#33 ラミアという少女
『……ラミア、お前は自分が何を言っておるか、分かっているんだろうな?』
ミシャリーゼに向けられていた老いてもなお鋭い眼光が、そこで別の場所を向く。真剣な場にて楽観的な意見を述べる己が孫のそれが、どうやらラガスには相当に癪に障るものだったらしい。
『まさか忘れたなどとは言うまい。あの地獄を……お前の両親が殺された、忌まわしきあの悲劇を……!!』
「忘れるわけないですよ。……でも、どれだけ嘆こうが怒ろうが、失った事実は変わりません。同時に、ミシャリーゼさんがいなければ、最悪ククノチシアは滅んでいたという事実も」
エルフの若き戦士は、長老の脅しに似た圧に物怖じすることなくそう答える。
妖精族としての矜持……誇りを否定するわけではない。しかしそれだけでは、十年前の急襲を捻じ伏せることは出来なかったことは、この場にいる全員が口に出さずとも感じている事だろう。
「……爺様が昔人間と何があったのかは知らないけど、その人間嫌いをミシャリーゼさんに向けるのは違うでしょう。助けてもらった恩を、仇で返すつもり?」
ラミアの方も、心中穏やかではなかった。自分たちを救ってくれた英雄がこのような扱いをされていることに、未だ納得がいかないのだ。
『…………お前は、何も分かっておらんのだ……人間という種族、その本質を……』
「――いやぁーすみませんミシャリーゼさん。毎度うちの祖父が」
「別に気にしてなんかないさ。ちょっと苛ついてぶん殴りたくなっただけで」
「それ割と気にしてません?」
ラミアの発言によって場の空気が変わり、そこからは何を言っても言葉が意味を成さないことを察したのか、ラガスはそこでミシャリーゼを含む全員を解散させた。
解放されたミシャリーゼとシエラは、そのままラミアと共にククノチシア中に架けられた吊り橋の上を意味なく歩いている。
かなりの高所であるが、その分景色は一級品。
木に覆われたこの場所では、陽の光が空を見上げようと眩しいとは感じない。そして気付いた頃にはかなり時間が過ぎていたようで、太陽は程よい暖かさを保ちつつも、その場を月に譲るべくゆっくりと沈み始めていた。
柔らかいオレンジ色に包まれた里の空気には、期待が大きく入り交じっている。ここから始まる祭りに、皆が胸を膨らませている証拠だ。
「冗談だよ。……にしても、やっぱ相当だなあの人嫌いは。十年経っても直りやしない」
『……ラガスも、昔はあんなにピリピリしてなかったんだけどね』
三人の中で唯一遥か昔のラガスがどのような者であったのかを知っているシエラは、二人と話しながらかつての彼を思い返していた。
歳は当然、向こうの方が上。しかしながら長い年月を共に過ごして来たことは間違いない。十年前、堕鬼族の襲撃が起こる前までは、シエラも生まれてからずっとククノチシアで過ごして来たのだから。
…………しかし、ラガスはもともと人間に対して良いイメージを持ってはいなかった。遥か昔、この森が妖精の樹海などと呼称されるより以前……シエラでさえまだ生まれていなかった頃から生き続けている彼の心の奥底にある感情は、もはや想像する他にない。
『たしか昔は、この森に人間も住んでたみたいだけど……それ関係なのかしら?』
「えっ、そうなんですか!? 私も初耳なんですけど……!」
普段からあの長老は自分の話などしないのだろう。そんなラガスの過去について初めて聞いたらしいラミアは目を丸くする。
ミシャリーゼ達例外を除けば、遥か昔からこの森を人間が訪れることはなかった。ましてや、この場所に住んでいたなどという話、にわかには信じがたい。
『ま、詳しい所は私も知らないし…………正直今考えるのはナンセンスよね。さっきラミアも言ってたけど、今日はせっかくのお祭り。しかも滅多に見られないユグドラシル! 台無しにするにはもったいなさすぎるわよね!』
シエラ自身も、今回の催事を楽しみにククノチシアへとやってきたのだ。一生に何度見られるかも分からないそれを見るのに、気分が沈んでいてはどうしようもない。
真剣な話なんて、今日が終わってからでもいくらだってできる。今すぐ話し合わねば取り返しのつかない大惨事になるならまだしも、そうじゃないなら“今しかない今日“を楽しむべきであると、シエラは疑わない。
「……ふぃぃっ、色々話せてスッキリしたので、私は一度戻ります! お二人ともありがとうございました!」
「あぁ。こちらこそ」
『それじゃあまた後でね!』
ラミアは礼を告げると、突然今三人が渡っていた吊り橋から元気よく飛び降りた。
軽い跳躍……とはいえ、五メートルほどは跳び上がっただろうか。そこからすかさず腰に携えていた鞭を振るい、付近の大木の枝へと巻きつけ、さながらターザンロープのように移動。空中を飛び回るかのように、先ほど皆が集まっていた場所まで戻って行った。
「毎度ながらかっこいいよなぁアレ。私も練習してみようかな」
『あなたの身体能力なら道具使わなくてもラミアより速いでしょ』
「…………さーて、そろそろ出てきたら? ――バッシュ」
「その名で呼ぶなといつも言っているだろう」
「いいじゃん、あだ名で呼ぶくらい。幼馴染なんだしさー」
慣れた手捌きで鞭を操り、里の空中を縦横無尽に駆け回りながらラミアがそう言うと、彼女の隣に突如現れる影。
その正体は言わずもがな。少し前に突如としてディナル達を襲撃した張本人、バシュヌである。
ラガスに言われ一時解散したエルフの面々であったが、この青年だけは一人動いていたのだ。
「もしかして、一人だけ人間について行った私のこと心配してた?」
「……そんなのではない。お前が人間とよからぬことを考えていないか、俺はククノチシア親衛隊副隊長として見張っておかねばならんのだ」
呆れているのか、それともまた別の理由か。バシュヌは溜め息を吐くと、いつもよりも更に低い声で忠告するかのようにラミアへとそう言った。
「そんなに心配しなくても大丈夫だって。そんな神経質になってたら、楽しめるものも楽しめないよ?」
「必要ない。俺はただ役目を果たすだけ……お前も、少しくらいその自覚を持ったらどうなんだ――――親衛隊長ラミア」
責務を果たす……それだけを意識する何とも息が詰まりそうな生き方。しかしそれを突き詰めた先でエルフの中では誰も寄せ付けぬほどの強さを手に入れたのが、このバシュヌという男。
そして、そんな彼の先を優々と行くのが、この少女。長を守るために選抜された戦闘能力の優れた者達が揃うククノチシア親衛隊。その筆頭たる存在こそが、他でもないラミアなのだ。




