#7 錬金術師、再臨
「……おいおい、そりゃあまた随分と急だな」
何を言い出すんだこいつはとでも言いたげな視線をディナルへと向けるミシャリーゼ。歳下であるとはいえ、一応自分の暮らしていた国の王族たる人間に対して。
もちろん、そんな態度を取っていれば、その従者であるリーナの表情も強張ってくる。ムッと何か物申したいような顔を見せたが、そこから彼女が言葉を発することはなかった。
言いたいことはあった。だが、相手が相手だ。
命の恩人であり、当てのない自分たちを匿ってくれた人間。そして、十年ぶりに再開した人間から、突然弟子にしてくれなどと言われているのだ。今回に関しては、ミシャリーゼの反応が正しい。
「どうか、何卒……‼︎」
頭を下げるディナル。反応に困る他の二人との間を支配している沈黙は、そう簡単には崩れない。小屋の外からやってくる隙間風と外の木々が揺れる音だけが、彼らのいる小さな空間にて響いていた。
「っ、ディナル様……突然どうなされたのですか⁉︎」
数十秒間の静けさを打ち破ったのはリーナ。
詰まりそうになっていた息を整えると、突拍子もないことを言い始めたディナルに対して少し声を荒げつつも問いかけた。
「嬢ちゃんの言う通りだ。大体、私が教えられる事なんて少ないぞ?」
「そんなわけありません! ……今の話が真実であるならば、あなたはさっき――――身体強化も無しであの熊を撃退した事になる……! あなたのことだ。きっとあれは……『錬金術』なのでしょう?」
ディナルは、そこに可能性を見出したのだ。ミシャリーゼに会うという念願を叶えたその次……最終目標とも呼べるそれ――ゼルトース王国への帰還。
間違った方向へと進もうとしている兄フォルドと、彼がこれから率い、纏めていくこととなる王立騎士団と、それを筆頭とするゼルトース全体の国力。その全てを真っ向から捻じ伏せ、意見を押し通すための力を、彼は欲していた。
だからこその、ミシャリーゼへの頼みであったのだ。
「もう、弱いままではいられないのです……! ……ここから始まるであろう世界規模の大戦の中で、兄上はきっと大きな間違いを犯す……! その前に、なんとしても強くなりたい!」
決意は固まっていた。一国を背負う立場にある王族……例え身内に裏切られようと、その身に宿っている血から、誇りは失われていなかった。
「このままでは、ゼルトースの民が大勢死んでしまう……そうなってしまう前に、私が止める! そのための、皆から期待してもらえるほどの力が欲しい……だからどうか、私をルーロ殿の弟子に――――」
「――断る」
だが、即返ってきたのは冷たく拒否する一言。
王子という身分であった故に頼み事を断られた経験が殆どないディナルにとって、それはあまりにも重いものだった。
「お前の気持ちはよく分かった。だが今のお前が背負おうとしているそれは、想像など軽く凌駕するほどに重い。いくら覚悟を決めたとしても、たかが人のそれだ。その強さなど知れている」
人の信念、思いの強さがどれほどのものであるのか、それをミシャリーゼは嫌という程身を持って知っている。
どれほど尽くしても、努力しようと。自分を信じる者達の『自分に対する考え方』というものは、小さな誤情報一つで簡単に地の底へと落ちるほどまでに覆る。
そんなことを思い知った。それによって、彼女は少々人間不信に陥るまでに至っていた……が、それだけが彼女がディナルの弟子入りを拒んだ理由ではない。少々、不思議であったのだ。
「そもそも、それほどのことをされておいてまで何故あの国に執着する? それしか生き方を知らないからか? お前の無駄な正義感……自己満足のためか?」
「……それは――――っ⁉︎」
瞬間――大地が揺れた。
この国では、地震など滅多に起きることはない。仮に発生したとしてもそれは微々たるもので、ここまで大きな揺れが発生することなんて極稀。
だからこそ、人は地の振動で焦る。しかもこんな森の中であるならば、尚更だ。
「ここ数年は地震なんて無かったのに……っいや、地震じゃない?」
「この感じ……またプヴォロか。大方、仲間がやられた報復だろう。この感じだとぉ……まぁ四十はいるかぁ? 面倒臭い……」
「あっ、あんな化け物が――四十も⁉︎」
後頭部をぽりぽりと掻きながら、気怠そうにため息を吐くミシャリーゼの呟いた内容に、他の二人は戦慄を覚えた。
つい先ほど、一体であったとしても歯が立たなかった樹海の怪物、それが群れを連れて襲いかからんとしているのだから、当然とも言えるが。
「……仕方ない。家を壊されても困るし、ちゃちゃっと済ませてしまおう。……ついでだ。二人も見物しているといい。行くぞ」
ミシャリーゼは重い腰を上げるように立ち上がり、軽く背伸びをして外へと向かう。
その様子は驚くほどに落ち着いており、まるで現在起こっているそれが日常茶飯事であるかのような。物怖じするほどの敵でもない、羽虫でも追い払おうとするに等しい態度であった。
「くっ……! あれっ、ほどの……!」
「お二人とも、逃げたほうがよろしいのではないですか……?」
外へと出てきた三人。そして等しく感じるのは、圧だけで全てを黙らせんとするかの如き圧倒的なプレッシャー。
