第廿話「枡形(ますがた)の街」
降伏勧告が決裂した翌朝。
フラットペインの広場には、山のような石材と、近隣の森から切り出された木材が運び込まれていた。
しかし、集められた街の職人や男たちは、腕を組んだまま顔を見合わせていた。
「本当に街を壊すっていうのか……?」
「狂気の沙汰だ。帝国軍を怒らせるだけじゃねえか」
躊躇する領民たちをよそに、娘子隊だけが黙々と動き始めていた。
「よし、ここから路地を三間右へずらすわよ」
メリッタが宙に展開した魔導陣の数式を弾きながら、空中に光る緻密な設計図を引いていく。
その指示に従い、「どっこいしょー!」という気の抜けた掛け声とともに、ディローザが動き出す。十人がかりでも動かせないような巨大な石塊を軽々と持ち上げ、指定された場所へ次々と積み上げていくのだ。
ズシン、ズシンと地響きを立てて組み上がる防塁に、職人たちは息を呑んで立ち尽くした。
出来上がった真新しい石壁の陰から、コーディアが愛用の長槍を鋭く突き出す。
「……間合い良し。ここなら死角から、敵の喉元を確実に狙えます」
街のあちこちで、娘子隊の面々がそれぞれの役目に散っていた。
カラミーテは広場の中央に大きな街図を広げ、扇子で防塁の配置を指示していた。
「そこの通り、もう半間狭めなさい。敵騎兵が三騎並んで駆け抜けられぬ幅に」
盤上遊戯の名手の目は、街そのものを一つの巨大な盤面として捉えていた。
竹子が提案した「枡形」構造。それは、道を直角に幾重にも折り曲げ、侵入した敵軍の進行を阻み、袋小路へと誘い込む都市防衛術だ。
直進しようとする敵は、必ず角で歩みを止めねばならぬ。その一瞬の停滞を、両側の高所から弓兵が仕留める。突破しようと突撃すれば、袋小路の突き当りで長槍の穂先が待ち構えている。
少数の兵で大軍を捌くための、会津藩士たちが数百年かけて磨き上げた智慧であった。
「――我が国では、この構造で城下町全体を包んだ」
竹子はメリッタに説明した。
「一つの角で敵が止まる時間は、わずか数瞬。だがその数瞬が、十の角で積み重なれば、大軍の勢いを完全に殺す」
「面白い……」
メリッタが眼鏡の奥で目を輝かせた。
「ならばその『数瞬』を、微弱な風魔法でも敵の視界と足元を撹乱すれば――」
会津の伝統と、この世界の魔導が、街路の設計図の上で静かに融合していく。
娘子隊の手によって工事が進むにつれ、見慣れた日常の風景が「戦争仕様」へと塗り替えられていく。
真っ直ぐだった大通りには石塁が築かれて道幅が狭くなり、荷車が通れず迂回を余儀なくされる。見通しを悪くするために空き家が一軒丸ごと取り壊され、その廃材がバリケードに変わった。井戸の周りには矢避けの木柵が巡らされ、いつも広場で遊んでいた子供たちの姿は消えた。
表通りにあったパン屋は裏路地の仮店舗へとかまどを移し、鍛冶屋からは朝から晩まで防衛用の釘を打つ甲高い金属音が鳴り響いている。
街そのものが、一つの巨大な要塞……いや、意思を持った軍隊へと姿を変えつつあった。
直接工事に携わっていない隊員たちも街のあちこちに散っていた。
ビアンカは物見櫓を巡り、弓兵を配置する高所の視界と風向きを一つ一つ確かめていた。
「この位置から、あの通りの入り口までの距離は……」
エルフの狩人の勘が、狙撃の網の目を編み上げていく。
ピナーレは市場と工事現場を軽やかに往復し、領民たちの声を集めていた。
「あそこの井戸、実は裏に地下水脈があるらしい」
「西の家の爺さんが昔、傭兵やってたって」
辺境伯家の小間使いは、街の記憶を掘り起こす情報屋の顔になっていた。
そしてローズは、屋根の上で小鳥たちと語らっていた。
「困ってる箇所、怪我した人、怪しい人はいなかった?」
