#15 地下、苛立ちと無償の契約
「というわけで、早速初め――」
「いや待ってくださいお願いですから」
空気の澄んだ美しい森の景色は何処へやら。ディナルは突然別世界にでも来てしまったのではないかという錯覚に陥っていた。
そこは見渡す限り、石煉瓦で覆われた謎の空間であった。
嗅いだことのない薬品の匂いが充満するその場の空気は冷たく、辺りを照らす明かりもランタンが数個のみでなんとも心もとない。
「まさかあの小屋の地下に、こんな広い施設があったなんて……!」
ここは、先ほど影によって半壊したミシャリーゼの住んでいる小屋。その地下施設――の、ごく一部。
地上の床下に存在していた梯子を下りてくると、その先に存在していた長い長い廊下。先が見えないほどに伸びていたそれではあるものの、人が、それも知っている者が舗装していることもあり、初見である二人もそれほどの恐怖は無かった。……ほんの僅かながら、不気味だとは思ったようであるが。
そんな廊下から枝分かれしている無数の部屋……の、一番手前に位置しているのがここ――ミシャリーゼがメインで使っている作業場。
大きな机が複数に、椅子が一つなのは、座る人間がミシャリーゼしかいなかったからだろう。その上には上にあったそれとは比べ物にならないほど山積みになった厚紙の中には、やはり錬金術において必要なのであろう様々な式や材料、そこから作るもののレシピなどが記されていた。
そして、それだけではない。
「これだけたくさんの硝子製品……よく揃えられましたね」
リーナが絶句している理由は、その備品の数々。
薬品の調合に使う硝子製のカップやフラスコといった容器がずらりと並んでいる棚はまさに圧巻。
「ここから三十分くらい歩いた先に小さいながら鉱山があってな。そこで質の良い珪砂が採れるんだ。つっても私は吹き硝子なんて出来ないから、熱したそれを錬成による形状変化でなんとか――って、そんなことはどうでもいいか」
自身の口から出た解説を笑い飛ばしながら、ミシャリーゼはそんな事よりと話を切り替えていく。
「そんじゃあさっさと初めていくぞー、人体錬成」
「いやだからちょっと待ってくださいよ」
ディナルに続き、今度はリーナが錬成を始めようとするミシャリーゼを止めた。
この広い空間については、あらかた理解して受け止めることが出来た。彼女の錬金術は先ほど、大地を畝らせるという非現実的な事をやってみせたのだ。それを利用すれば、このように広大な地下空間を造り出すことだって容易であるのだろうと。
そしてあらゆる備品と研究記録も、必要な素材と時間が存在していたのであれば十分納得できる。
「……なんだ、お前らさっきから?」
「いやその……人体、ということは、人……人間を作ろうとしている、ということですよね……?」
だが、今からやろうとしている所業は、本当に人が行っていいものなのだろうか。そんな恐怖に似た疑問が、二人の頭の中を埋め尽くしているのが現状における事実であったのだ。
「そうなるな」
「この影から情報を手に入れるためとはいえ、流石にそれは……やってもいいことなのでしょうか?」
「いやー嬢ちゃん、やっぱり顔がいいなぁ。おっとり系で垂れ目なのもポイントが高い」
「ッ――私は真剣に聞いているんです!!」
本気で怖がっているのに対してそんな気の抜けた軽口を返すものだから、リーナの中で苛立ちもどんどん加速していく。
心の奥底を見ることが出来ない。覗こうとしてものらりくらりと躱される。その実力に関しては己が目で見たために言うことなど無いが、それでも……
「貴方さっきから……! よく分からないことばかり言うし、ふざけてばかりで……! ディナル様も危険に晒して!」
「おいリーナ、あれは私が……」
「やっぱり――――犯罪者なんて頼るんじゃ……」
「リーナ!!」
あれは自分に落ち度がある。そう言って彼女を少しでも落ち着かせようとしたディナルであったが、それも失敗に終わる。リーナは自身の急な激昂によって言葉の抑制が効かず、思っていた全てを口に出していた。
その一言は、ディナルがミシャリーゼに最も聞かせたくない言葉の一つであった。
証拠不十分のまま本人の意志も聞くことなく、第一王子フォルドによって行われた追放のせいで、ミシャリーゼはこの樹海で生きていくことを強制されたのだ。
あの時彼女の意見が通り、無罪放免となっていたのであれば、今頃も彼女はきっとあの王城の中で錬金術に没頭し、ゼルトースの国力増強に大きく貢献することになる…………そんな確信が、ディナルの中で存在していたからだ。
「……こんな森にいては、命がいくつあっても足りませんよ……! こんな人の元にいては、尚更……!!」
「いい加減に――!!」
「まぁまぁ落ち着け二人とも」
更なる怒りをぶつけようとするリーナと、これ以上続けさせまいとしていたディナルの間に割って入るように、ミシャリーゼは変わらぬ穏やかな……しかしそれでいて、ほんの少しの圧が垣間見える声色で言葉を放つ。
彼女の隣にいたシエラは特に何を言うでもなかったが……そのたった一言が、二人の一時的な感情の昂りを簡単に抑えてみせた。
「たしかに嬢ちゃんの言う通り、少々ふざけが過ぎた。それに関しては謝ろう。だが、そんな風にずうっと気を張り詰めていても心身が削れるだけだ……もっと、気楽に行こうじゃないか。明日死に戦が始まるわけでもないんだしな」
そんな風に話す彼女は、異常なまでに大人びていた。
大抵の人間であれば、犯してもいない罪を着せられ犯罪者呼ばわりされれば多少なりとも怒るのは当たり前。だというのに、ミシャリーゼには怒気の一つも感じられない。
単にそういった事に関して何も考えていないのか、器が広いのか……今日十年ぶりに会ったばかりである故に、その奥底にディナルとリーナは辿り着けない。
「だがまぁ、一つだけ約束しておこう。――契約だ。対価は求めない……そして私はこの樹海にお前達がいる間、その命は必ず守ってやる」
突然言い放たれたそれは、彼女の中で何か一つの覚悟が決まったことを意味していた。
だがしかし、あまりにも唐突。リーナも、ディナルも言葉の意味こそ分かれど、それの持つ本当の重みにはまだ辿り着けない。
「…………なんですか、それ……何の契約にも、なっていないじゃないですか……」
「私にとって、『契約』というものはどんな約束事よりも強い意味合いを持っているんだ。…………今すぐ理解してくれとは言わん。お前達のどちらかに何かあった場合、私も自分の腹を切って死ぬ。それだけだ」
どういうことであるのか、”その場合”に彼女の契約は、どのような意味と重圧を発生させるのか。完全に知ろうとはしてみれど…………二人は、まだまだ若かった。本当のそれを知るには、まだまだ若すぎた。
「分からない……分からないですよ、何もかも……」
その時点で、もう怒りの言葉なんて出てこなかった。樹海の環境的な未知と、ミシャリーゼの人的な未知。その二つが同時に押し寄せて、リーナの頭の中を埋め尽くす。
「よし、話は一旦終わりだ。ぼちぼち進めていくぞー、影が突然変異でもして逃げられたらたまったもんじゃないし」
喉から放つそれは続かなかった。しかしそれが再開するのを、ミシャリーゼは待たない。その頭と体は、今やるべきことのためだけに動かされるのだ。




