其の壱「槍の少女と弓の少女、そして、影」
【コーディア、オルペア、ラピエラ編】
新・娘子隊が結成されて、二日目の朝。
東の空に、ようやく紫色の薄明かりが滲んでいた。
城下の外れに用意された隊舎の中庭では、鋭い呼気とともに、槍が空を裂く音が響いていた。
「――ふっ!」
突く。引く。踏み込む。また突く。
コーディアの穂先は、まだ夜露に濡れた空気を、寸分の狂いもなく貫いていく。
十七歳。冒険者ギルドの受付嬢。それが、フラットペイン城下での彼女の肩書きだった。
だが、その槍捌きは、一端の冒険者の域を超えていた。
「――コーディア、朝食まだよね」
背後から声がかかった。
振り返ると、日陰に腰を下ろしたオルペアが、弓の弦に丁寧に油を差していた。
「食べました」
「パン一個でしょう」
「二個です」
「同じよ」
「倍も違います」
軽い応酬の後、コーディアは槍を下ろした。
オルペアが弓を膝に置き、目を細める。
「そんなに強くなって、どうするの」
問いは、責めているのではなかった。ただ、純粋な興味の声だった。
コーディアは、しばらく黙って穂先を見つめた。
「……いつか、ギルドに、初心者向けの育成所を作るんです」
その声は、槍を振っていた時と同じ、静かで真剣な調子だった。
「知識もない、技術もない。そんな子たちが、いきなり危険な依頼を受けて――死んでいく。あれを、もう見たくない」
コーディアの両親は元B級冒険者だった。今は怪我で引退し、下級冒険者向けの安宿を営んでいる。
だから彼女は知っているのだ。冒険者という仕事が、どれほど簡単に人の人生を壊してしまうかを。
「ギルドの偉い人たちには、笑われましたけどね」
コーディアは槍を握り直した。
「だから、実績を作るんです。この部隊で」
オルペアは、返事をしなかった。
ただ、弓の弦を、いつもより少しだけ強く張った。
自分の父もまた、ひと月前の帝国軍との遭遇戦で命を落としていた。
帝国が憎い。それは間違いない。――けれど、助けを寄越さなかった王都も憎い。守れなかった領主も歯がゆい。そして、何もできなかった自分自身も、ずっと許せなかった。
怒りは簡単に一つの方向へは向いてくれない。だからオルペアは、今日も無心に弓を磨く。いつかこの矢を、憎いすべての方向へ真っ直ぐに放てるようになるまで。
「……思い詰めすぎると、ハゲますよー」
「「え?」」
二人が同時に顔を上げると、頭上の松の枝から誰かが逆さまにぶら下がっていた。
「うわっ!?」
「ラピエラっ!」
「おはようございます」
亜人の娘、ラピエラが、するりと枝から降りてくる。音がしなかった。気配もなかった。ついさっきまで、そこに誰かがいることすら、二人は気づかなかった。
「シーフ技能って便利ですねえ」
「……あなた、普通に歩いて来られないの」
「歩くより、上を通った方が楽なので」
へらりと笑うラピエラに、オルペアが呆れて弓を置く。
「盗みに入るつもり? うちの隊舎に」
「まさか。もう盗みませんよ、私は」
「……もう?」
「ええ」
ラピエラは中庭の井戸へ歩み寄り、木蓋の上に腰を下ろした。
「昔はね。孤児院の銀食器を盗んで、それで殴られて、また盗んで、また殴られて。そのうち、殴られる前に逃げる方が上手になって、気がついたら、裏の連中に拾われてました」
「……」
「そこで十年、生きました」
軽い調子で、しかし嘘のない声で、ラピエラは言った。
「でもね、コーディアさん、オルペアさん」
二人が視線を上げる。
「ここは、いいところですよ」
「……」
「ご飯が、盗まなくても、食べられる」
ラピエラは自分の膝に頬杖をついた。
「誰も、理不尽に殴ってこない」
その一言に、コーディアもオルペアも、返事ができなかった。
「ご飯が食べられる」と「殴られない」――当たり前のはずの二つが、この娘にとっては当たり前ではなかった。
その事実の重さが、朝の空気を静かに沈めた。
「――だから、私、この隊で頑張ります」
ラピエラは井戸から降り、二人に向かって、深く一礼した。
「盗む技を、皆さんのために使わせてください。敵の陣に忍び込むのも、書類を盗み出すのも、寝ている見張りの首元まで音もなく近づくのも、全部、得意ですから」
「……」
「殴られない場所を、私に守らせてください」
コーディアが槍の柄を握り直す。オルペアが弓に矢を番える。三人の得物の切先が、朝日の差す東の空へ揃って向けられた。
なぜかその瞬間、三人は互いに顔を見合わせて、少しだけ笑った。




