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【会津の烈女】 介錯された会津藩士の娘、辺境伯令嬢に拾われる ~薙刀一つで新・娘子隊を作ります~  作者: 真野真名
第三章 異世界の鶴ヶ城 〜籠城と、決別〜

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第廿肆話「初太刀、引き分け」




 東の森を覆っていた濃霧が、朝の風に流されて少しずつ薄れ始めていた。


 先遣隊三百の壊滅。

 悲鳴と怒号が遠ざかり、森には不気味なほどの静寂が戻りつつあった。


 竹子は夜叉霧の切先を下げ、乱れた息を整えながらも、周囲の警戒を解かずにいた。ディローザやカノンたちも、竹子の指示通り深追いを止め、撤退の準備に入っている。


 完璧な奇襲だった。


 ――だが。


 竹子の肌が、チリチリと焼け焦げるような警鐘を鳴らしていた。


 来る。


 白く煙る木立の奥。

 敗走する帝国兵の波を逆行するように、ただ一人、こちらへ向かって一直線に歩いてくる影があった。


 鎧も着けず、漆黒の合羽を纏った痩せぎすの男。


 その男がすり抜けた後には、帝国兵ですら異様な気配に呑まれ、道を譲るようにその場へ崩れ落ちていく。味方であるはずの兵が、だ。


「退けッ! ディローザ、カノン、下がれェッ!!」


 竹子がかつてないほどの鋭い声で叫んだ。


 だが――遅い。


「ひさしぶりじゃき――この匂い! 会津藩士の、血の匂いぜよ!」


 男の姿が、ふっと霧に溶けた。


 次の瞬間、竹子の目の前に、飢えた狼のような双眸が迫っていた。


 チィィィィンッ!!


 竹子が咄嗟に跳ね上げた夜叉霧の柄に、無銘の打刀が激突した。


 凄まじい衝撃。手首の骨が、軋みを上げる。


 これは、まともな打ち合いではない。

 殺すこと――ただそれだけを目的に研ぎ澄まされた、極限の暗殺剣。


(速いッ……!)


 竹子は舌打ちし、柄を滑らせて刃をいなす。


 男――岡田以蔵は、弾かれた反動すら利用して、地を這うような低い姿勢から二の太刀を放ってきた。


 一合。三合。五合。


 常人には視認すらできぬ速度で、刃と刃が火花を散らす。


 息が浅くなる。視界の端が、白く霞み始める。

 だが、竹子は瞬き一つしなかった。


 以蔵は狂ったように嗤いながら、刀を振るう。

 幕末の京都を血に染めた、人斬りの剣。


 対する竹子は、会津で叩き込まれた実戦薙刀の型――そのすべての応用でそれを捌いていた。


 七合。十合。


 互いの息遣いが触れ合うほどの距離で、以蔵が必殺の突きを放とうと、右肩をわずかに引いた。


 その瞬間。


 竹子は――後退しなかった。


 逆に、半歩踏み込んだ。


(力を、通すな。逸らせ)


 師の声が、頭の奥で鳴る。


 切先を螺旋に旋回させ、以蔵の刀を絡めとるようにして軌道を逸らす。

 力ではなく、理合いで相手の力を無効化する――極めて特異な防御の型。


 ピタリ、と。


 以蔵の動きが、一瞬だけ止まった。


「……なんじゃ、その理合いは」


 狂気に染まっていた以蔵の目が、驚愕に見開かれた。


 相手の力を、正面から受けずに殺す。

 それは、以蔵がかつて京の路地で一度だけ相見え、そして生涯でただ一人、背筋を凍らせた剣客の型に――酷似していた。


 なぜ。

 なぜ、遠く離れた会津の女が、それに似た太刀筋を使うのか。


 動揺が、以蔵の足筋にほんのわずかな「居着き」を生んだ。


 真剣勝負において、その一瞬は――致命的な隙となる。


「シッ!」


 竹子は無言のまま、夜叉霧を翻した。


 銀閃が奔る。


「ぐっ……!」


 以蔵が身を捩るが、避けきれない。刃が以蔵の左肩を骨まで届くほど深く切り裂き、鮮血が霧の中に散った。


 勝負あった。


 誰もがそう思った、その瞬間。


 以蔵の顔に――悍ましい哄笑が浮かんだ。


 骨まで断たれたはずのその肩を、まるで他人の身体であるかのように無視して。


「おんしも、主君に呪われて、まだ彷徨う亡霊じゃろうが!」


 肩から血を流しながら、以蔵は身を沈め、下段から逆袈裟に刀を振り上げた。


「会津の忠義なんぞ、ただの呪いぜよッ!!」


 ――呪い。


 その言葉が、竹子の鼓膜を貫いた。


 脳裏に蘇るのは、燃え落ちる鶴ヶ城。

 自刃していく仲間たち、その骸の間を這うようにして生き延びた自分。

 そして、死ぬことすら許されず、「生きて、会津の名を繋げ」と命じられた、あの重い掟。


 ――自分は今も、あの過去に縛られている亡霊なのか。


 竹子の心が、致命的に揺らいだ。


 太刀筋が、指一本分だけ鈍る。


 ザシュッ。


 以蔵の刃が、竹子の白皙の頬を切り裂いた。


 一筋の赤い血が、白い肌を伝って顎へと落ちる。


「隊長ォッ!!」


 後方からディローザが叫び、大剣を構えて飛び出そうとした。


 だが、二人の死闘は――予期せぬ形で中断されることになった。


「以蔵殿ッ!!」


 霧の奥から、黒い軍服を着た帝国側の『勤王党インペリアント』の兵士が駆け込んできた。息も絶え絶えに、以蔵に向かって叫ぶ。


「駄目です! 我が部隊が、敵の斥候部隊の執拗な罠と足止めに遭い、これ以上の前進が不可能です! 一時撤退を!」


 そして――追い打ちをかけるように。


 竹子の頭上の樹上へ、一羽の鳥が舞い降り、小さな筒を落とした。


 受け取ったコーディアが、声を張り上げる。


「隊長! カラミーテさんからです! 『城壁東側に敵の別動隊が肉薄。突破口が開く恐れあり。副隊長の権限において、本隊の即時撤収を要請する』――とのことです!」


 双方にとって、これ以上の局地戦は、全体を崩す死手となる。


 以蔵は肩の傷から血を流しながら、チッ、と舌打ちをした。


 そして、刀についた血糊を払うと、口の端を歪めて嗤った。


「――生きちょれや、会津の女。次までにな」


 竹子は、答えない。


 言葉で応じれば、この人斬りの土俵に足を踏み入れることになる。それを、彼女の武人としての本能が拒んでいた。


 ただ無言で夜叉霧を中段に構え直し、霧の奥へと後退していく以蔵の背中を――静かに、見据えていた。


 その痩せた背が、白い霧に完全に呑まれるまで。

 竹子は、切先を一度も、下げなかった。


「隊長……お怪我を……」


 カノンが青ざめた顔で駆け寄ってくる。


「かすり傷だ。気にするな」


 竹子は頬の血を無造作に手の甲で拭い、夜叉霧に鞘を被せた。


 だが――以蔵の残した「呪い」という言葉は、見えない棘となって、竹子の胸の奥底に深く突き刺さったままだった。


 肉の傷より、深いところに。


「全軍、撤収。フラットペインへ帰還する」


 朝の光が霧を完全に晴らした時、そこには無数の傷跡が刻まれた戦場だけが残されていた。


 竹子の頬を伝った血の一筋は――まだ、乾いていなかった。





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