だが、すべての領民がこの変化をすんなりと受け入れたわけではなかった。
「やめだ、やめてくれ!」
広場の隅で、最後まで腕を組み、頑なに動こうとしなかった初老の商人が叫んだ。街で長年、乾物を商ってきた男――ドライン・アジーノと言った。
父の代から数えれば、この街で四十年、店を続けてきた男である。
「俺は何十年もここで店をやってきたんだ! こんな石壁を積んだところで、帝国の大軍相手に何になる! 街を壊して、店を壊して、それでどうやって生きていくんだ!」
悲痛な叫びだった。圧倒的な暴力への恐怖。築き上げてきた日常を壊されることへの拒絶。それは、声に出せない領民たちの偽らざる本音でもあった。
その震える老商人の肩に、そっと手が置かれた。
「……逃げて、どこへ行くというのですか」
領主イルミナだった。
「降伏して、何を差し出すのですか。帝国はすべてを奪います。私たちの名も、家も、この街であなたがたが築き上げてきた歴史も」
彼女は静かに、しかし凛とした声で語りかけた。
「これは、あなたたちに無理やり剣を持てと強要するものではありません。あなたたちの家を、あなたたち自身の手で守るための、これは備えなのです」
そう言うと、イルミナはドレスの裾が汚れるのも構わず、自ら重い土嚢を抱え上げ、ぬかるんだ土の上を歩き出した。領主自らが泥に塗れる姿に、周囲の空気が僅かに変わった。
まず動いたのは、若い職人たちだった。
「……領主様に石を運ばせるわけにはいかねえ」
誰からともなく黙って歩み寄り、ディローザが運んだ石の隙間を埋め始める。
次に、家に隠れていたはずの子供たちが小さな手で土を運び始め、女たちが兵糧の炊き出しのために広場の端でかまどに火を入れた。
一人、また一人と、領民たちが己の意志で防衛の列に加わっていく。
老商人は、一人立ち尽くしていた。
振り返れば、自分が何十年も守ってきた小さな店舗がある。逃げれば、すべては灰か帝国のものになる。視線を戻せば、泥だらけになって働く若い領主と、かつては社会のはみ出し者と呼ばれていた娘子隊の面々が、汗水流して「彼の街」を守ろうとしている。
そして今、街の者たちが総出で槌を振るっていた。
老商人は、店と、泥まみれの彼らを交互に見比べ――やがて、深く、長く息を吐き出した。
「……まったく。若い連中ばかり働かせる訳にもいかねえか」
彼は足元に転がっていた木槌を拾い上げた。
「おい、そこの力持ちの姉ちゃん! その石の隙間は、俺が叩いて固めてやる!」
少し離れた物見櫓の上から、竹子はその光景を静かに見下ろしていた。
――カン、カン、カン。
老商人の振るう槌が、石を叩く。その硬質な音が、ふいに竹子の耳の奥で、別の音と重なった。
――カン、カン。
それは、砲弾で崩れた鶴ヶ城の石垣を、女子供が必死に積み直す音。
鼻を掠めるのは、芋と味噌を煮込んだ野戦の炊き出しの匂い。
泥だらけになって土嚢を運ぶ子供たちの向こうに、血に染まった袴姿の母と、幼い妹の幻影が重なる。
『お姉様……』
妹の掠れた声が聞こえた気がして、竹子ははっと息を呑み、現実に引き戻された。
瞬きをすると、眼下には、同じように泥だらけで防塁を築くフラットペインの民がいる。
景色は、あの日の会津と酷似していた。
あの日の会津は「武士の誇りを抱いて死ぬ」ための哀しい熱に浮かされていた。しかし目の前の彼らは、「明日もこの街で生きる」ために槌を振るっているのだ。絶望の熱ではなく、生き抜くための熱だった。
「……良い街だ」
竹子の唇から、自然と笑みがこぼれた。
いつも冷たく張り詰めていた彼女の顔に、この異世界へ来て初めて、柔らかな陽だまりのような微笑みが浮かんでいた。




