第拾参話「盤上の戦場と、毒舌なる未亡人・カラミーテ」
ピナーレがもたらした情報は、正確だった。
領境を荒らしていたのは、ただの野盗ではない。
サッ・ローンド帝国の息がかかった傭兵部隊。しかも、その中には帝国軍の斥候も混じっている。
彼らの目的は略奪ではなかった。
フラットペイン領への本格侵攻に備え、領内へ通じる街道と地形を調査し、要所に小規模な拠点――橋頭堡を築こうとしているのだ。
「つまり、次の戦いはもう始まっているということですね」
イルミナの私室。卓上に広げられた地図を見下ろしながら、竹子は静かに頷いた。
「敵は我らが城壁を攻める前に、こちらの動きを探っている。ならば、此方も敵が態勢を整える前に叩くべきだ」
「ですが、兵力差が問題です」
「だからこそ、少数で敵の陣を崩す」
竹子の指が、地図上の森の等高線をなぞった。
「ここに誘い込み、分断する。敵の指揮系統を崩し、撤退させる」
「……正面から?」
「必要ならば」
イルミナは小さくため息をついた。
「タケコ様。先ほどから申し上げていますが――」
「姫君」
竹子はふと、部屋の片隅に置かれた卓へ視線を向けた。
「……あれは?」
そこには、見慣れぬ盤上遊戯が置かれていた。十五×十五の升目が刻まれた盤の上には、チェスの駒を思わせる立体的な兵士たちが並んでいる。
「ああ、『セットアップ』です」
イルミナが苦笑を浮かべた。
「この辺境では、貴族の間で昔から親しまれている盤上遊戯です。歩兵の初期位置以外は、決められた範囲内で好きなように駒を配置できます」
イルミナは盤面の端に置かれた細長い駒を指差した。
「柵を置いて進路を塞ぐこともできますし、敵が通りそうな場所には罠を仕掛けることもできます」
「ほう」
「そして面白いのが、敵から奪った駒です。帽子を被せることで、自軍の兵として再利用できます」
竹子の眉がわずかに上がった。
「敵を倒すだけでなく、その力を奪って己の戦力とするか」
「はい。知略と布陣が勝敗を分ける遊びです」
竹子は盤面をじっと見つめた。
「……実際の戦場と同じだな」
「ええ」
イルミナは微笑んだ。
だが、その笑みはすぐに消えた。
「実は、その遊戯がこの領内で誰よりも強い女性がいるのです」
「女性?」
「はい。カラミーテ・ヒコック。二十八歳。先の戦いで夫を亡くした未亡人です」
イルミナの視線が、盤面へ落ちる。
「以前は彼女の夫であるワイアット様と共に、よくこの遊戯を楽しんでいました。しかし……今は館の奥の部屋に籠もり、誰とも会おうとしません」
「それでも、その者の知恵が必要なのだな」
「ええ」
イルミナは静かに頷いた。
「今の私たちには、彼女の『盤面を見通す目』が必要なのかもしれません」
***
館の奥。人の気配が少ない一室で、黒いドレスをまとった女が一人、静かに茶を飲んでいた。
カラミーテ・ヒコック。夫を失ってから、まだそれほど長くはない。
扉が開かれ、イルミナと竹子の姿を認めると、カラミーテは立ち上がることもなく優雅にティーカップを置いた。
「姫様。それに、そちらが噂の異国の武人様ですか」
「ええそうです。相変わらず良い耳ですね」
「突然の訪問を許してほしい」
「いえいえ。こんな日の当たらぬ未亡人の部屋まで、わざわざ血の匂いを運んできてくださるなんて。ほんにご親切なことで」
明らかな棘を含んだ言葉にも、竹子は眉一つ動かさず要件を切り出した。
「斥候部隊への強襲を考えている。知恵を借りたい」
カラミーテは手元の扇子をゆっくりと開いた。
「それはまた、勇ましいことでございますねえ」
「……?」
「正面から突撃なさるおつもりでしょう?」
「そのつもりだ」
「まあまあ」
カラミーテは目を細めた。
「猪のようにお元気でいらっしゃる」
「……猪?」
竹子が首を傾げる。
イルミナが慌てて口を挟もうとした。
「カラミーテ、そういう言い方は――」
「いえ、姫様。私は本当に褒めているのですよ?」
「……」
「猪は勇ましゅうございます。前へ前へと進みますもの」
カラミーテは扇子の陰で微笑んだ。
「ただ、猪は罠を避けませんでしょう?」
竹子の表情が変わった。
「……なるほど」
「え?」
「貴女は、正面から行けば罠に嵌まると言っているのだな」
「……」
カラミーテが瞬きをした。
「そういう意味ではございますが」
「ならば、忠告に感謝する」
竹子は深々と頭を下げた。
「私は武芸には通じている。だが、この土地の地形を知り、敵の心理を読み、兵を動かす知恵は持たぬ」
竹子は真っ直ぐにカラミーテを見た。
「部下を死なせぬため、貴女の力を貸してほしい」
「……」
カラミーテは黙って竹子を見つめた。
この女は、本当に嫌味が通じないのだろうか。――いや。違う。自分が口にした言葉の中から、竹子は嫌味を捨て、その奥にある「死なせたくない」という本心だけを拾い上げたのだ。
それは、カラミーテが最も苦手とする種類の人間だった。言葉の裏を読もうとしても、裏がない。だからこそ、困る。
「……あなた」
カラミーテは、ふと呟いた。
「亡くなった主人に、少し似ておりますわ」
竹子が顔を上げる。
「そうか」
「ええ」
カラミーテは笑った。
「死ぬ覚悟だけは立派で、死なずに済む方法を考えるのが苦手なところが」
