#29 ブラグロリネラ
(……集中させるんだ――意識を耳へ! そして繋げ――耳から本能へ!!)
ディナルはその場にて剣を構え、立つ。
足は肩幅分まで広げ、腰はやや落とす。いかなる方向からの攻撃であろうと対応するために精神を集中させ、あまつさえ目をも閉じた。
そしてこれは、ディナル自身が考えた上での行動ではない。彼が無意識的に、己が”聴覚”を最大限活かすため瞼を閉じたのだ。
『――――』
対し、ブラグロリネラは困惑していた……というよりは、ブラグロリネラ内のプログラムにエラーに近しいものが生じた、の方が正しいだろうか。
敵を前にして目を瞑る――外部情報の八割以上を自ら遮断するというその行為。これまでこの樹窟の口を抜けようとした者の中にも何人かは存在していたが、その者らは悉く生まれつきまたは洞窟内の戦闘にて、視力……あるいは眼球そのものを失った人間達。
無論そのような状態で樹窟の主に勝てるはずもなかったわけであるが……今目の前にいる人間は違う。相応の力を持ちながら、己の意思でその闇に飛び込んだのだ。
ここに来て勝負を投げたのか。先ほどの攻防、最終的に見切り、一時的に己を退けたものの、そこまでが限界……もう動く体力を残していないのだろうか。
肉体活動に限界が存在する種故の硬直…………あるいは――――
『――――』
ブラグロリネラのプログラムが、動かぬディナルを行動不能状態であると推測。瞬時に彼の死角にて加速方向を転換。一気に距離を詰めた。
そして、初速の時点で攻撃態勢を整え、加速中にもその体は一切動かさない。ディナルの方へ向けられた右腕は伸びきり、先端は貫手の構え。空気抵抗を極限まで無くしつつ、攻撃は一点に集中。
図らずも、耳で攻撃位置を予測していたディナル相手には最適解の一手であった。
「ディ――っ……!」
立ち尽くすディナルに向かう敵意。つい叫びたくなってしまったリーナであったが、すぐにハッ、と我に返ると、自分で自分の口を塞ぐ。
今の彼に声を――外部からの雑音を向けるのはあまりにも無粋。ディナルの集中力が切れる要因になりかねない。
しかし、信じることしか出来ないというものは、リーナにとっては中々にもどかしいものであったが……それでも、もはやそれ以外に今彼女が取れる行動は存在していない。
「ふぅぅっ…………」
そしてその行動のおかげで、ディナルの方にも揺らぎはない。脳に余計な情報が来ない分、その集中力も最高のものへと至っていた。
祈ろうが祈らまいが、その瞬間は必ずやって来る。それが戦いである限り。双方に、戦う意思がある限り。
「――ッ! そこだぁっ!!」
洞窟内を巡る、外部からの風。瞬間、世界の気まぐれによって洞窟内にやって来た強い風とそれによる音と共に襲い掛かるブラグロリネラの刺突。
あまりにも小さいその空気を割く音――風の中に混じり、それに抵抗するような異音を聞き分けたディナルの耳が、脳を経由することなく情報を彼の肉体へと流し、反撃の躍動を促した。
「……っはは……背中に目でも付いてるのかぁ……? あいつ……」
ミケロは、自分の見たその光景を信じられずにいた。
ブラグロリネラと同等のスピードを有する故にギリギリ視認できるほどの敵。そんな存在から繰り出された対応不可能に近い背後からの一撃を、ディナルはまるでそのタイミングを事前に理解していたかのように振り返り、その右手を斬り落とした。
流れるように続くその剣撃は、更に二度、三度と光るような剣閃を走らせ、手首、前腕、関節に上腕と続き、瞬く間にブラグロリネラの右腕はその姿形を消していく。
まるで、その場にてもっと大きい何かで削られているかのような……ディナルの放った剣は、そう錯覚させてしまうほどの途轍もない剣であったのだ。
