#3 かつて憧れたその人は
『――殿……ルーロ殿!! 何故行ってしまわれるのですか!?』
涙を流す少年。そして彼の涙でぼやける目線の先には、顔馴染みの近衛兵によって拘束され、今まさに城から追い出されようとしている女性の姿。
『……そんな顔するんじゃない、少年』
兵に止まるなと叱責されながらも、彼女はそこで止まり、少年へ向かい柔らかく笑って見せた。
両腕に激痛と共に刻まれた呪印による苦しみは今もなお続いているだろうに。
そしてそんな笑顔は――まだ当時十歳であった少年でさえ、自分を安心させるために作った偽りの表情であることにはすぐ気付いた。
『せっかく、こんなに楽しい世界に生まれたんだ……このままでは終わらんぞ、私は――――』
「――待って!! ……っ、夢……またこの夢か……」
豪奢なる一室にて、彼は目を覚ました。
汗ばんだ体の気持ち悪さを実感すると共に、ここは目覚めた先の現実であることを、覚醒しきっていない脳へと即座に叩き込む。
その青年――――名を、ディナル・ゼルトース。ゼルトース王国第二王子であり、腹違いではあるものの、第一王子フォルドの弟である。
王家の証である金色の瞳に、母譲りの暗くふわりとした紫色の髪が特徴的で、その整った容姿から王族の中でもかなりの美形と称されている。
「……入っていいぞ」
ディナルが夢の内容をうっすらと思い出しながら頭を抱えていると、自室の扉をコンコンとノックする音が聞こえてくる。
そして、扉の向こうに誰がいるのか分かりきっている彼は、身なりを整えることすら考える間もなく入室を許す。
「失礼します。……随分魘されているご様子でしたが……また、あの夢ですか?」
そんな事を尋ねながら向こう側の廊下から入って来たのは、おっとりとした様子である黒髪の少女。専属の従者の証である王家の紋章が胸の部分にあしらわれたメイド服に身を包み、少し長い前髪の奥には、ルビーのように赤い瞳がディナルをじぃっと見つめていた。
「あぁ、いつものだ。何の問題も無い……すまないリーナ、水をグラス一杯分頼む」
「かしこまりました。――そいやっ」
リーナと呼ばれたそのメイドは、部屋の隅にある棚から手頃なグラスを見繕い、持っていた清潔なハンカチで軽く拭いた。
それをしっかり握り、彼女は自分の目の前に持ってくる。可愛らしい掛け声と共に自身に宿る魔力をグラスに流し込めば、そこからまるで泉のように水が湧いて出てきた。
「……どうぞ。飲めば魔力消費による疲労が軽減されると噂になっているただの水でございます。私の愛情たっぷりですよ」
「ありがたいが、毎度ながらその文言は一体何なんだ……」
「ディナル様へだけの特別バージョンでございます」
彼女が自身を慕ってくれていることは十分伝わっているので悪い気はしていないディナルであったが、もう二十になる故に少し恥ずかしさも感じつつ、己を落ち着かせるために渡されたグラスの中身を仰ぐ。
――あの日から、十年。ミシャリーゼ・ルーロが国を追放されて、それほどの月日が経過していた。
世界の情勢もかなり変わった。二年ほど前からあらゆる国が物資や民族、種族間の問題によって戦争を引き起こし、争乱の時代が訪れようとしている。
その戦果はまだこのゼルトースまでは届いていないものの、荒れ狂う日々を過ごすことになるのも時間の問題だろう。
「んっ、ん……っ。まったく、嫌になってくるな。世界は間違った方向へ進んでいくばかりだ」
「……こんな時、ルーロ殿がいてくれれば、なんてことをまた考えてらっしゃるのですか?」
続くリーナの問いに、ディナルは黙り込む。が、すぐさま否定しない様子を見るに、そんな彼女の考えは図星であった。
三年……たった三年一緒に過ごしただけの女性に、王子がここまで執着するのも珍しい。普段から気を許しているリーナ以外の女性には、優しく振る舞いはすれど一定の距離は保っているような、見合いすら悉く断るほど女っ気の無い人であるというのに。
しかし、それほどに彼はミシャリーゼに懐いていたのだ。王族など関係なく、普通に接してくれた彼女に。
「あの方の錬金術は、きっと世界を変えることの出来るものだ……幼かった故にその片鱗、ごく僅かのそれしか知らないが、ルーロ殿の発想には、毎日のように驚かされた記憶がある」
「私はあまり接点が無かったので何とも言えませんが……あぁでも、研究員の人間にしてはかなり動ける人だったのは憶えています。王立騎士団の訓練にもついていけるほどでしたからね」
二人は、かつての彼女の姿を思い浮かべた。十六の頃に王都から少し離れた村を出て城へとやって来たミシャリーゼの見せていた大人顔負けの肝の据わりようは、当時の彼らにとっては驚くべきものであったのだ。
もちろん、非戦闘員。前線を想定して日々訓練している者達と比べれば見劣りこそすれど、戦場に出てもすぐさまやられることはないだろうと思えるほどには強かった。『いつか錬金術師殺しとかに襲われるかもだから』などと、よく分からないことを言っていたのはディナルも記憶している。
「今、どこで何をしているのやら……」
「……生きておられるのでしょうか? 『ゼルトースの魔女』の異名は周辺国家にまで届いていますし、そもそも彼女は国家転覆を目論んだ大罪人――」
「リーナ」
少し強い口調で、ディナルが話していたリーナの口を閉じさせる。
呼ばれたリーナの体がビクっと震えた。彼の前ではその話は禁句であるということを忘れ、つい思ったままのことを口に出してしまったのだ。
「申し訳ございません……」
「……いや、こちらこそすまない。確かに世間から見れば、その方が正しい。私の描いている理想は、ただの愚かな独りよがりに過ぎないよ」
彼が望むのは、どれだけ願ったとしても実現するようなものではない。
現在どこにいるのか、何をしているのか……そもそも、生死すら不明である一人の人間を、この広い広い世界の中から探し出すことなんて。
「――さて、こうしてはいられない。今日は兄上の正式な王位継承式。遅れてはならん……私は着替えてから向かう。君も先に行って待機していてくれ」
「お着換え、お手伝い致しますよ? 隅から隅までわきわきと」
「わきっ⁉ ……せんでいい! 変な事を言ってないで急ぐぞ……!」
真顔で開いた両掌をディナルへ向けながら指を動かすリーナを部屋の外へと追い出し、ディナルは一人寝巻を脱ぎ始める。
ここまでの会話を頭の中で復唱するようにゆっくりと思い出すその様は、まるで意図的に忘れぬようにしているかのようであったのだ。
キャラクタープチ紹介 リーナ・レールム
ゼルトース王国の王家専属従者で、歳はディナルの一つ上。父も母も城の従者として働いており、それもあって幼少の頃から歳の近いディナルに使えていた。ちなみにフォルドには別のメイドがついているため、基本的にはディナルの身の回りの世話がメインのお仕事。
ほんの少しだけではあるが、水属性魔法を行使することが可能。一回につきバケツ一杯分の水を生成する程度でやっとのようだが、それでも本人は「掃除には便利」と自分の力を気に入っている。
基本的には真顔。おっとりとしていてマイペースであり、ディナルからはたまに前世は猫なんじゃないかと思われている。主LOVE。