「……」
「ですから、困るのです」
カラミーテは盤面を引き寄せた。
「私、もう未亡人になるのは一人分で十分ですから」
竹子は黙って彼女を見つめた。
カラミーテは盤面に一つの駒を置いた。
「よろしいでしょう」
その声から、先ほどまでの柔らかい毒が消えていた。
「猪を殺さずに森を抜けさせる方法。この盤上で教えて差し上げます」
「頼む」
「まずはここ」
白く細い指が盤上を滑る。
「敵の進路を柵で塞ぎます。こちらには罠を一つ」
カラミーテは竹子を見た。
「ただし、罠があると敵に悟られてはいけません」
「ならば、囮が必要だ」
「ええ」
カラミーテは即答した。
「敵に『ここなら勝てる』と思わせる囮が」
竹子の視線と、カラミーテの視線が交わった。
「……私がやろう」
「でしょうね」
「……」
「ですから、あなたは本当に猪のような方ですねえ」
「褒めているのか?」
「もちろんです」
カラミーテは心からそう言った。そして、盤上に次々と駒を置いていく。
「ここにビアンカ様」
「彼女は狙撃手です。敵を倒すより、『どこから撃たれるか分からない』と思わせた方が効果的でしょう」
「ディローザ様はこちら」
「敵を分断した後に投入します。あの方は、敵が多い場所に放り込むより、少数の敵を確実に叩かせた方がよろしい」
「メリッタ様は?」
「罠と煙です」
「……なぜ分かる?」
カラミーテは扇子の陰でくすりと笑った。
「私、六年前の練兵場に居合わせていたのですよ。あの、シャボン玉の魔導砲の日に」
「……ああ」
イルミナが思わず口元を押さえて笑いを漏らした。
「あの日、亡き夫と私は、腹を抱えて笑いすぎて、翌日は二人揃って腹筋が痛みましたのよ。以来、あのお嬢さんは私の中で『二つで十分な場面で三つ仕掛ける方』と決まっております」
「なるほど」
竹子は感心したように頷いた。
「ピナーレ様は、敵の補給路を探っていただきましょう」
竹子が目を細める。
「戦場の外まで見るのか」
「戦は戦場だけで起きるものではありませんから」
カラミーテは微笑み、最後に、盤面の中央へと一つの特別な駒を置いた。
「そして、竹子様。あなたはここです」
「囮か」
「ええ」
カラミーテはにっこりと笑った。
「最も危険な場所です」
「承知した」
「……本当に、嫌なほど話が早い方ですね」
カラミーテは扇子をパチンと閉じた。彼女の瞳からは、未亡人の憂いがすっかり消え去っている。そこにあったのは、盤面のすべてを見通し、勝利を構築する参謀の目だった。
「では、皆様にお伝えくださいませ。この戦、私が勝たせて差し上げます」
作中の架空ゲーム『セットアップ(簡易版)』の紹介です。
本作で使用されている『セットアップ(DX戦略)』は、これより大きな盤面で、兵種も複雑です。
【SETUP (セットアップ)】
『セットアップ』簡易版は、誰もが気軽に遊べるように盤面も兵種もスケールダウンした物です。二人のプレイヤーが9×9の盤上で軍勢を指揮し、相手の「王」を追い詰める対戦型ボードゲームです。
最大の特徴は、ゲーム開始時点で戦いが始まっていること。
兵の配置位置は、あなた自身が決めます。
どの駒を前線に置くか。
どの駒を後方に隠すか。
強力な駒を守るか、あえて囮にするか。
さらに盤上には、相手には見えない罠が仕掛けられています。
その罠を「どこに何を置くか」その判断が、ゲームの勝敗を大きく左右します。
【準備】セットアップ(配置フェイズ)
交互に駒を1駒ずつ自陣エリア(プレイヤーから見て3列目以内)内に配置する。
ただし、歩兵3種はプレイヤーから見て3列目に配置する事(列内であれば兵種の位置は自由)
* 先手が配置した駒と同じ種類の駒を配置しなければならない。
柵駒も同じく交互に配置します。(柵駒は、2マスを横断する形で自陣内のマスのライン上に配置します)
罠札2枚、空札7枚を罠エリアに設置して初期配置は終了です。
*罠エリアは自軍の歩兵の直前の一列です。
【罠の発動】
敵駒が罠札の置かれたマスに進入した場合、その罠を公開します。
罠札に記された効果を直ちに適用します。
罠の効果には、
* 駒を破壊する
* 駒を移動させる
* 行動を封じる
* 周囲の駒に影響を与える
* 罠を発動させた駒を別の場所へ移動させる
などがあります。
罠の処理が終了したら、罠札は公開状態になります。
【柵駒の効果】
柵駒が存在するマスは、通常の駒が通過・侵入することができません。
ただし、工兵は柵駒を破壊・除去できる能力があります。
【駒の捕獲】
自分の駒が相手の駒が存在するマスへ移動した場合、その駒を捕獲します。
捕獲した駒は、帽子を被せることで再利用できます。
帽子を被った駒は、手駒となり、通常の駒と同じように盤上へ配置することができます。
* 騎士、魔導士、竜騎士は手駒としての再利用できません。
* 帽子を被った駒は、二手連続して移動することができません。(×帽子駒→相手→帽子駒)
【駒】(1セット)
キング1
歩兵(槍兵2、重歩兵2、歩兵5)9
工兵2
弓兵2
剣士2
騎士2
竜騎士1
魔導士1
柵駒2
罠札(5種)10枚
空札9枚
帽子15個(再利用駒用)
各駒の動かし方は、セットアップ公式ルールブックに準じます。