迫り来るそれらは、木々を薙ぎ倒しながら一直線に迫ってきている。個体数はミシャリーゼの言っていたそれとほぼ同じ。一匹一匹大きさにバラつきはあれど、そのどれもが単独であったとしても街一つ程度であれば簡単に壊滅させることができてしまうのではないかと思ってしまうほどのパワーを有していることは明白。
今のディナル、リーナでは一切抵抗する事も出来ずに惨殺されることとなる……それを嫌という程に理解出来たからこそ、下手に再び対峙して抗うという選択肢がすっかり頭の中から消え去ってしまっていたのだ。
――しかし、ミシャリーゼだけは違った。こんな状況であったとしても先ほどから落ち着きを保ち続けて、あろうことか構える事すらしない始末。
その余裕の態度は圧倒的な強者故のものか、はたまたただの蛮勇か。
先ほどは流れるが如く鮮やかにあの中の一体を見事追い返してみせたミシャリーゼではあるが、それでもあの数の暴力に対してどのように対抗しようというのか――――ディナルとリーナは、ただ固唾を呑むばかり。
「……だが、機会的には丁度良いかもしれんな。……一つ教えておこう」
そんな時、ミシャリーゼは口を開く。自分が伝えねばならぬ事を見定めて。
本心、国がどうなろうと、もう彼女からすれば知ったことではない。自分を裏切り、捨てた国のことなど。
だがそれでも――今自分の後ろにいる少年だけには、死んでほしくなかった。他の者とは違い、十年前のあの国……そこで幼い彼だけは、最後まで自分の味方をしてくれていたのだから。
「――魂は命を動かし、命は思考を動かし、思考は体を動かす。だからこそ体は、自分自身における『行動』を司る」
流れるように言葉を発しつつ、その体をゆっくりと動かし、構えた。
「――そしてその過程で、大抵の者は魔法を行使する。大体は自然由来の力――火、水、風、雷……恵まれ秀でた者であれば、大地や大気……音、光なんかを操る奴だっているだろう。そのようにして、魔法はこの世に秘められた『力』を司り、人間の可能性すら大きく引き出す要因となり得る」
構えると同時、何やら手袋を右手に嵌めた。一見ただの皮製のそれであるが――――よく見てみればそこに刻まれているものがあった。魔法陣とは明らかに違う、他人にとっては不可思議で、組み上げたその本人にしか扱い方の分からぬ、特殊な構築式の刻まれた円形の模様が。
「……なら、私がこの世界で突き詰めてきたそれは――――ミシャリーゼ・ルーロの錬金術は、一体何を司るのか……それを教えてやる」
瞬間、ミシャリーゼはありったけの力を込めるように、手袋を嵌めた右手を地面にへとつけ、押し込む。
もちろん、それで何かしらの魔法が発動することはない。
樹海の力は、平等に人間から本来の可能性を奪ってしまう。その法則は、彼女相手であったとしても揺らぐことはない。
だがしかし、その力……少なくともディナル達にとっては『得体の知れない力』が、確かに彼女へ味方していた。
その刻陣は明確な力を宿し、地を伝って、まるで大地を波のように強く畝らせた。ただ怒りのままに突き進んでいたプヴォロ達は反応が遅れ、その悉くが天高く打ち上げられた。
そこで終わらない。宙を舞う巨体を狙うかのように、突如鋭い殺気を放ち始めた存在があった。そしてそれは、至る所に生えている、なんの変哲もない木々。とはいえ、人国のそれの数十倍は大きなものであるが。
刹那、巨木から別れている頑丈な枝――それが伸びた。急成長したとか、そのレベルではない。まるでミシャリーゼの意思に呼応するかのように大熊へと突き進み始めたそれは、瞬く間にその先端をより鋭利なものへと変える。
さながら、上等な槍。それが四方八方、大群を囲む木々すべてから放たれるのだ。
堅牢な金属のそれに防御魔法を施した人間の鎧であるならば話は別であるが、所詮は生身である熊の肉。槍はそんなものなど容易く穿ち、元がしなやかであるそれは多少たわみこそすれど、丈夫である故折れることはない。四十を超える巨躯、その悉くを森の中にて宙吊りにしてしまった。
熊達は当然暴れるが、それで自然由来の槍の牢獄から抜け出す事などできない。次第にその木に含まれる誘眠成分が熊の体内にゆっくりと入り込み……最終的には、襲ってきた個体全ての無力化に成功する。ここまで時間にして、およそ二分。完全なる決着であった。
「私の錬金術は――『万物』を司る。……その言葉の意味、そして力を最大限使う術を身に付ければ……お前は間違いなく、私よりも強くなれる素質がある……かもしれないな?」
先ほどまでの厳しい顔色はどこへやら。振り向き樣にニヤリと笑ってみせたミシャリーゼの明るい表情は、ディナルにとってはまるで太陽のように眩しかった。
愛する国から追い出され、絶望に染まり切っていた男の心を、希望で満たしていく。まだ全てを失った訳ではないのだと、目の前の女性は、そう思わせてくれた。
もっと強くなってみせようと、悩みや迷いを考え無しに捨て去って、希望に向かって躊躇うことなく突き進まんと動き始めるディナル。彼の決心は、今思えば甘い甘いものだったのだけれども……この時ならばしょうがないだろう。
……ここから樹海の中で始まる死闘に巻き込まれることなんて、まだ彼らは知らぬわけであるのだし。




