其の参「大剣使いと、追いかけっこと、境界の話」
【リドリー編】
夕刻。西日が城下の屋根を朱に染める頃。
隊舎の裏手では、悲鳴が響いていた。
「待ってくださーい! ちょっとだけ! 本当にちょっと見るだけですからー!」
「来るなぁぁぁぁぁっ! 絶対に、来るなぁぁぁぁッ!」
小柄な影が、大柄な影を追いかけていた。
追う側は、フジ・パンサード。
追われる側は、大剣使いのリドリー。身の丈六尺、両肩に大剣を背負ったまま、涙目で全力疾走している。
中庭でその光景を眺めていたピナーレが、パンをかじりながら呟いた。
「またやってるわ」
「毎日ですね」
隣で洗濯物を畳んでいたカノンが苦笑する。
「フジさん、リドリーさんに何をそんなに執着してるん?」
「……身体の、あるべきパーツが足りない、って」
「ああ」
ピナーレはパンを飲み込み、少しだけ声を落とした。
「あかん、それは。あの人が一番、触れられたない話や」
「……知ってるんですか?」
「市井のおばちゃんたちの情報舐めたらあかんで、カノンさん」
ピナーレは、遠くで追いかけっこを続ける二人を、少し切ない目で見た。
「リドリーさんな、元々は男の身体で生まれたんや」
「……」
「名門騎士爵家の長男でな。剣の腕は父親譲りで、家督相続も約束されてた。順風満帆や。周りから見たら、な」
「本人は」
「地獄やったやろな。毎朝、鏡見るたびに、『自分やない誰か』の顔が映るんやから」
カノンは洗濯物を膝に置いた。
「それで、家を出たんですか」
「二年前にな。母親から母方の魔導技術を借りて、無理矢理身体を作り変えた。父親は激怒して、勘当。母親だけが、こっそり餞別を渡してくれたそうや」
「……」
「今の身体は、あの人が、命懸けで手に入れた『本当の自分』や。だから、フジみたいに、面白半分で『パーツが足りない』とか言われんのあかんのや。あかんに決まってる」
カノンは、無言でリドリーの背中を見た。
あの大きな体格。あの逞しい肩。あの太い腕も、全部彼女自身が「これが私だ」と選び取ったものだ。
「……フジさんに悪気は」
「ないんやろな。フジは、身体を『部品』として見る癖がついてる。妹さん救えなかった悔しさで、そうなったんやろけど、リドリーさん相手には、ほんまに、あかんのや」
ピナーレはパンの最後の一口を飲み込んだ。
「――止めに行くわ」
「私も」
二人が立ち上がろうとした、その時。
追いかけっこが、突然、止まった。
隊舎の裏庭。行き止まりまで追い詰められたリドリーが、大剣を地面に突き立て、振り向いた。
「――もういい!」
その声は、悲鳴ではなかった。腹の底から絞り出された、静かで低い声にフジがぴたりと足を止める。
「フジ! 聞け!」
「はい」
「私の身体は、これでいいんだ!」
「……」
「これが、私だ!」
リドリーの手は震えていた。だが、その瞳は、真っ直ぐにフジを見据えていた。
「二年かけて、私は、この身体を手に入れた。ここに至るまで、何度も死のうと思った。母だけが、味方だった。父は、私を『息子』と呼び続けた」
「……」
「今、私は、私の身体で立っている。私の名で呼ばれている。あんたたちが『リドリー』と呼んでくれる、この身体で」
リドリーは深く息を吸った。
「だから、『足りない』なんて、言うな。私は、足りてる。これで、足りてるんだ」
フジは、しばらく無言でリドリーを見ていた。
やがて、ぽつり、と口を開いた。
「……ごめんなさい。……私、間違えてました。私は、パーツを『足りる、足りない』で見てた。でも、身体は、その人が『これでいい』と言ったら、それで正解、なんですね」
「そうだ」
「妹の時と、同じ間違いをしていました。……妹も、最期に『もういい、これでいい』って言ってたのに、私だけが、諦められなかった」
フジの声が、震えた。
「もう、あなたに、あの子と同じ後悔をさせない」
「……」
「あなたが『これでいい』と言うなら、それが、正しいです。私が受け入れます」
リドリーは、しばらく何も言わなかった。
やがて、突き立てていた大剣を、静かに背中に戻した。
「……近づくなよ」
「はい」
「絶対に、私の身体を勝手に触るな」
「はい」
「怪我した時だけ、頼む」
「はい」
「怪我した時は、必ず頼む」
「はい」
フジは何度も、何度も頷いた。
少し離れた場所で、その一部始終を見ていた二人は、無言で顔を見合わせ、それから、そっと踵を返した。
「……ええ隊やな」
「はい」
夕日が、二人の大きな影と小さな影を、地面に長く伸ばしていた。




