が皆様にお願いしたい籠城戦の型は――『開かれた籠城』でござる」
竹子の指が、地図の外周をなぞる。
「街の民を城壁の内に閉じ込め、城もろとも焼く、そういう我が故国の型は、取らぬ。取ってはならぬ」
その一言に、老いた商人組合の長老が、深く息を呑む音が聞こえた。会津の顛末は、既に竹子自身の口から、幾度も彼らに語られている。
「では、代わりに、どう戦うか」
竹子の指が、地図を三つの帯に区切った。
「街と、その周辺を、三重の防衛線として運用する。外周、市街地、城壁――この三段構えで、敵を段階的に削り、疲弊させ、最終的にこの街の中央、精霊樹の下まで到達させぬ」
メリッタが眼鏡を押し上げ、身を乗り出した。
「――第一線、外周について、私からよろしいですか」
「うむ、頼む」
「はい」
メリッタは腰に下げた筒から丸めた図面を取り出し、地図の上に広げた。それは、彼女が個人的にコツコツと蓄積してきた設計図の束であった。
「外周の平原、およそ二千歩の帯。ここに、私が既に半数を敷設済みの魔導罠と、追加で敷ける燃焼弾、鳴子式の警戒魔導具を、三層構造で埋め込みます。三層目には、指向性の爆風を発生させる大型の魔導地雷を、街道沿いに集中的に。数、およそ四十基」
「四十……」
守備隊長が呻いた。
「メリッタ殿、そこまでの在庫はありませんが」
メリッタは眼鏡の奥で、微かに得意げに眼を光らせた。
「先の遭遇戦で押収した帝国兵の武具、および先遣隊の魔導兵装の残骸から、素材を全て再利用します。私の工房で分解、再組立て中です。……ちなみに、帝国製の魔導核は、実に興味深い設計思想でして、我が国のものより効率が三割ほど――」
「メリッタ」
ビアンカが壁際から、退屈そうに一言だけ。
「あなたの技術講義は後にして。話が進まない」
「――失礼しました」
メリッタは咳払いをして、話を戻した。
「要は、外周に踏み込んだ敵は、この四十基の指向性地雷と、二百基以上の小型罠で、確実に陣形を崩されます。ただし、これで敵を全滅させる意図はありません。あくまで、次の市街戦に引きずり込むための、剥がしの一撃です」
「――第二線、市街地」
竹子が引き取った。指が、既存の枡形と迷路を辿る。
「ここは、ラピエラ殿にお願いしたい」
梁の上のラピエラが、片眉を上げた。
「――王都仕込みの、ってやつ?」
「うむ」
竹子は真っ直ぐに彼女を見上げた。
「街の路地を分断し、敵の部隊を小分けに切り離し、指揮系統から孤立させる。あなたの手腕を、この街を守るために使っていただきたい」
ラピエラは、しばらく無言で天井を見上げていた。それから、ふっ、と小さく息を吐いた。
「――昔、あーしがやってた仕事の逆だな」
「そうだ」
「わかった。……ただし、条件が一つ。あーしと一緒に動く連中を、選ばせてもらう」
「うむ、任せる」
「コルニャとコーディアを。あと、街を知ってるピナーレと、路地戦ならサーリーも欲しい」
名を呼ばれたコルニャが「にゃ?」と首を傾げ、コーディアが槍を握り直し、ピナーレが「うち、市場の裏道は全部頭に入ってるさかい、任せて」と胸を張り、サーリーが「私の呪いも、路地なら効くわ」と俯きがちに呟いた。
「――第三線、城壁」
竹子の指が、最内周へ移った。
「ここが、最後の砦となる。市街地を突破してきた敵の残存兵力を、ここで完全に止める。ビアンカとオルペアの狙撃、コーディアの――いや、コーディアは市街に回すのだったな。ならば、リドリー殿とディローザに前衛を。フジとチネル殿は、城壁裏に野戦病院を設営していただきたい」
リドリーが大柄な体を精一杯縮こまらせながら、「は、はい」と小さく頷く。
「ビアンカ殿」
竹子はエルフの狙撃手に目を向けた。
「城壁の矢座は、あなたの助言で高さと角度を修正した。あの位置から、平原の魔導罠地帯までを射程に収められる。……罠に嵌って動きが止まった敵の、指揮官級を優先で狙っていただきたい」
「言われずとも、そうする」
ビアンカは腕を組んだまま、しかしその横顔に微かな笑みが浮かんでいた。
「――ただし、タケコ。一つだけ聞かせて。この作戦、あなた自身は、どこに立つつもり?」
