#36 異変の前兆、それ未満
「んっ、んっ……ふぅ、沁みる沁みる」
「おいおい……何杯目だよそれ……」
ミケロを連れてはいるものの、実質的な単独行動となったミシャリーゼは、目に入った酒という酒を片っ端から飲み干していた。
酒造者……エルフの杜氏が今日は好きなだけ飲んでくれと相当量振る舞っている為にそれについてどうこう言う者などはいない。
「相変わらずだねぇ、人間の嬢ちゃんよぉ!」
「あんたに合わせて飲んでた奴らがもうすでに十人以上くたばっちまってるな。若ぇのに大したもんだ!」
それどころか、楽しく飲んで騒ぐエルフの男達は、ミシャリーゼの飲みっぷりで大いに盛り上がっている様子だった。
どうやら皆が皆、バシュヌのように人間自体を嫌っている訳ではないようで、むしろ彼女のことを歓迎しているようにも見えた。
「もはやアルコール入ってんのかすら怪しいくらいの飲み方だな……」
「試しに飲んでみるか? お前も」
「飲めないんだって僕は……あと、見た感じ思ってるだけで疑ってはないよ。めちゃくちゃ酒臭いし」
ミシャリーゼが寄るや否や、その顔を瞬時にしかめるミケロ。酒が苦手であるという話は以前に聞いていたものの、量が飲めないだけだと思っていたミシャリーゼは、ここまでなのかと驚きながらも変わらず木製のジョッキを仰ぐ。
「というかそんなに一気飲みして、あとでぶっ倒れたりしないだろうな……」
「問題ない……これがあるからな」
「ん? なんだそれ……?」
まるで取り憑かれたかのように酒を手放さないミシャリーゼがそれを体に流し込みながら懐より取り出したのは、何やら小さなガラスの小瓶。
中に入っていたのは、錠剤のようなそれ。直径五ミリほどある緑色の球体だった。
「私特製の即効性アルコール分解薬『破酒丸』……体内の酒気を一気に消し飛ばす代物だ。錬金術の研究の副産物だな」
「へぇ、だからそんなに何十杯と飲んでもなんともなさそうなんだな」
「いや? 飲んでないけど。どうせなら酔いたいし、非常用で持ってきただけ」
「なんなんだよ!!」
自慢げに説明しているものだからてっきりそれを服用しているものかと思えば、ミシャリーゼに思い切り肩透かしを食らわされたミケロ。
同時に、戦慄する。つい今しがた彼が口にしたように、ミシャリーゼは既に樽を一人で空けたのではないかというほどの酒を飲み干している。それも、度数が高いエルフ仕込みのそれをだ。
それでもなお、その顔は一切赤くならず、あたかも一滴も酒を入れていないかのように振る舞っている。呂律もしっかり回っており、まるで素面であるかのようにけろりとしている。
とても人間とは思えないアルコールに対する体の耐性。酒豪なんてレベルで留まるところを知らない尋常ならざる強さに、彼は祭そっちのけで恐怖に似た何かを感じるばかりであった。
「…………にしても、なんっか変だな……」
「そりゃあそんだけ飲んでたら気分も悪くなるって」
「そうじゃなくてだな」
むしろ気分は良いぞとミケロの突っ込みにも意を介すことなくミシャリーゼが気にかけていたのは、この森が覆っている天井の先ーーーー空。
「お、嬢ちゃん達も気づいたか?」
「いつもなら、もうそろそろ月の光がここらを目一杯照らしてもおかしくない時間なのによ。今年はそれがやけに遅い」
ミシャリーゼに釣られるようにミケロも空を見上げてみると、それが目に止まったのであろう近くで飲んでいたエルフの男らがジョッキ片手に近づいてくる。
皆が感じ始めている違和感。それは決して個人の勘違いの範疇を超えているようで、ちらほらと辺りでもざわつく者の声が聞こえ始めていた。
「出発前にシエラが言ってた大満月とやらがどんなものかは知らんが……それでも毎回、今頃になれば普通の満月でも結構明るくなるんだ」
「嬢ちゃんの言う通り。んで、大満月はまさに別格!」
「俺も三回くれぇは見たことあるが、ありゃあすげぇぞ。まるで昼間みてぇにここらが明るくなんだからよ」
本来、祝樹の酣という宴は夜が深くなるにつれて周囲が明るくなるという稀有なもの。今頃の時間にもなれば、その幻想的な明るい光景に皆が息を飲んでいてもおかしくない。
何度か参加しているミシャリーゼ……それも、本物の大満月など見たこともないような人間でさえそう思うのだ。実際にそれを見てきているエルフらの反応など、想像すらできない。
そして今、そんな彼らの顔はごくごく普通のもの。もちろん祭で騒いでいる故に表情が明るいことには間違いないのだが、どこか不安げなそれを浮かべている者がいることもまた事実。
「まさか……いや、こんな最高に最低のタイミングでありえるか……? 普通……」
「ん? 今度はどうしたんだよ急にぃ」
ここにくるまで散々振り回されたミケロはもうすでにミシャリーゼの言葉全てを真剣に聞くつもりなどなく、淡々と返しながら自分の持っていた杯を傾ける。中身はもちろん水だ。
「……考えすぎ、か?」
どこか含みのある言い方。そこからは何かを発するでもなく、再び酒がなみなみに注がれたジョッキをものの数秒で空にするを何度か繰り返す。
何か言いたげで、しかし自分の疑問とそれに対する予想が全く信じられない。信頼性ゼロな妄想に思考を費やすのは無意味かと、その意識をどんどん宴にへと戻していく。
少しばかりのざわめきはあるものの、楽しげな喧騒はまだまだ四方八方から聞こえてくる。無礼講の楽しい祭の火は、多少のことで消えたりなどしないのだ。
「…………」
「そんで? 何をそんな真剣に考えてたんだよ?」
「この世界においては数奇的だか起こりうる現象……てとこかぁ? ま、ただの独り言だ。気にしなくていい」
「別に気にしてはないけど……なんっか引っかかる言い方だなぁ」
不服そうではあるが、その先をミケロは聞かない。別に聞く必要もなかったし、ミシャリーゼの呟く大抵のことはミケロにもよく分からないものだ。
そんなものを気にするより、随分久しぶりの騒がしい雰囲気を楽しんだ方がいいだろうと、奇しくもミシャリーゼと似たようなことを考えていた。
(そういやディナル達、今頃どの辺りにいるんだろうなぁ……まぁ、シエラもいるし大丈夫か)




