第2話:医師の宣告と、残された時間の砂時計
「お姉様、せめて今日はお休みになっては……」
心配そうな声に、セレスティアは鏡越しに振り返った。
そこには、不安を隠しきれないエミリアが立っている。
「大丈夫よ、エミリア」
そう答えて微笑む。
けれど、その笑顔は自分でも驚くほど力がなかった。
鏡台の上の紅を指先に取り、青白い頬へ薄く色を乗せる。
少しだけ血色が戻ったように見える。
それでも、以前の自分とは程遠かった。
今日は茶会がある。
欠席が続けば、また余計な噂を呼ぶ。
『聖女気取り』
『仮病でしょう』
『王子殿下に未練があるのでは?』
耳に入ってこないわけではない。
ただ。
傷つく気力すら残っていなかった。
今は立っているだけで精一杯だ。
誰かの悪意に心を砕く余裕など、もうなかった。
茶会の席。
華やかな笑い声が飛び交う中、一人の侯爵令嬢が扇で口元を隠しながら声を上げた。
「最近、お姿を見ませんでしたわね。聖剣の乙女は、ずいぶんお忙しくしていらっしゃるのね」
その言葉に、周囲からくすくすと笑いが漏れる。
セレスティアは静かにティーカップを置いた。
そして、ゆっくりと顔を上げる。
「……他家の事情ばかり気にしているなんて、ずいぶんお暇なのですね。羨ましいですわ」
一瞬だった。
先ほどまで和やかだった空気が、ぴたりと凍り付く。
侯爵令嬢の顔が引きつった。
セレスティアは優雅な微笑みを崩さない。
だが、その言葉は鋭かった。
以前の自分なら言わなかっただろう。
波風を立てないように。
誰からも嫌われないように。
そんなことばかり考えていた。
けれど今は違う。
もう、誰かに好かれようと努力する余裕など残っていなかった。
その日の夜。
セレスティアは自室で倒れた。
駆け付けた医師は診察を終えると、重苦しい沈黙の後で口を開いた。
「……このままの状態が続けば、長くて半年でしょう」
部屋から音が消えた。
母が息を呑む。
「そんな……」
次の瞬間には、崩れるように泣き出していた。
父は拳を握り締める。
血が滲みそうなほど強く。
「やはり、聖剣の影響か……!」
低く押し殺した声には怒りが滲んでいた。
「教会へ行く。王家にも話を通そう。このまま娘の命を削らせるなど認められるものか!」
「おやめくださいませ」
弱々しい声が父を止めた。
寝台の上で、セレスティアが首を横に振る。
「私は……望んでこのお役目を受けたのです」
「だが、このまま続ければお前は死ぬのだぞ!」
父の叫びが部屋に響く。
それでもセレスティアは静かだった。
「それでも」
セレスティアは静かに目を伏せた。
「私は……まだ、殿下をお慕いしています」
ぽつりと零れた言葉に、部屋の空気が止まった。
父も。
母も。
エミリアも。
誰も言葉を発せない。
「伴侶としてお支えする未来は、もう叶いません」
胸が痛まないわけではなかった。
それでも、とうの昔に諦めた未来だ。
「ですが……この身が殿下と国のお役に立てるのでしたら、それで十分なのです」
それは強がりだったのかもしれない。
それでも。
偽りではなかった。
「それに」
セレスティアは微笑む。
今にも壊れてしまいそうなほど儚く。
「命懸けで遠征へ向かわれる方に、これ以上の憂いを背負わせたくはありません」
「セレス……」
母の目から涙が零れ落ちる。
「どうか、殿下が迷わず剣を振るえますように。それが私の最後の願いです」
それからの日々は、まるで砂時計の砂が落ちていくようだった。
日に日に身体は弱っていく。
歩くことも難しくなった。
それでも。
遠征のたびに行われる聖剣の儀だけは欠かさなかった。
王子のために。
国のために。
そして――愛した人の勝利のために。
最後の遠征の日。
儀式は公には行われなかった。
すでにセレスティアは、自力で立つことすらできなくなっていたからだ。
事情を知った国王は、第三王子ではなく王太子を代理として公爵家へ遣わせた。
討伐直前のアルフレッドを動揺させないため。
そして、聖剣の乙女の異変を秘匿するために。
薄暗い寝室。
セレスティアは母と侍女に身体を支えられながら、震える手を胸元へ伸ばした。
呼吸をするだけでも苦しい。
それでも儀式は行わなければならない。
やがて。
白銀の光が胸元から溢れ出した。
眩い輝きはゆっくりと形を成し、彼女の身体から引き抜かれていく。
「っ……ぁ……!」
激痛だった。
身体ではない。
もっと奥。
魂そのものを引き裂かれるような痛み。
視界が白く弾ける。
喉から悲鳴が漏れた。
全身から力が抜け落ちていく。
それでも。
セレスティアは顔を上げた。
王太子の手に渡った聖剣は、これまで見たこともないほど強く輝いている。
その光が、彼の元へ届くなら。
自分の命など惜しくない。
「……どうか、ご武運を」
掠れた声だった。
王太子は静かに目を伏せる。
「……その願い、確かに預かった」
短い言葉。
けれど、その声には重い決意が込められていた。
一方、その頃。
王城で待機していたアルフレッドは拭えない違和感を覚えていた。
「なぜ儀式が行われないのです」
いつもなら出陣前に執り行われる聖剣降臨の儀。
だが今回は違う。
王太子だけがフェルノア公爵家へ向かい、詳細は何一つ伝えられていなかった。
「なぜ兄上だけがフェルノア公爵家へ行けるのです」
問い詰めるアルフレッドに、父親である国王は静かに答えた。
「魔王を討て」
そして続ける。
「そうすれば話す」
その声音は重かった。
嫌な予感がした。
理由は分からない。
だが何かがおかしい。
胸騒ぎがした。
それでも。
「……必ず、討ち果たします」
アルフレッドはそう言い切った。
そして戦場へ向かう。
その胸に、かつてないほど強大な聖剣の力を宿して。
明日も18時更新です!
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