「ほとんど違いなんてない風の音を聞き分けて……本当に、あらゆる場所に目があるみたいに……!」
「あながち間違ってもいないだろうな。――三百六十度全てを見回す、実体無き”第三の眼”……それが、今のあいつが持つ、最大の武器……!」
ミケロに続くようにリーナの発したそれは正しいのかもしれないと、ミシャリーゼは口角を上げながら頷いた。
彼女自身も、以前からディナルにその可能性は感じていたのだ。影であったミケロとの戦い――およそ一ヶ月前、ミシャリーゼが師となって彼を鍛えるその以前から。
だが修練は、あえてそんな彼の長所を教えることなく進められた。初めに「君の強さは”これ”だ」と教えてしまえば、教え子は師の言葉を鵜呑みにし、十分に思考することなく結論を出してしまうからだ。
個性を伸ばすのは、基礎を嫌というほどに叩き込んだ後……ミシャリーゼもそう考えていたのだが、彼女が想像していたよりもずっと速く、彼は彼なりの答えを見つけてしまったのだ。誰の手も借りず、己の力のみで。
「ブラグロリネラに負けることはないとは思っていたが……あそこまで出来るとなると、これからの育て方も少し考えなきゃな」
『ん? どういうこと?』
「ディナルは筋肉の質が良い。が、少し軽い。ちょっと考えてた方針だと、このまま速度と攻撃の回転率を高めて敵の隙を作り叩く万能寄りのスピード型に育てていこうかと思っていたが……ああいう戦い方が出来るなら、ウエイトを上げて真正面から敵に対応できるパワー型でも十分戦える……」
「ちょっとゲームみたいなのは置いといて……ミシャリーゼも意外に考えてるんだな、そういうの」
「お前は私を何だと思ってるんだ」
曲がりなりにも、ディナルの師匠としてやっていくことを決めたミシャリーゼ。口ではああだこうだと言いながらも、引き受けた以上教え子の事はしっかりせねばならないと、日々真っすぐな目で努力を重ねる弟子を見て思ってしまったのだ。
「ッ……! まだまだ――――……む?」
巨人の右腕を完全に切り刻み、更なる追撃へと移行せんとしたディナルであったが……刹那、彼は気付く。ブラグロリネラから先ほどまで感じていた闘志のようなそれが、完全に消えてしまっていることに。
動きが固まったかと思えばすぐさま一歩引き、まるで何かを伝えようとするように樹窟の主はディナルを見やる。
まるでその戦いぶりに敬意を表するかの如く無言で向けられる無機質な眼差しは、殺意とは真反対の穏やかなものに感じられた。
「どうしたんだ急に……まさか、何かしらの罠が……!?」
「――――終わったんだよ。ブラグロリネラによるテストがな」
「師匠……! ……終わった、ということは……」
「あぁ、お前の勝ちだ。ほんと、大した奴だよお前は」
それを聞いたディナルは、彼の勝利を知らせるミシャリーゼの言葉を頭の中で何度も繰り返して事実を受け入れる中、ゆっくり上を向いて巨人と目を合わせる。
……おめでとう。そんな一言を残すように、『樹窟の口』最奥の門番、ブラグロリネラはふっと目の前で姿を消した。同時に、巨人の背の先にて固く閉ざされていた扉がゆっくりと開かれ、あまりにも眩しい外の光が洞窟内に差し込んできた。
「……ディナル様! やったぁ!」
「うおっ!? 急に抱き着くなリーナ! …………っはは、なんとか……お前の望みは叶えられたかな」
――瞬間こみ上げてくるものは、紛うことなき”喜び”。一ヶ月前ではどうにもならなかった事をやってのけたという達成感と高揚。
開かれた扉。その道の先に待っているのは、それを望み進んできた目的地。
人国で育ってきた普通の人間が到達するにはあまりにも短すぎる期間にてたどり着いた、妖精の樹海“中域”……妖精族や堕鬼族など、知性ある人ならざる存在達が暮らす、魔境である。