「私は」
竹子は少し考え、それから答えた。
「三線のいずれにも属さず、遊軍として動く。副隊長の下命で、崩れかけた線を補強しに走る。……それが、今の私に、一番できることだと」
カラミーテが、扇子の先で自分の頬を軽く叩いた。
「あら。総大将が現場遊軍、というのは、少し無理のあるお立場ではございませんこと?」
「無理は承知の上」
「――ならば、よろしゅうございますわ。あなた様が三線のどこにも縛られぬなら、わたくしがどこにあなた様を投げても、文句は言わせません」
「望むところ」
二人の間に、極めて短い、しかし互いを完全に理解した目線が交わされた。
議場の中央で、老いた商人組合の長老が、震える手を挙げた。
「――お待ちくだされ、タケコ様」
「うむ」
「三線の構え、確かに見事なものと存じます。しかしながら……この作戦は、街の民を、街に、留めておくということでございましょうな」
議場が、しんと静まった。
竹子は長老の目を、真っ直ぐに見返した。
「その通りです」
「……なぜ、でございます。安全な後方へ、疎開の道は」
「既に、塞がれております」
竹子の声は、抑えた低さのままだった。
「ピナーレ殿の情報網によれば、東の街道は帝国の別動隊が既に押さえ、北の峠は季節外れの落石で不通。西は精霊樹の禁域、南はメビック本軍の進路上。……逃がす道は、もう、ない」
「――そんな」
「逃げ道があるなら、逃げていただく。それが本来、私の望みです」
竹子は、一度深く息を吸った。
「しかし、今は逃げ道そのものがない」
長老が息を呑んだ。
「故国では、女子どもを城内に閉じ込めた末、共に焼いた。それは、二度とさせない。だが、街から民を追い出し、私たち武人だけで街を焼く戦も、もう、しない」
竹子は、両手を膝に置き、深く、深く頭を下げた。
「皆様には、この街に、留まっていただきたい。ただし――決して、剣を握らせぬ」
顔を上げ、竹子は続けた。
「非戦闘員の皆様には、物資の運搬、負傷者の搬送、炊き出し、井戸番、伝令、そして子らや老人の見守り。剣も弓も、握らせぬ。ただ、私たちの背後で、生き延びるための仕事を、していただきたい」
「――『後ろで支える戦』を、と」
職人組合の頭が、掠れた声で呟いた。
「はい」
竹子は静かに頷いた。
「戦は、剣を振るう者だけのものではござらぬ。矢を運ぶ者、傷を洗う者、粥を炊く者、水を汲む者――その全てがあって、初めて、一本の刀は敵に届く。会津の女たちは、そう叩き込まれ申した」
長老が、目を伏せた。震える声で、問うた。
「もし……もし、城が破られたら、いかがなさるおつもりで」
竹子は少しの間、目を閉じた。
そして、目を開いた時、その瞳には、迷いの一片もなかった。
「その時は、私自身が敵将の前に立つ」
「……タケコ様」
「最後まで、生き延びるために戦う。それでもなお破られたなら、その時こそ、私が交渉する」
議場が、しんと静まった。
その静寂を、静かな衣擦れの音が、破った。
イルミナが、立ち上がっていた。
辺境伯が、竹子の隣まで歩み、静かにその隣に腰を下ろした。
「タケコ様」
「――イルミナ様」
「その最後の役目は、辺境伯である私の役目です」
イルミナの声は、穏やかで、しかし絶対の意志を秘めていた。
「あなたを一人で逝かせるようなことは、しません。もし城が破られる日が来たとしても、その時、敵将の前に首を差し出しに参るのは、この土地の名を負う者――つまり、私です」
「……イルミナ様」
「我が家の魂を、あなたに託した意味を、お忘れにならぬよう」
竹子は、深く頭を垂れた。
二人の武人の間に、無言の頷きが交わされた。
カラミーテが、扇子で口元をそっと隠しながら、微笑んだ。
「お二人とも、最後の最後まで随分とご立派ですこと」
そして、にっこり笑う。
「ですが、そのような終わり方は、副隊長として絶対に許しませんわ」
「ふふっ」
イルミナが小さく笑った。
「では、カラミーテ殿にお任せいたします」
「ええ。お二人の首が飛ばぬよう、全力を尽くしましょう」
議場に、張り詰めた糸が解けるような、わずかな笑いが起きた。




